第264話 去来する想い

 巨人族の居住地に張る結界は認識阻害、魔物除け、環境の変化。それから、環境維持だ。


 認識阻害は小人化を解いた際に偶々見かけた程度では違和感を覚えない、といったものだ。最初からそれと知って注意を払っていればそれに気付くこともできるかも知れないが。


 魔物避けは基本的な結界だ。特殊な場所ではあるが、大樹海が近いことには変わりなく、そのあたりは必要なものだ。残りの二つは氷晶樹の育成環境を構築して維持するためのものだが、巨人族にとっても寒さは平気というよりも、割と過ごしやすいものであるらしい。


 クレアは丁寧に結界を構築していく。居住地の中心に要石と祠。石に厳冬を表す古代文字を刻み、柵の周辺に氷晶樹の枝や葉を等間隔で埋めて、魔法的な意味を付与していった。


「4重もの結界……簡単そうに構築していくのね……」

「それだけロナ殿の指導が素晴らしいものだったということだろう」


 シルヴィアとルーファスはクレアの作業風景を見守りながら頷き合う。


「改めて感謝を伝えます、ロナ様」

「そうだな。感謝してもし切れない。本当に、娘を立派に育てて下さった。魔法の事もそうだが――その心も」


 シルヴィアが近くにいたロナにそう声をかけると、ルーファスも一礼する。


「買い被りさね。クレアの気性は最初からあんなもんだったよ。魔法の才能もあったが……あれは魔法の修行自体が楽しめてたんだろうねえ」

「苦労を苦労と思わなかった、ということですね」

「そういうことさね」

「ですが、そう思えるよう指導し、その心の在り方を肯定して下さったのは、やはりロナ様ですから」


 そう言ってにこにこと微笑むシルヴィアと、静かに頷くルーファスに、ロナは軽く肩を竦める。


「まあ……その言葉は受け取っとくよ。だからってあんまり上に置くような堅苦しいのはやめとくれ」

「わかりました」


 シルヴィアが笑って応じる。


「セレーナさんやグライフも、クレアは随分と信頼しているみたいね」

「仲良くさせてもらっていますわ」

「私もクレア嬢のことは信頼しています」


 嬉しそうに笑うセレーナと共に静かに答えるグライフである。


「出会いや、クレアとのお話も聞かせてもらえると嬉しいわ」

「ふむ」

「勿論ですわ」

「喜んで」


 そうしてロナ達は出会った時の話やクレアとの思い出、潜り抜けた戦いといったことをシルヴィアに伝えていく。

 クレアの作業風景を見ながらも、時間はそうして過ぎていった。


 やがて構築した結界をクレアが展開すると、周囲の空気が北国のようにひんやりとしてくる。


「おお……」

「どうですかね。このぐらいの寒さで問題ありませんか?」

「問題ないよー」

「あの森みたいな感じがする!」


 クレアが巨人族に尋ねると、元気のよい返事が返って来た。


「それではエルム」

「ん。少し……魔力貸して」

「わかりました」


 クレアはエルムに糸を伸ばし。手に絡ませる。


「それじゃあ、始める」


 エルムはクレアから魔力の支援を受けつつ、蔦と根を伸ばしてあちこちの地面に突き刺す。まずは土地。地質の改造からだ。氷晶樹の生育に適した土壌のバランスに。あの土地で調べた時のものに作り替える。


 クレアの魔力も借りたその魔力は相当なものだ。傍から見ていた者達が思わず見入り、驚く程の魔力が発せられていた。


 その作業が終わるとクレアの鞄から苗木や果実を出して、それらを間隔を開けつつ植えていく。蔦が苗木や埋めた果実に伸びると――すぐに変化が生じた。苗木は若木へ。果実は苗木へ。それぞれに成長したのだ。その際も一際強い魔力が発せられていて、植物を操るエルムをして、氷晶樹は一筋縄にはいかないものではあるらしい。


 それでも、生育を急激に促すことは可能だ。若木に果実が実るところまで力を込めると、エルムは不意に脱力した。


「ん」

「ありがとうございます、エルム」

「ん。つかれたから、眠る」

「はい。休んでいて下さい」


 クレアはエルムを小さくして襟元に迎える。エルムも心得たもので、居心地のいい場所を見つけるとそのまま心地よさそうに目を閉じて眠ってしまった。


「お疲れ様でした、エルム」


 クレアはそんなエルムにそっとねぎらいの言葉をかけ、それから巨人族達に向き直る。


「さて……一応、これで完成です。天幕の設置等を進めてしまって大丈夫ですよ」

「ありがとうございました、クレア様」

「ありがとう、お姉ちゃん!」


 そんな巨人族の声にクレアは少しだけ笑みを見せて頷く。表情の変化は巨人族にも伝わったのか、子供達は嬉しそうに駆けて行くと、早速母子で天幕の設営を始めていた。


 戻って来たクレアにも皆が労いの言葉をかけ、そうして巨人族の作業風景を見守りながら話をする。


「後は――ルシアさん達が戻ってくるまで待つ形ですね。それまでは開拓村で過ごせるかと」

「オーヴェル卿の墓前に挨拶をしておきたいのだけれど、その時間はある、かしら?」

「あたしは問題ないよ」



 ロナがシルヴィアの言葉に答えると、クレアも頷いた。


「大丈夫だと思います。戻ってくるまで1日か2日の時間があると思いますので。ただ……大樹海に入ることにはなりますが」

「大樹海で暮らしていたと言っていたものね」

「行き違いにならないよう、伝言を承りますわ。巨人族の皆様もお守りします」

「私も残るわ。私達の間の者が不在になってしまうのもどうかと思うから」


 セレーナが言うとディアナもそう応じる。

 クレアとロナ、シルヴィア、ルーファス。それからグライフやジュディスといった者達が護衛について、巨人族の守りにアストリッドやウィリアム、イライザ達がつく。


 そうしてクレア達は早めに戻ると伝え、ロナの庵へと向かうこととなった。


 大樹海の移動は、ルーファスを連れて行った時のこともあり、森歩きの術と運搬用のゴーレムも用いて、前回よりもスムーズに移動することができた。


「すごいわね。木々の方が勝手に避けて……しかもこの、高度な隠蔽と探知……」

「んー。お母さんに少し良いところが見せられて嬉しいかも知れません」

「ふふ」


 森歩きの術にシルヴィアは感心の言葉を漏らし、クレアとそんなやり取りを交わす。


 安全第一であるために魔物は避けて迂回して進んだが、特に問題なくクレア達は庵に到着することができた。ジュディスも終始警戒を払っていたが、あまりに順調に辿り着いたので目を瞬かせていた。


「ここが……クレアが育った庵……」


 シルヴィアは少しの間ロナの庵の光景に物思いに浸っている様子であった。ここでの温かで静かな暮らしを想像し、胸が締め付けられるような郷愁と、自分がここにいられなかったことを少し悔しく想う気持ちと。今笑っていてくれることへの喜びと。色々な気持ちが胸の内に溢れて、それからシルヴィアはクレアに穏やかな笑みを向けた。


「……うん。静かで温かくて。素敵な場所だわ」

「――はい」


 そう言って。クレア達は裏手にあるオーヴェル達の墓所へと向かった。


「私は前に来たが――ここは、陽当たりが良いな。本当に……いい場所だ」

「オーヴェル卿もみんなも……。ありがとう。どうか私達のことを、見守っていてね」


 ルーファスの言葉に頷き、シルヴィアは黙祷を捧げる。強く、優しい人物だった。他の者達も。クレアの命が繋がれたのはオーヴェルだったからだ。オーヴェルがそこまで辿り着くことができたのも、周囲の者達が支えたからだ。再会は叶わなかったのは残念だが、それでも感謝の念と、追悼の想いは変わらない。


「師匠……。お久しぶりです」


 ジュディスもまた、オーヴェルの弟子だった人物だ。かなり長い間黙祷を捧げていた。クレアもまた、改めてオーヴェルへの感謝と冥福を祈り、静かな時間が過ぎていくのであった。

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