第149話 狼の領域主
凄まじい速度で突っ込んでくる孤狼を、ヴァンデルは体術とその拳足を以って迎え撃つ。青白い輝きを纏う狼の突進と、ヴァンデルの紫色の魔力を宿した拳がぶつかり合ってお互い弾かれ、次の瞬間には再び激突していく。
膂力と速度という点では同等。しかし体格と体重という点では孤狼が勝る。だから、まともにぶつかり合い、組み合えば押し負る。だからこそヴァンデルは勢いに乗ったままの機動戦を挑む。右に左に。爆発的な踏み込みで跳んで、すれ違いざまに切り結ぶような攻防だ。孤狼もまた、機動力を活かした戦い方を得意としているのか、それに乗ってくる。
攻撃をぶつけ、逸らし、僅かな隙間に攻撃をねじ込む。
交差しては弾かれる二つの輝きと共に無数の衝撃が弾けて散る。
孤狼はその巨体故に小回りが利かないのかと思えば、全くそんなことはなかった。
その身体を覆う被毛が多様に変化するからだ。束ねられて槍衾のように繰り出されるし、身体のどこからでも魔弾を撃ち出す砲口にも成り得る。
攻撃だけでなく、防御と探知にも使っている。手であり足であり、鎧であり、触覚でもある。要するに巨大な狼の姿形をしているが、体勢を崩すだとどこから攻め入れば付け入る隙があるだとか、そういう弱点らしい弱点がない。
何度かヴァンデルの一撃も孤狼を捉えてはいるが、手応えが不十分だ。防御力は非常に高い。
加えて、長寿故に戦闘経験が豊富なのだろう。押し引きの駆け引きに加えてその攻防に虚実を交える。突進かと思えば横跳びに離脱しながら魔弾をばら撒いて。しかしそれはヴァンデルを狙ったものではない。地面に叩きつける事で土煙を舞い上げ、そうする事で次の一撃を見切りにくくしてくる。
僅かな土煙の動きでヴァンデルは孤狼の攻撃方向を見切って迎え撃つが――それよりも早く刺突の一撃がヴァンデルの目を穿つ軌道で放たれていた。
孤独狼の額あたりの被毛が束ねられ、さながら角のような変化を見せている。間合いを狂わせて急所を差し穿つ。意図を以って戦いの流れを作る。そういう駆け引きのできる化け物だという事だ。
突き込まれる刺突に目蓋を閉じ、顔を逸らすようにして対応する。がりがりと先端が目蓋の表面を薙いでいくが、その目蓋を切り裂くまで至らない。堅牢無比にして怪力無双。凄まじい反射速度で角毛を掴み取り、投げ技を繰り出そうとするも、硬化していた被毛がしなりを見せて、ヴァンデルの身体の方が空中に投げ出されていた。
否。変化の意図を汲み取ってヴァンデルの方から跳んだのだ。城の壁を蹴り崩し、楽しそうな哄笑を上げながらヴァンデルは反射するように孤狼に突っ込むが――。
そこに衝撃咆哮が放たれていた。
「オォラッ!」
真っ向。勢いのままに魔力を重ねた両拳に集め、裂帛の気合と共に叩き潰すように振るう。衝撃波と鉄槌がぶつかり合って爆ぜる。この攻撃は危険だと本能的な部分でヴァンデルは理解した。表面ではなく、内部から破壊するような性質を持つ術。まともに受ければヴァンデルとてダメージは免れ得ない。
相殺の衝撃に乗るように軌道を変えて、二度、三度と城を蹴り崩してヴァンデルは跳躍を繰り返す。軌道を変えて地面に降り立つと、低い姿勢で疾駆した。
孤狼も大きく跳躍し、身を翻しながら右に左に跳んで迎え撃つ。城の壁も柱も戦いの中でお構いなしにぶち抜き、砕きながらもヴァンデルと孤狼が幾度も交錯する。
孤狼は――まだ大顎で噛みつくような攻撃を一度も見せてこない。
通常、獣であれば咬合こそ最大の攻撃なのだろうが、被毛がない部分での攻撃は最大の弱点にも成り得る。おいそれとは手札として見せないという事だろう。
その警戒は当たっている。ヴァンデルは溜め込んだ魔力を爆発的に瞬間放出することで、口腔内部からの破壊を視野に入れている。
徒手空拳が基本ではあるが、至近距離での切り札もあるということだ。
だが、孤狼は安易にはそうした攻撃に出ない。掠めていくような被毛の斬撃。衝撃咆哮。体当たり。
戦いの中でヴァンデルは牙を剝くように笑う。強大な身体能力と魔力。技術と駆け引き。これ以上を望めない程の獲物だ。
城の壁を砕き、柱をへし折りぶち抜いて。一人と一匹は縦横に駆ける。破壊と轟音を撒き散らし、城の内部から中庭へ。中庭から再び城の内部へと。目まぐるしく場所を移しながらぶつかり合う。
すれ違いざま。腕に魔力を集中させたヴァンデルは、さながら爪で引き裂くように下から上へと振り上げて孤狼を迎え撃った。紫色の魔力の輝きを宿す斬撃は孤狼の脇腹を掠め、城の壁を爪痕そのままに抉り取る。魔力を集中させた手刀であれば壁をも切り裂き、抜き手であるなら鉄鎧にすら穴を穿つ。
武具よりも頑強で殺傷力が高いからこそ。それを誇りにしているからこそ徒手空拳。
建造物はヴァンデルと孤狼にとって何の障害物にもならない。勢いに乗って、両者の速度はどんどん上がっていく。ただ――最高速という点で言うなら孤狼の方が上回る。だから孤狼が攻め、ヴァンデルが迎撃に回る形が増えていく。
不意に――壁をぶち抜き、孤狼がヴァンデルの視界から消える。
逃げた、わけではない。次で勝負に出てくる、と直感的にヴァンデルは理解していた。様子見の小競り合いや今まで繰り出した攻撃程度では互いの命までには届かないからだ。
あれは消耗戦を仕掛けるわけではなく、こちらを確実かつ迅速に仕留めにかかっている。報復行動に移った領域主としての矜持か。戦士として決着に拘わっているのか。
それは分からないが孤狼にはここで逃亡を選択する理由がない。更に速度を増しながらつかず離れずの距離を疾駆する蒼銀の影に対し、ヴァンデルは逆に動きを止めると、腰を落として床を割り砕くようにして構えを取った。
どちらにせよ、一度視界から消えた孤狼の方が速度で勝るのだ。ヴァンデルから追って間合いを詰める事はできない。だから。ぶつかり合うその瞬間の為に。魔力を高める。紫色の火花が牙を剝いて獰猛に笑うヴァンデルの四肢から散った。
一瞬の静寂。次の瞬間に横合いから壁をぶち抜き、青白い影が大顎を開いて突っ込んでくる。フェイントをかけて止まれる速度、間合いではない。
尋常ならざる反応速度を見せたヴァンデルが紫電を放つ拳で迎え撃つ。鋭い牙を備えた口腔内部に拳を叩き込めば、狼の頭部が内側から消し飛び、魔力が炸裂し、破壊の余波を狼の後方に撒き散らした。
「――違、う!?」
手応えがおかしい。脆すぎる。青い輝きを纏う巨大な狼ではあるが、孤狼ではない。
ヴァンデルの背筋に冷たいものが奔った。
頭部を粉砕されたそれは狼の首の形をした魔力の塊のようなものだ。形が崩れて消失してしまう。
ヴァンデルの勘違いは一つ。狼の最大の武器は牙ではない。
群れである事だ。
何かを使役しているのか。孤狼が作り出した術なのかは分からない。分からないがたった一つの意志によって完璧に統率された群れと共に狩りをすることができる。
単独にして群れ。「狼」の領域主。それが彷徨する孤狼の正体だ。
僅かな時間差を置いて、四方八方から、狼の首が壁を、床を、天井をぶち抜いてヴァンデルに迫る。力の放出の余波で、対応が僅かに遅れた。肩口に。足に。脇腹に。狼が食らいつく。
群狼一匹一匹も、咬合の力はすさまじいものがある。ヴァンデルでなければ即座にバラバラになっていただろう
だが、この程度ではヴァンデルの防御能力を抜けない。牙が肉を抉る事はない。ミシミシと音を立てながら拘束を破ろうとするもそこに、本体が凄まじい速度で自ら突進してきた。
わざわざ防御力の低い部位を晒しはしない。ただ青白い輝きを纏ったままの、巨体による突撃。まだ自由になっている左腕で防御に回るも、激突の衝撃を殺し切れるはずもない。手もなく吹き飛ばされた。
否。群狼達が突撃の勢いに乗せる形で重心を崩したのだ。そればかりか衝突の勢いを増加させるようにぶつけられて、ヴァンデルは後方に群狼ごと吹き飛ばされていた。
壁をぶち抜き、城の一角を崩しながらも瓦礫の中に叩き込まれる。
顔を上げたヴァンデルが目にしたのは、突撃を仕掛けた位置から動かず、衝撃咆哮を放とうとする孤狼の姿だった。呼応するように噛みついたまま動きを封じている群狼達が白く白くその輝きを増していく。
「こい、つら――!」
共鳴と、誘爆。
迫る衝撃咆哮がヴァンデルを捉える。衝撃咆哮が群狼ごとを巻き込むように触れた瞬間、着弾点を中心に凄まじい爆発が起きた。
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