第157話 潜んでいたもの

 大きな蛇の魔物も、樹上から迫って来た猿の魔物達も、植物に擬態した昆虫型の魔物も。いずれもクレアと満足に交戦するにまで至らない。

 ある者は粘着質に変化した糸の網に絡めとられてファランクス人形の槍に貫かれ、ある者は遠くから飛来する狩人人形の矢に撃ち抜かれ、ある者は樹木ごと薙ぎ払うような糸の斬撃に身体を断ち切られる。


 淀まず、留まらず、流れるようにクレアの魔力反応が現れては隠されて、同時にそれ以上の数の魔物達の魔力反応が一帯から消えていく。


 クレアの動きを阻む事ができないということだ。あちらと思えばこちらに現れて、糸によって高速で飛び回りながら隠蔽結界を展開し、解除して視認できた魔物以外にはまともに捕捉させず、戦いながらも自身の構築するキルゾーンを外へ外へと拡大させていく。


 木立の間を光の糸が張り巡らされて、そこからまた新たに糸矢が放たれる。楽団が奏でる音楽はそのままの位置から動いていないのに、全方位で同時に魔物が討伐されていく。


 大物と思われる魔物から消され確実に頭数を減らされていく光景を、魔力反応という形で目の当たりにさせられた魔物の群れがどう理解するか。

 即ち、数を頼みにしても意味のない相手である。


 逃走が始まったのは、ある程度判断力のある知性を持つ魔物達からだった。魔物鼠と、比較的小型の虫魔物達だ。


 それを見て取ったクレアの動きは少し変わる。

 逃げ出した魔物達の混乱を広げるために群れにある程度射かけるが、そちらは追撃もしているというのを「見せている」だけだ。

 逃走する魔物種に対しては半端な手負いにはさせず、恐怖だけを叩き込んで牙をへし折り、この状況でも向かって来る魔物種は好戦的で狂暴な性質を持っていると判断し、数を減らすことを念頭に動く。そういう動き。


 降り注ぐ光の矢の雨と弾幕の中を飛び回りながら魔物達を駆逐していったクレアであるが――。やがて魔物達のざわめきは音楽を奏でる中心点から逃げるように遠ざかっていき、向かって来ていた魔物達は全て静かになる。


 やがて奏でられていた音楽も止まる。大樹海に住まう鳥や虫の声も戦闘の余波で途絶え、後に残ったのは風に揺れる木々の音と、佇むクレアと人形達だけだ。


 枝分かれし、複雑に長く伸びて張り巡らされていた糸が必要な分だけ残してクレアの元へ戻っていく。行っているのは魔力の回収だ。人形達も整列し、クレアの指示を待つかのように待機姿勢を取った。

 消耗した魔力を少しでも回復させ、備えなければならない。まだ、終わってはいない。


「さて――」


 自分以外に動くもののいなくなった大樹海で、クレアはそれに対して真っ向から視線を向けて糸矢を番えた。

 一帯の主とも言うべき、一番強力な魔物の個体は、先程の戦いの中でも動かずにいたのだ。

 魔力反応は抑えられているが、隠蔽結界ではない。休眠のようなものだろうとクレアは理解している。


 糸矢が向けられているのは――地面だ。


 最初に下見に来た時から存在自体には気付いてはいたのだ。魔力を抑えた状態で地下に埋まっているからセレーナの視界では捉えられなかったが、探知術ならば存在に気付くことができる。


 冒険者ギルドの下調べで、その性質も人に害をなすと分かっていることだ。


 クレアが魔力を高め、攻撃を放とうとしたその時だ。


 先に攻撃が打ち込まれていた。クレアの背後。何か黒いものが地面を突き破るように飛び出してくる。


 当たらない。クレアは矢を番えた体勢のまま糸によって宙に飛び、その不意打ちを回避しながら地面に向けて大きな光の矢を放った。


 地面に穴を穿つ。同時にあちこちの地面がボコボコと脈打つように隆起し、蛇のようにのたくる何かが現れる。


 それは――木の根のように見えた。一個の統制された意思の元、空中に留まるクレアに向けて槍の穂先を向けるように構える。そして。


 巨大な何かが木々を押しのけて地面から姿を現れる。


「塊茎……それとも塊根か球根ですかね」


 植物の魔物だ。同種の魔物はクレアの知識にない。変異種か、存在を知られていない希少種だろう。ずんぐりとした身体から、無数の根が生えている。頭部に当たる部分には巨大な本体に比して不釣り合いなほど小さな樹が繋がっているが――これは偽装だろう。

 クレアの撃ち込んだ矢は届いていたようだが、大きなダメージにはなっていない。傷はあるが浅く、そこから赤い血が僅かに流れている。


 本体部分――細長い亀裂がめきめきと音を立てて開いた。一つ目のような器官が、ぎょろりと動いてクレアを捉える。

 それの根があちこちに転がっている魔物の死体に触れる。血だ。血液を吸い上げていた。干からびるように魔物の死体が萎れていく。


 吸血樹。姿を隠したまま、一帯の魔物や冒険者達を時折地下に引きずり込んで捕食し、永らえてきた化け物である。


 高い波長の音が響く。口らしき器官は見当たらないが、鳴き声や威嚇音のようなものかも知れない。それは糸によって空中に静止しているクレアを睨みつけると、その目の周りに光の魔法陣のようなものが形成される。魔力の高まりと共に、その巨体がゆっくりと空中に浮かび上がった。


 術を使える。クレアが警戒度を更に引き上げるのと同時に攻撃が飛来した。下から上へ。根が凄まじい速度で振り上げられた。目では追えない程の速度。軌道上の地面、茂みや枝を切り裂き、クレアに向かって迫る。血液を思わせる赤黒い魔力の弾が放たれるのも同時だ。クレアは糸弓を構えた姿勢のまま、動かない。


 姿勢は全く動かず、微動だにしないままで糸に引っ張られるように真横に向かって飛んでいた。肉体的な予備動作を伴わず牽引や反動により、相手の出方によって移動の方向を変えられるために糸が展開されている状況下でクレアの動きを読むのは非常に難しい。


 吸血樹は一瞬遅れ、クレアの飛んだ方向へと自身も飛ぶ。巨体ではあるが、飛行の勢いに任せて障害物を当たり前のようにへし折り、或いは根の先端に血を硬化させた刃のようなものを纏って木々を両断しながら迫った。


 クレアが光る糸矢を番えて、吸血樹の目に狙いをつけて引き絞る。クレアが後方に飛びながら真正面に向かって矢を放ったその寸前。


 四方八方から光の矢が吸血樹に向かって放たれていた。その内のいくつかは吸血樹に着弾するが――硬い。吸血樹の身体を撃ち抜くには至らない。

 クレアは対鉱山竜の時に開発した術に応用を加え、糸矢に基本形の防殻術ならば減衰させながら撃ち抜く性質を付与している。


 術者が研究によって防殻を改良や改造しているか、余程分厚く展開させていない限りクレアにとって問題にはならない。だが、吸血樹の場合は外皮が堅牢だ。糸矢であるため、当たった際にどれぐらいの効果があったのかも観測可能だが、突き刺さってはいても浅く、外皮を貫通できていない。


 クレア自身が放った一際大きな矢は、硬化させた血を纏った根で払う。四方八方から射かけられる矢は躱しきれないが、自身にとってはダメージにならないと判断したのか、浴びせられる糸矢を無視してクレア目掛けて突っ込んでいく。


 根の斬撃。その殺傷圏にクレアを捉えるというその寸前に。


 吸血樹が障害物となる木を斬り払おうとした瞬間、不自然に大きくたわんで、その斬撃を避けていた。


「こういうのはどうです?」


 撓んだ木が、ゴムのように反動をつけて元の形に戻る。突っ込んできた吸血樹を迎え撃つように、強烈な打撃となってその横面を張り倒すように激突する。


「ギイイイイッ!」


 激突音と甲高い音が響いて、吸血樹が後方に弾かれていた。勢いで樹木をへし折る速度で突撃している吸血樹であるが、クレアの糸によって操作された樹木は柔軟性を持ちながらも硬化させられていて、その重量と破壊力が突進の勢いに乗せられてカウンターになった形だ。


 重い一撃ではあったが、大ダメージとはなっていない。吸血樹はすぐに体勢を立て直すと怒りに燃える眼差しをクレアに向けるのであった。

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