第145話 蒼銀疾駆

 辺境伯領の領民と話をし、行き交う人々を見て、武官達の巡回の様子やその方法等を当人達から聞く。リチャードやジェローム、その部下の武官達はあちこちの村落の領民からも顔を知られている。


 お礼を言われる等、行く先々で朗らかに迎えられていて、武官達が普段から領内を守るためにしっかりと巡回をしているというのがよく分かる光景だった。


 シェリーは熱心に領内の視察をして、感心しながらも気になったことを質問する。

 クレアもまた、アルヴィレトのことを考えるならば辺境伯家の領地巡回には学ぶべきことも多くあるのか、真剣な様子でニコラスとシェリーのやり取りに耳を傾けていた。


 街道を進んでいくが、やはり鉱山方面に続く道に進んでいけばいくほど、人通りも拠点も少なくなっていくのが見て取れた。


「鉱山竜の影響というわけね。聞いてはいたけれど……」

「昔はこの道もかなり賑わっていたみたいだよ」

「伯爵領側もそうですが、鉱山竜が住み着いて、段々と寂れていってしまったのですわ」

「ですが、きっとこれから人の往来も戻ってくるかと」


 そんな話をしながらも、やがて目的の場所の近くまでやって来る。


「開拓村の予定地までは馬車では進めませんな。どうなさいますか?」

「行きます。遠くからではなく実際に見ておきたいと思うので」


 リチャードが尋ねるとシェリーは迷わずに答えた。


「わかりました。道は悪いのでお気をつけ下さい」

「足下は森歩きの術で多少緩和できるかと」


 クレアが言うとリチャードも頷き、馬車から降りて小道を進む。

 小道は猟師が使っているような道で大樹海外の小さな森へと続いていた。森に川や泉があり、井戸を掘る前の段階でも水源を確保できるというのが選定理由だ。ただ、今の話をするのならディアナが辺境伯家に持ち込んだ魔道具もあるので、水の確保だけならもう少し楽になるかも知れない。


 また、普通の魔物が紛れる可能性があるから完全に安全とは言わないまでも比較的安全な森があるというのも資源の確保という面で言うなら利点となる。

 

「実際の開拓村はこの森の外れを拓く形になりますな。つまりこの辺りから森の外縁部辺りが後々の村となる、というわけです」

「草を刈り、木々を切り倒し、根を掘り返して井戸を掘り、家を建て、石を除けて耕し田畑を作り……と、骨の折れる作業ではありますな」

「この場所を村にしていく……。実際に見ると大変なものですね。近くに大樹海もありますし」


 シェリーは周囲を見回し、鬱蒼とした茂みや森、まだ少し離れたところに広がっている大樹海にそんな感想を漏らす。


「魔物に警戒する必要もありますな。開拓民は街道沿いに天幕を張ってそこで過ごしながら開拓するか。近隣の村から通いながら進めるか、といったところですが……まあ、それは普通ならば、の話でしょう」

「普通ならば?」

「今回はクレア嬢がここに拠点を構えたいという事ですからな。ディアナ殿も腕のいい魔法道具職人ですが、大樹海の素材確保を考えて開拓村ができれば逗留するという話ですし」

「ああ。それは納得です」


 リチャードの言いたい事を察したのか、シェリーが微笑んで応じた。


「まあ、そうですね。森の開拓や開墾に関してならエルムが色々と手伝ってくれると思いますから」


 クレアの言葉を受けて顔を出したエルムが「ん」と頷き、蔦の触腕を伸ばすと指し示した先の草が踊り出す。


「植物を操る……。面白い力を持っているのだな、エルムは」

「特殊個体のアルラウネ、か」


 リチャードとジェロームは感心し、領域主を倒した時の種だろうなと察しがついているニコラスは特殊個体という言葉に納得したように頷く。


「可愛らしいアルラウネというだけではなかったのね」

「ん」


 シェリーが言うと、エルムは笑みを浮かべて応じた。


 開拓予定地を下見していたクレア達であるが――その光景を眺めていたロナがぴくりと反応して大樹海の方へと視線を向ける。一瞬遅れてクレアも同じような反応をしてから大樹海の方に顔を向けた。


「クレア」

「はい。こっちでも感知できました。結構遠くですが……いますね」


 ロナやクレアが平常時に感知できる、ぎりぎりの位置だ。大きな魔力反応が感知可能な距離に入って来たのである。


「……彷徨する孤狼かな?」

「ああ。距離的にはまだ遠いがね」


 二人の雰囲気が変化した事を察したリチャードが尋ねると、ロナが答えた。周囲にも緊張が走り、ジェロームが口を開く。


「……そろそろ撤収するのが良さそうですね」

「そうだな。警戒態勢を敷きつつ、同行者を守る形で隊列を組め。すぐに出発する」

「はっ」


 リチャードの指示を受けると、すぐさま部隊が動き出す。その時だ。


 遠くから聞こえてきた音がある。


「……遠吠え? 綺麗な声」

「確かに綺麗ですが……」


 シェリーが呟くとクレアも目を細める。そう孤狼の遠吠えだ。高く、高く。どこまでも伸びあがるような。遠くから響き渡る狼の声。その声はどこか寂しそうな気もした。或いは孤狼という名前がクレア達にそう思わせるのか。


 だが事態はそれに留まらず、その思考自体が中断させられた。呼応するように、あちこちで狼の遠吠えが聞こえてきたのだ。

 大樹海にいる狼魔物の声。それに開拓予定地に隣接する森でも、普通の狼と思われる遠吠えが響く。


「こいつは――」

「孤狼だけでなく、他の狼の遠吠えからも魔力を感じますわ……」


 孤狼の声に連動してか、魔力反応を観測したのだろう。セレーナが言う。


「あの遠吠えは孤狼の術のようなものか」

「だとするなら、効果は何かしら――?」


 グライフとディアナが言う。


「はっきりとは分からないけど……撤退を急いだほうが良さそうな気がする」


 ニコラスもそう応じ、自身の武装が積んである馬車の方を見やる。シェリーの護衛ということで、しっかりとした自分用の武器を持ってきている。

 言葉を交わしながらも既に部隊はシェリーやクレア達を中心に防備を固め、移動を始めていた。


「分かったよ。あの遠吠えの術――効果は広範囲の探知だ」


 感じ取った魔力波長等から分析していたのだろう。ロナがその効果を口にした。


 音に魔力を乗せ、遠吠えに応じた狼達の効果で範囲を拡大し、音が聞こえる範囲――つまり空気の振動に触れた物の形を探る。


 クレア達の居場所は部隊ごと結界で隠してはいる。隠してはいるが、部隊の人数、範囲が広がってしまうからこそ、広範囲を丸ごと覆う探知術であれば「そこによく分からないが何かがある」というのを察知できる……かも知れない。


 鉱山竜がやった咆哮によるエコーロケーションに似ているが、あれは既に戦闘に突入していたから隠蔽結界自体が効力を発揮しない状態ではあった。だから、これでクレア達の存在に気付いたとするなら、似てはいるが違うものであろう。


「こちらに気付いたと思いますか?」

「そこまでは分からんね。今の術の探知能力次第か」


 ロナが答えるが――状況は更に変化していた。クレアも孤狼の動きに注意を払っていたが、その行動に声を漏らす。


「森歩きの術――?」


 孤狼の前方に向かって、森歩きの術が伸びた。長く長く。雷のようにジグザグの軌道を描いて伸びていく。

 術はクレア達の使っているものと同じだが、その使い方が違う。クレア達のそれは隠蔽結界の及ぶ身辺の周りの木々を除けるだけだ。だが、孤狼の森歩きの術は、自分の所在を知られても一向に構わないというような使い方で。そうやって作り上げた前方の「道」に向かって、孤狼が跳んだ。


 右に左に。雷のように折れ曲がった「道」を跳んで、跳んで。凄まじい速度で森の中を移動していく。


「っ! こっちに気付いてるよ!」

「前方に回り込んできます!」


 意図を察知したクレアとロナが声を上げる。



 孤狼は――クレア達とは最初自身の向いている方向――クレア達のいる場所とは全くの別方向へと跳んだ。しかしそれ自体が偽装だ。

 複雑な軌道を描いて跳ぶことで、孤狼の存在や移動に気付いても対処を一歩遅らせるための手。


「総員! 構えろ! だが、指示があるまでこちらからは仕掛けるな!」


 リチャードが腰の剣に手をかけて指示を出す。

 クレア達の進行方向側――街道に面した大樹海の木々の一部が森歩きの術で除けられたかと思いきや、疾風のような速度で大樹海を抜けてきた孤狼がその姿を現す。


 勢い余って、四肢で地面に弧を描くようにして向きを変え、巨大な狼が部隊の前方に回り込んでくる。


 少しの距離はあるが何の隔たりもなく、互いが目視できる位置。それがクレア達の前方を塞ぐような位置に出現していた。

 蒼銀の被毛。金色の瞳。目は血走った獣のそれではなく、確かな知性を感じさせる。領域主、彷徨する孤狼であった。

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