第150話 探していたものは

 複数の群狼による共鳴誘爆の規模は相当なもので、ヴァンデルのいた城の一角は、上の構造物が崩落して、一瞬で瓦礫の山と化していた。


 濛々と立ち込める土煙と瓦礫を孤狼は睥睨していたが、ぴくりと耳が動いて違う方向に視線を向けた。


 孤狼とヴァンデルの戦いの場となったことで、城の中庭周辺は余人の入り込めないような戦場となっていた。巻き込まれるような事や崩落の危険を察知したのか、大体の人間は早々に逃げ出していたから聞こえてくる悲鳴や怒号もかなり遠いが、そんな中に近付いてくる者がいる。


 それから、複数の臭い。探していたものと、報復対象の臭いと足音だ。近付いてくる。


 その一団が、孤狼の視界に入る。


 魔術師達らしき男達が使役するゴーレムに、鎖を引かれる形で連れて来られた者がいる。

 雪のような白い被毛の魔物狼だった。領域主として単独の生き物である孤狼とは別種だ。二回りほど体格も小さい。孤狼が探していたのはこの白狼だった。


 その被毛はあちこち血の痕で染まり、首には従属の輪も嵌められている。それを目にした孤狼は初めて表情に怒りの色を滲ませ、唸り声を上げた。

 だが、迂闊には動かない。即断即決で人間の拠点に攻め入る孤狼の行動としては慎重ではある。孤狼が吹けば飛ぶような連中だというのにわざわざ近付いてきたという事から考えても、従属の輪によってどんな命令を下しているか分からないし罠も有り得るだろう。


 従属の輪があったとして、白狼がそれに簡単に従う性質ではないという事も知っている。白狼に苦痛を与えるようなことは本意ではない。痛めつけられて弱っているならば、命令不服従の苦痛で衰弱したり、苦痛で身体を動かして傷口が拓いて死ぬ事も有り得る。


「そのままだ! そのまま、動くなよ!」

「こちらに攻撃してきた場合、お前の番の命は保障しない!」


 人質としての効果があると判断したのか、男達は孤狼に対して喚くように言った。

 男達は領域主の報復対象だ。どちらにせよ人質にして逃げるなり孤狼の捕獲を試みるなりするしか、助かる道がない。踏ん切りがつくまで意思統一に時間がかかったというのもあるが、いざ行動をしようとしても白狼が命令に従わず、かなり手間取ってしまった形だ。

 ヴァンデルの生死は不明ではあるが、もっと早くに連れて来られたらと後悔が先に立つ。


 と――その時だ。


「クソがッ!」


 瓦礫の山を下から吹き飛ばし、ヴァンデルが姿を見せる。

 無傷ではない。流血しており、額や頬、腕や脇腹などが血で染まっていた。額に手をやり、信じられないものを見たというように目を見開く。


 敵から手傷を負わされるのは本当に生まれて初めての経験だった。


「ヴァンデル様! 今の内に孤狼を!」

「番を抑えているために抵抗が出来ません!」


 掌についた自身の血を見ているヴァンデルであったが、瓦礫を吹き飛ばしながら出てきたために健在だと判断したのだろう。男達が言う。そこでヴァンデルは男達と孤狼に目を向け、初めて今の状況を把握したらしい。


「へぇ……」


 ヴァンデルはにやりと笑うと、瓦礫の山から降りてくる。孤狼がすぐさま行動を起こさないことを見て取ると男達の前まで悠々と歩いて行った。


「これ以上状況が悪化すりゃどうだかは知らんが……今のとこは本当に手出ししてこねえみたいだな……。お前達、よくやった」

「は、はは。ありがとうございます」


 笑みを浮かべるヴァンデルに、男が答える。


「本当、よくもやってくれたよ」


 そう言って。ヴァンデルが無造作に伸ばした手が眼前の男の首を鷲掴みにする。


「ヴァ、ヴァンデル……様?」

「興が覚めたじゃねえか。どうしてくれるんだ?」


 言うが早いか、骨の折れる音を立てて男の身体が崩れ落ちた。ゴーレムの制御を担っていたようで、白狼を拘束する鎖を握っていたそれが、土塊となって潰れてしまう。


「な、何を……!?」

「戦いに横槍入れられるのが一番ムカつくんだよ。濁るだろうが」


 白狼に視線を向けると言った。番と思われる白狼を孤狼が庇うだとか、或いは白狼が命を落として逆上するだとか。そんな形での戦いになることをヴァンデルは望んでいない。

 そのあたりの有象無象ならともかく、自身に手傷を負わせるような貴重な相手だというのに。

 結局、ヴァンデル自身はどこまで行っても戦闘狂なのだ。付随する理由などはどうでもいい。


 帝国としては孤狼が王国に齎す混乱や人質としての利用価値を期待して白狼を連れ去ったところはある。実際に孤狼に対する有効性も確認されたが、それがどれほどのものかとヴァンデルは懐疑的であった。


 孤狼がどういう判断や価値基準で動いているのかは分からないが、仮に自分の命が危険に曝されるようなことになったとして、領域主としての目的のようなものがあるとするならば、そちらを人質よりも優先して動かないという保障はどこにもないのだから。


「皇子ヴァンデルとして命令を書き換える。好きにしろ」


 従属の輪による命令が上位者によって書き換えられた。その身体を苛む痛みが消え、白狼は些か状況の変化に戸惑いつつも、よろめきながら孤狼の元へと向かう。


 男達は白狼に向かって止まれだとか戻ってこいだとか叫ぶが、その歩みは止まらない。


「こ、このような勝手をなさって御父君が何と仰るか……」

「確かに面倒なことになるかもな。だがご覧の通りだ。どいつもこいつも逃げ出してて目撃者がいねえ」


 恨みがましそうな目を向ける男に、ヴァンデルは笑いながら肩を竦める。


「な……」

「てめえらが入れた横槍だろうが。なら、てめえらでどうにかするんだな」


 絶句する男に、ヴァンデルはそう言ってから後は自由にしろというように、軽く跳躍して少し離れた位置に移動する。


 一方の孤狼はと言えば少し前に進んで白狼を気遣うように迎え、傷の様子であるとかを見ていたようだ。ただ、現状はできる事がない。ここからどう動くかを考えるかのように視線を動かし――男達の方に向けられたのが契機となった。


「う、うわあああ!」


 その瞬間、緊張の糸が切れたのか、男の内1人が火球の魔法を放つ。孤狼は白狼を庇って射線に出て、その身を盾にした。当然、その程度の魔法が通じるはずもない。

 口火を切ってしまった以上は、後は転がるしかない。もう動くしかないという大樹海で作戦行動をできる判断力を備えていたのも、男達にとっては不幸だったと言えるだろう。或いは――白狼を守らせることで退路の確保ができるかも知れない。そんな望みを抱いてしまった。


 最初の男に続こうとし、武器を抜き、術を使おうとする。その動きを見て孤狼も即座に対処に移った。


 攻撃は地面の下から。巨大な群狼が男達を纏めて呑み込む。悲鳴すら上げる間もなく、何が起こったのかもわからないまま。男達との戦いはそれで終わりだった。


 その場に残ったのは孤狼と白狼。それからヴァンデルだけだ。

 孤狼にとってヴァンデルは狩る対象ではあるだろう。ただ――弱った白狼が共にいる事を考えると、この場で戦いを続行するというのも躊躇われる状況であった。


 ヴァンデルはどちらでもいい。この場で決着をつけるというのなら応じるまでだ。孤狼のような相手との戦いに不純物が混ざらなければ、それで良いのだから。


 孤狼は静かに。ヴァンデルは笑って。暫くの間お互いの目を見ていたが、やがて孤狼は興味を失ったというように、白狼の方に視線を向けた。被毛を絡めるようにしてその背に白狼を乗せて結わえると、軽く跳躍してその場から消えていく。


「面白え戦いだったんだが……ままならねえもんだな、クソが」


 ヴァンデルが悪態を吐く。今回の戦いは自分の負けだろうとも理解している。

 孤狼に対する大技は外されて不発。自分は手傷を負う事になり、人員は損耗。城は派手に破壊され、番も奪い返された。


 孤狼との再戦を望んではいるが、その前に皇帝エルンストがどう動くかを考える必要があった。


 処罰、という点ではあまり危惧する必要がない。戦いにしか興味のないヴァンデルに対し、エルンストは権力を脅かさない相手だと理解しているからだ。戦いの場という飴を与えていればそれで満足する戦闘狂の暴力装置。そういう扱いと認識であり、ヴァンデルもまたそれでいいと思っている。


 ただ、人員の防衛などに不向きと判断されて、大樹海からは一旦遠ざけられる可能性はある。

 次の任務に就くとしたら北方の平定に戻る形になるだろうか。ヴァンデルが北方の討伐から抜けたことで形勢が若干押し戻されているという話を耳にしたからだ。

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