第182話 いつか歩き出す時のために
クレアはまだ考えているようではあったが、調査活動は続行している。
昼間は看守も人質達も活動が増えて情報量が多くなる。構造把握よりも漏れ聞こえてくる会話やその行動等に目を向ける形だ。
朝食の席で人質達の人数や顔触れは確認したが……その中にルーファスはいなかった。ただ、塔側にも食事を運んでいたから、そちらも確認する必要はあるだろう。
南棟にいる人質達は食堂に集まった者達で40名程。
その朝食も終わり、人質達は監獄内の作業に従事しているところだ。
作業、といっても然程過酷なものではないように見える。ポーション用に栽培している畑の規模も大きなものではないし、開墾等の重作業をしているわけではない。
クレアの糸で風景を映し出して音や声を集め、それらから皆で手分けして情報を得ていく。
全てを1人で追うのは情報が煩雑になり過ぎるが、それぞれ担当を付ければ問題はなくなるということで、クレアは共同スペースの中心に陣取り、目を閉じて糸の制御に集中する。
協力者の候補になりそうな相手、看守の中で注意を払う必要がありそうな人物、ルーファスに関する情報が出ればそれらの情報を共有。それ以外は、後程皆で共有といった形で情報収集の作業を進めていく。
多方面から情報を集めているということもあり、人質達の作業については何種類かある事が分かる。
農作業と写本だ。どちらも過酷な作業というわけではなさそうな内容だが、ポーションは軍需物資になるし、写本も帝国の歴史書といった書物であったりと、どちらも帝国の国力を増大させるだとか、人質達を帝国に取り込むような方向を兼ねているというのが窺える。
ポーションは勿論のこと、仕上がった本自体もどこか帝国の役に立つと思われる場所と方法で用いられる事になるのだろう。
看守や人質達の健康を維持するために医務室も存在している。収監されているのが囚人ではなく人質であるからこそ、その扱いについてはある程度まともな部分もあるようだが、実情や背景としては人質の服従や懐柔を目的としたものだ。
王族、貴族、部族長やその血縁者には固有魔法が発現する可能性も高い。そういった血を帝室や帝国高位の貴族に取り込みたいからこその行動であるため、その扱いを以てして、まともである等と言えるようなものではなかった。
そんな中で、ちょっとした騒ぎが起こる。
『こんなことやっていられるか』
と、そう言って手にしていた羽根ペンを投げ捨てたのは従属の輪をつけられた少年だった。気の強そうな眼差しの少年だ。
『ペンを拾って作業を続けろ』
『嫌だ』
少年がそう口にした瞬間、従属の輪が発動したのか。輪に小さな火花が散り、少年が首元や腹部を抑えて顔をしかめる。強い痛みが少年の身体に走っているのだろう。それでも少年は看守に反抗的な眼差しを向け、投げ出した羽根ペンも拾おうとはしなかった。椅子から床に崩れるが、そのまま看守を睨み上げる。
『……お前はまだ来て日が浅いからまだよく分かっていないようだがな。我ら逆らえばその輪がお前に痛みを与えるぞ? 何度も繰り返して決定的な真似をするならば命を落とすこととてある』
『やって、られな、いと言ったんだ。こんな帝国を賛美する、よう、な内容の、本を増やす、など……我が一族の、誇りにっ……』
脂汗を流しながら言う少年の言葉に、周辺にいた者達も心配そうな目を向ける。従属の輪が与える痛みも、帝国に抱く反抗心も彼らには理解できるものなのだろう。
そんな中で立ち上がって一歩前に出た者がいる。
『まだ年端もいかない子だ。来てから日も浅い。それほど目くじらを立てなくても良いんじゃないか?』
『……ユリアンか。お前も他人の事等気にせず作業に戻れ。その調子では従属の輪も外れる日が来ないぞ』
『っ……。いやあ、今回は頼むよ。この子には俺から言い聞かせておくからさ』
ユリアンと名乗る男の付けていた従属の輪も発動する。ユリアンは痛みに少し顔をしかめながらも、肩を竦めて言った。
看守は少し考えた後で良い事を思いついたというように笑ってユリアンに言う。
「ならば次までにそいつが命令に逆らうような事がないように、お前が言い含めておけ。次からそうなった場合、お前の命令違反として扱うことにしよう」
「あー……」
ユリアンは曖昧に笑って頬を掻く。
「お前達二人は輪が発動しているからな。くくっ。痛みも辛かろうから休んでも良い。だが、昼食後に作業を再開しろ」
痛みが引いてきて二人が息を吐くが……休ませる、というよりも説得のために与えた猶予でしかない。
「立てるかい? 少し隅の方に行こう」
ユリアンが少年に手を差し伸べる。少年はおずおずとユリアンの手を取り、立ち上がると作業場の隅に移動し、そこにある椅子に腰かけた。クレア達もその時にはその騒ぎを感知していて、各種感知の糸がその後を追う。
「……すまない。貴方に迷惑をかけてしまった。僕の名はベルザリオという。ベルザリオ=ラベニウス」
ベルザリオは申し訳なさそうに言う。
「ユリアン=グロークスだ。まあ、気にするな。こういう方法で動かしやすくしているんだろう。ああ。輪がついている時のコツとしては……言い回しに気を付けると良い」
「言い回し?」
「そう。主語を明確にしないだとか、伝聞系にするだとか……敵意が感じられる言葉を使わないだとか逆の意味の言葉で皮肉を言うとかね。上手くすれば仲間内なら軽い愚痴ぐらいは気軽にできるぞ」
ユリアンがにやっと笑う。ベルザリオは少しきょとんとした後でユリアンの言いたい事を察したのか苦笑する。
「そう、か。僕は暫く上手く喋れなさそうだな」
「いずれ加減も分かってくるさ」
ユリアンが言っているのは、多少の不満ぐらいなら従属の輪に判断されない程度の会話はできる、という話だ。とはいえそれも看守相手でなければという話で、ぼかした言い回しや言葉の意味を逆にしたところで、看守達から意図を答えろだとか問い詰められたり、皮肉だろうと看破されたりすれば、やはり輪の発動は免れ得ない。
輪は言動や具体的行動に対して発動するものだ。
仮に従属の輪が内心にまで踏み込むようなものであれば、相手が死んでしまうか、痛みに正気を失うまで発動し続けるという事も有り得る。
魔物を調教するために作られたものである以上、服従の態度なり一先ずの鎮静を見せれば痛みも収められるようにはなっている。
「こんな形で、考えていることと行動が……一致しないまま過ごすなんていうのは、一族の誇りとは――違うものだと思う」
言葉を選びながらベルザリオが言った。従属の輪は発動していない。ユリアンは目を細めて、少し眩しいものを見るように笑みを浮かべた。
「確かにねえ。君が言ったように、思う事というのはこうなっていても止めることはできない」
ユリアンは自身の心臓のあたりに手をやる。
「思う事……」
ベルザリオが言うとユリアンは頷き、真剣な表情になるとその顔を真正面から見返す。
「今は隠し……いや、うまくやるのさ。繰り返される痛みで心が折れないように。将来の自分ではなく、今日思った通りに歩き出す時のために」
そう言ってユリアンは笑った。
「とまあ……こんなことを言っちゃいるけど、本当は俺が痛いのが嫌だから君の事を丸め込もうとしているだけかも知れないし、本当は立場や目的が君とは反するのに信用させようと行動している汚い奴かも知れない。こういう状況だからね。同じ立ち位置だからと盲信するのも良くないね」
立場や目的が反する。つまり味方面をする帝国の回し者かも知れないから気をつけろと。ユリアンはそう言っているのだ。それはユリアンに限った話ではない。
「そう、か」
「そうさ」
ユリアンの顔を見ていたベルザリオだったが、やがて頭を下げる。
「いや、金言だ……。ありがとう。次からは貴方の手を煩わせるような事はしない」
「それでいい」
そして――そんなやり取りに他の情報収集を一旦中断し、皆で注目していたのはクレア達だ。糸繭の中で顔を見合わせると頷き合うのであった。
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