魔女姫クレアは人形と踊る ~身の回りで大国の陰謀やらが蠢いてますが、ぶっ潰して大切な人達と平穏で幸せに生きたいと思います~【書籍化】

小野崎えいじ

プロローグ 老魔女と老剣士

 大陸南方のロシュタッド王国と、北方のヴルガルク帝国。二つの大国の間に跨るように広がる『大樹海』は魔の森だ。

 昼尚暗く、深い森は強力な魔物が跋扈する人外の魔境と言われていた。王国と帝国が直接ぶつかり合う事がないのは、この緩衝地帯が存在するからでもある。


 その一方で森の中にはいつの時代の物とも知れない遺跡が点在しており、そこには金銀財宝が眠っているのだと言われている。一攫千金を夢見る冒険者や野心的な貴族、食い詰め者達の心を引き付けてやまず、無謀な者達が森深くに立ち入っては帰らぬ人となっている。


 実際に古代遺跡より古代の金貨や宝石を持ち帰った者も過去にはいたのだ。深い傷を負い、瀕死の状態で村に辿り着いた男は、財宝を見つけたのだとうわ言のように病床で繰り返していたが、死ぬまでその場所を明かさなかった。


 それ故、その遺跡のある場所は不明で、無謀な挑戦者が後を絶たない理由にもなっていた。

 それよりも少し身の程や現実を知る者は、森の浅い部分で弱い魔物を駆除したり薬草を採取することで日銭を稼いでいる。大樹海は確かに人の力の及ばぬ魔境ではあるが、人々にとって日々の糧や資源を生み出す恵みの森という側面もあるのだ。


 そんな大樹海の南西部にて。


「騒がしいねえ……。また森に馬鹿共がやってきたのかい」


 黒い鍔広の帽子とローブという出で立ちの人物の背丈は大人の半分ほど。その身長より長い杖を携える老婆は薬草を採取する手を止めて、遠くから聞こえてきた爆発音に眉を顰めた。


「誰かが火球の魔法でも使ったのかい? 火事にでもなったら後が面倒だ。一応は様子を見に行っておくかね……」


 そう独り言ちると、溜息をついて手にしていた杖で地面を軽く叩く。茂みや木々が、老婆に道を空けるように脇に除けられた。そうして歩きやすくなった森の中を、老婆は悠々とした足取りで音の聞こえた方向へと向かった。


 森を抜けていくと、やがて現場に到着する。そこは酷い有様だった。

 森の一角が焼けて木々や肉の焼け焦げた臭いや血の臭いが立ち込め、あちこちに人と魔物とが倒れているのも目に入る。既に死肉漁りの弱い魔物や小さな魔物が集まり始めていたが、老婆が杖にぼんやりとした光を宿すと、その場から散らされるように逃げていく。


「……あー。こりゃ酷いもんだ。しかもこいつは隠密の結界符かい? 備えをしてきたってのに何かトチったかね」


 そう言って老婆は眉根を寄せる。その視線の先には木の根元にもたれるようにして事切れている男がいた。

 深い爪痕を肩口から刻まれており、それが致命傷になったようだ。

 お守りのように隠密の護符を手に握りしめているが……一度看破されてしまった隠密の術に意味はない。


 改めて術を展開し直さなければならないが、使ってしまったはずの札を握りしめているというのは、この男にその技術はなかったという事なのだろう。


 破壊と殺戮の痕は、更に森の奥へと続いている。老婆は未だに煙を上げている場所に杖を向けて、一つ一つ確実に小火を消していく。


 消火をしながらも破壊の痕跡を辿るように老婆は進んでいくが、次第にその表情が曇っていく。倒れ伏している者達の中に、明らかに刀傷によるものと思われる者や魔法の犠牲者と思われる者が紛れていたのだ。どうも単純に魔物に襲われたというわけではなさそうだ。


 仲間割れかそれとも――。


 明らかに戦いに向いていなさそうな若い女も転がっていて、これは魔物に殺されたのか、爪の痕が刻まれていた。

 面倒事の予感に老婆は顔をしかめる。だが、まだ煙の上がっている箇所がある。剣戟の音や破壊音が聞こえてこないということは、戦い自体はもう終わっているか膠着状態なのだろうと判断し、老婆は更にそちらの方向へと歩みを進めた。


 そこに転がっていたのは、剣で首を断ち切られ、焼き焦がされた大きな狼の魔物と、同じく剣で斬られたと思しき魔術師の死体。それから、剣を地面に突き立てて座り込む老いた剣士であった。その半身は焼け焦げて、あちこちから出血しているが、まだ息があるようだ。


「まだ……誰か……いるのか」


 老婆が近付くと剣士が呟くように言って剣の柄を握る。そして顔を上げ、そこに佇む老婆を認めると、怪訝そうな面持ちになった。


「少なくともあんたの戦ってた奴らじゃあないねえ」

「どうやら……そのようだ。森の奥には……黒き……魔女が住んでいるとは聞いていたが……」


 そう言って、浮かしかけた腰をしんどそうに降ろす。老剣士は深手を負っていた。致命傷だ。治療を施そうにももう体力が持つまいと魔女は表情に出さずに思う。


「まあ……あたしをそう呼ぶ者もいるさね」


 老婆――魔女は警戒する様子もなく老剣士から少し離れた場所で立ち止まる。


「……もし、魔女殿さえよければ頼まれては……くれぬか。手持ちのポーションは使ってみたが、血を流し過ぎたようでな。どうも……気力だけでは持ちそうにない」

「面倒ごとは御免さね」

「そこを曲げて、どうか……。あるものは、何でも持って行って、構わない……。俺の後ろにいるお方を……どうか……。主より、お預かりした……大事、な……」


 老剣士の言葉は、そこまでだった。頭を下げる仕草のままで続く言葉はなく、気が付けば荒い呼吸も聞こえなくなっている。


「……おい」

 

 魔女が呼びかけるが――老剣士からの答えが返されることはなかった。

 魔女はかぶりを振ってから老剣士の背後を覗く。

 誰もいない――わけではない。隠密結界を杖で払い、木の洞に隠されるように匿われていた人物を見やって……魔女は目を丸くした。


「はあ……。面倒ごとは御免だと言ったんだがねえ……」


 溜息を吐く。老剣士に匿われていたのは赤ん坊だったのだ。

 しかも、どう見ても訳あり。魔女が察するに、先程見た若い女は母親か乳母であり、戦っていた者達は刺客であったのだろう。


 老剣士達は何かしらの事情により、追手を避けるためにリスクを承知で大樹海を逃走経路に選んだのだと思われる。それを察知した追手が追い付き、隠密の結界符を突破して戦闘状態となった。

 そうなれば――大樹海の魔物達は人間の事情等お構いなしに襲ってくる。その結果がこれだ。暗殺や人探しは玄人であったのだろうが、大樹海での振る舞いは素人だった。


 いや、仮に一行の抹殺が目的だったとするなら、本懐は果たしたと言えるのか。ただ一人生き残った赤子がどうなるのかなど、自明の理であるから。


 では、自分はどう動くべきなのか。老剣士の頼みを聞く義理はない。知る者は魔女以外におらず、このまま何も見なかったことにして帰っても魔女を責める者はいない。そうなれば飢えるか、魔物に見つかるか。どちらにせよ助かるまい。


 赤ん坊を育てるにせよ、人里に連れて行ってどこかに預けるにせよ、厄介ごとに巻き込まれる可能性はある。

 第一、どこかに預けても察知されるに違いない。赤ん坊の容姿――目の色が特徴的だ。その情報を元に聞き込みをすれば年月を経ても見つけるのは容易だろう。

 追手を動かせるような連中が本気を出したら、村落や孤児院のような場所で匿ったり守り切れるとは思わない。


 では自分が育てるのか? 食事は? 世話は? 体調を崩したら? 赤ん坊はとかく手がかかる。


「食事は――あー……。丁度乳の出る山羊がいるねえ……」


 庵の周りで飼っている山羊のことを思い出してしまった魔女は、もう一度大きくため息を吐いた。


「……だが、赤ん坊にしちゃ、魔力は大したもんだねぇ」


 後継者が欲しいなどと魔女は思っているわけではなかったが、一から育てた弟子というのがいたとして、どの程度のものなるのかには興味が湧いた。


「……あんたらは後回しだ。墓ぐらいは作ってやるから待ってな」


 老剣士に向かってそう言って杖で地面を叩くと、その場所を中心に放射上に光の輪が広がっていく。魔物除けの術を一帯に施した魔女は赤ん坊を腕に抱え、残っていた小火も消火しながら歩き出すのであった。

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