第152話 狼と少女達
一先ずの治療が終わったところで二頭の狼はクレアに頭を下げるようにして感謝の意を示していた。最初は孤狼が。続いて白狼がそれを見て倣うようにクレアやロナに頭を下げる。
「従属の輪も後でどうにかします」
クレアは白狼の首にまだ付けられている従属の輪を見て、あまり遠くまで聞こえない程度の声色で言った。
兵士達もいる手前、すぐさま従属の輪の解除というのはできないからだ。
「……ウィリアム達から秘術については聞いている。そうなれば孤狼も帝国に弱点を突かれにくくはなるだろうな」
そう言ったのは様子を見に来たリチャードだ。
ウィリアム達の事情を説明する上でリチャード達に立場を理解してもらうためには従属の輪で従わされていた部分を説明する必要がある。
帝国は従属の輪を戦奴に対してよく用いるが、逆に特異な任務に就く上で従属の輪を付けられていない者というのは望んで動いている可能性が高いと見られる事がある。
特に、皇子やその妹、直属の部隊などという立場であれば。
だから、代償のある魔女の秘術で外せる、というのは、投降する上で説明する必要がある部分だった。
権力者や犯罪組織から魔女が狙われる恐れがあって苦痛を伴う代償があるからこそ秘密にしているのだ。そういう点からリチャードならば口外しないだろうという信頼の元に明かして構わないとロナから伝えた形である。
そこもあってルシアとニコラスは余計に信義や戦士の矜持に悖るからとクレア達の戦いでの手札の詳細を家人にさえ語らないのであるが。
「ついでに、従属の輪の偽物を作って身に付けてもらっておくというのも手かも知れませんね……。救出時点では行動を阻害できるような命令は下っていないようですが、後で改めて利用しようとした場合に、偽物がついていれば逆に油断を誘う事ができそうです」
「良い手なんじゃないか? 領域主には従属の輪を無効化する手段があるって思わせれば次からは同じ手段を取ろうとは思わなくなるだろうからね」
「ふむ。そういう効果も期待できますかな」
ロナが笑うとリチャードは顎に手をやって考えながら応じる。
孤狼は牙を見せて笑った。獰猛さが垣間見える表情だ。
ヴァンデルにそのつもりがあったかは分からないが、少なくとも帝国が再び接触してきた時に、孤狼に対しての楔は打っていると油断する面はあるだろう。
ヴァンデルのような特異な例を除き、帝国であれば白狼の従属の輪を利用しようとするのが常だ。人質としての有効性は、孤狼が白狼を取り戻しに来た事から証明されているようなものであるから尚更であった。
クレア達はそこからすぐ近くにある開拓予定地まで移動する。その途中で白狼はディアナの魔法によって血の痕も落としてもらい、本来の純白な身体を取り戻していた。
「綺麗ね。積もったばかりの雪みたいな白さだわ」
ディアナが白狼の被毛を見ながら言う。孤狼と白狼を見て目を輝かせているシェリーもふんふんと頷いていた。
「こっちのも本当なら人里に出てきた時点で大騒ぎになるような魔物狼の種族だね」
「その場合は緊急の対応が必要なるな」
ロナの言葉にリチャードが苦笑いを浮かべる。アルビノであるために雰囲気も違うが、クレア達の少し横を並んで歩く狼二頭は静かに歩みを進めていて、領域主だとか強力な魔物狼だとか、そういった肩書きから想像できるような雰囲気ではない。
クレア達は開拓予定地に到着すると早速天幕を設営し、開拓地を構築する準備を行っていく。作業が長丁場になることも想定しているのだ。
白狼はアルビノということもあって直射日光の下は苦手なのか木陰に腰を落ち着け、孤狼もそれに寄り添うように座る。
「チェルシー、食材の下ごしらえや料理の用意もしておいてもらえますか? 白狼さんの方はまだ完全に復調していないと思いますので、細かく刻んで食べやすくしないといけません」
クレアが言って、大きな肉の塊やその他の食材を鞄から料理道具を用意する。孤狼や白狼の体格から言って、それぐらいは食べるだろうという判断だ。
チェルシーは頷くと早速料理の準備を始めた。
兵士達もそれぞれに昼食の準備を始める。チェルシーが護衛隊の分も含めて料理を作るということで、昼食に一品増えると兵士達は喜んでいたが。
その間にクレアはエルムと共に開拓村の建設予定地の立地を少し確認していく。シェリーも興味津々と言った様子でルシア達と共にクレアの方に向かう。
「この辺に家を建てるのが良いかなと思います。開拓村の中でも大樹海にも森にも近い位置関係になりそうですし、色々対応や採取等もしやすくなるかなと」
クレアが選んだ場所は、街道からは少し離れた位置になるだろう。開拓村ができるであろう場所からすると森の入り口あたりになるだろうし、若干の距離はあるが裏手を少し進めば大樹海に入れるような場所だ。
建設予定地は森に隣接しているというか、森の一部を拓いて作る形になるだろう。
「なるほど。村の警備や大樹海から戻ってくる冒険者への対応もしやすそうね」
「はい。その辺を考えての立地ではあります。というわけで……まずは木々を動かして木材にしていきましょう」
「ん」
エルムが頷いて周囲に生えている木々に向かって手を伸ばす。
木々がざわめき出し、根っこを足のように動かしながら地面から抜け出してきた。
「……エルムは可愛らしいのにすごいのね」
「ん」
その力を目の当たりにしたシェリーが驚きながら言うと、エルムは胸を張るようにして応じる。木々の皮を剥がし、術で乾燥させて木材として使える形に整え、樹脂を薄く膜にしてコーティングすることで表面処理まで行っていく。
原木であったものが木材に変じていく光景にシェリーは目を輝かせ、孤狼や白狼、護衛部隊の面々も興味深そうにそれを見やる。
「さてさて。木材が出来上がる前に地面を均していきますか」
クレアは言いながら地面に目を向ける。木を抜いて移動させたことで、あちこち穴が開いている。
「この辺の穴埋めか」
「はい。地下室も作ろうかなと思っているので、そこで出る土を穴埋めに使っていきます」
そう言って地面に手を突いて術を発動させる。クレアの目の前の土が綺麗な四角形に凹んでいき、代わりに穴が埋まるように盛り上がっていった。
地均しの術はディアナから習ったものだ。アルヴィレトの術師達は隠れて暮らしていたということもあり、防衛のための術の他には、生活を便利にする術も豊富に身に付けている。水脈探しや地均しはその一例と言えるだろう。
「便利な術ですねえ」
「ふふっ。クレアちゃんが早速使いこなしてくれていて嬉しいわ」
ディアナは自分が教えた術ということで嬉しそうな様子だ。そこに孤狼や白狼も覗き込むように見に来る。
シェリーは護衛が少し距離を取らせるが、視線がその動きを追いながらもややそわそわとしていて、傍目から見ていても孤狼や白狼に惹かれているというのは間違いない。
孤狼もそれに気付いているのか、シェリーを見やるとクレアにも視線を送った。
「んー。もっと近づいても大丈夫、という事でしょうか」
孤狼は静かに頷き、害意はないというように白狼と並んで腰を落ち着ける。
「という事なのですが……」
「い、良いかしら? 領域主との関係を良好に保てるのなら、というのはあると思うのだけれど……」
シェリーがリチャードに尋ねると、苦笑して応じる。
「一理なくはないですが。確かに孤狼の領域は対帝国においても重要な立ち位置にありますからな。まあ……たっての願いということでしたら仕方がありません。私が直接護衛しましょう」
「ええ。ありがとう」
シェリーはにっこりと笑って、リチャードやポーリンと共におずおずと前に出てくる。
「改めて領域主殿にご挨拶を。シェリル=ロシュタッドと申しますわ。その……この国の王女です。今はシェリーという偽名で動いていますが……」
シェリーがスカートの裾を摘まんで挨拶をすると、孤狼は少し興味を持ったのかシェリーの顔をまじまじと見てから静かに頷いた。
「本当……お二方とも綺麗な瞳と被毛ですわね」
セレーナもまた近くで孤狼と白狼を見て感動している様子であった。シェリーも近くで見る孤狼達に目を奪われており、そんな様子に孤狼は首を軽く下げて見せる。
「ええと……触ってみても良い、というような?」
クレアが尋ねると、孤狼は目蓋を閉じて肯定するような仕草を見せた。
「おお……」
「で、では――」
クレアとシェリー、セレーナは揃って孤狼や白狼を軽く撫でる。豊かな被毛は戦いの時のような堅牢さを感じさせるものではなく、白狼共々手触りも滑らかだ。
「ふわふわしていて……最高の手触りね」
「良い感触ですねえ」
「まさか、領域主にこんな風に触れられる日が来るとは思いませんでしたわ……」
クレア達はそう言いながら、少しの間孤狼と白狼の手触りを堪能し、そんな様子に周囲の面々は表情を緩めるのであった。
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