第116話 シェリーとの魔法契約

 男達は兵士達に追われていて、手にはナイフが握られていた。振り回して通行人に逃走の邪魔をしないように威嚇している。


 その男達の視線が、クレア達の方を向く。たまたま進行方向にいたというのもあったが、シェリーの身形が良いために目に付いたというのがあるのだろう。


 身形の良い子供。つまりは――人質として価値のある相手ということだ。

 必死だった男の表情が希望を見つけたというように歪んだように見えた。



 だが、その視線がシェリーに合った時にはクレア、セレーナとグライフ、ポーリンもそれぞれに身構えている。


 シェリーは状況把握がまだ少し遅れているのか、身を護るなりの対処に移る前の段階だ。目をつけられたことを理解して困惑と緊張が走ったところではあったが――。


「まとめて動きを止めます」


 その時にはクレアが短く声を発し、機先を制するように手の中に水の鞭を作り出していた。

 クレアのコンパクトな動作と共に放たれた水鞭が伸び、男の足首に絡む。


「あ?」


 先頭にいた男の戸惑ったような声。クレアがもう片方の手で軽く水鞭を引くような仕草を見せれば、重心を置いていた足をとられた男の身体が鞭に引かれてバランスを崩され、宙に浮かぶように転ばされていた。


「うおお!?」

「何だ!?」


 困ったのは後ろにいた二人の男達だ。先を走っていた二人が進路を塞ぐようにいきなりバランスを崩して目の前の空間を埋めている、という状況に陥ったのだ。仲間を傷つけないように手に持ったナイフを引いて足を止めざるを得ない。走っていた勢いと合わさる事で、先頭の男の身体を受け止めるような形になった。

 男を見捨てて押しのけるにせよ助け起こすにせよ、シェリーを人質にしようとするには既に致命的な遅れが生じている。


「シェリー様、私の後ろへ」

「後は兵士達がやってくれそうだ」


 ポーリンとグライフが言って前に出る。武器の柄に手をかけ、いつでも抜いて応戦できるように。シェリーやクレア、ディアナを守るようにセレーナも武器に手をかけて身構える。


 グライフ達の動きは男達への牽制というか、十分な圧力として機能する。

 グライフ達を相手取ることは即ち兵士達に挟撃されるということを意味するからだ。男達が自分達の腕に絶対の自信でもあるなら判断も早くなるのだろうが、そうではない。

 通常、ナイフ程度ではグライフやポーリンのようにしっかり武装している者達を相手取って戦うには心許ないというのもあるだろう。


 呼び笛で通りの向こうにいた兵士達も反応して集まってきている。


「兵士達の動きに合わせて後ろに下がるか」

「巻き込まれるのは本意ではありませんものね」


 グライフとセレーナの言葉にポーリンも頷く。武器を抜いていないというのものその辺の判断によるところが大きい。クレア達は男達に視線を向けたままゆっくりと後ろに下がる。

 男達はいよいよ進退窮まったといった様子だ。判断も意思疎通も中途半端な状態になり、周囲を見回して逃走ルートを探したりシェリーの代わりに人質になりそうな相手を探している間に通行人達も距離を取るように逃げ出し、後ろから来た兵士達や通りに向かいから駆けつけてきた兵士に囲まれていた。


 一人が包囲に気を取られて視線を外した瞬間に死角から槍で足を払われ、転んだところを一気に制圧される。


「状況は見ておりました。大丈夫でしたか?」


 兵士達の一人が、クレア達に声をかけてくる。


「大丈夫だ。説明は必要だろうか?」

「いえ。ご協力感謝します。犯罪調査に踏み入ったところ、建物の屋根伝いに逃げ出した者達を発見しまして。彼らを追跡していたのです」


 兵士が言う。カールからの手紙から判断するに、もしかすると宝石店から逃げてきた者達かも知れない。


「現時点で確認されているわけではありませんが、まだ残党がいて街中に潜んでいる可能性はあります。滅多な事はないと思いますが、お気をつけ下さい」

「お顔は覚えましたから、後程詰め所に来て、私達の名前を出していただけたら、正式にお礼もできるかと」


 兵士達は自分達の名前を伝える。


「まだ残党がいるかもしれないという状況でとなると、逆恨みも有り得るからあまり気は進まないところはあるが。快い対応をしてくれてこちらも有難く思っている」

「はは。そうですね。状況が落ち着いてからでも大丈夫ですよ」


 グライフが兵士との対応に当たり、兵士達も頷いてまだ喚いている男達を引っ立てていった。詰所まで行ってお礼や説明を受ける等、目立つような事を上手く避けた形と言えるだろう。周囲はまだざわついていたが、クレアの人払いの魔法の効果もあるのか、群衆の興味はクレア達より連れていかれた男達の方に向いている様子だ。


「ええと……助けてくれてありがとう。水の鞭の魔法……格好良かったわ」


 クレアの動きを間近で見ていたシェリーが言うと、その言葉に同意するように笑顔のセレーナやディアナが頷き、グライフはそうした反応に少し表情を柔らかいものにしていた。

 剣と鞭という違いこそあるが、今のクレアの動きはオーヴェルの剣技がベースになっている。シェリーの印象に残ったのはその動作の流麗さという部分もあってのものだろう。


「兵士さん達も良い感じに合わせてくれましたし、上手くいって良かったです」


 周囲から兵士達も迫ってきているということと合わせ、制圧でなく妨害で事足りると判断した形ではあるが、その読みも合っていた。


 一騒動はあったものの、大事にはならなかったし面倒事にもならなかったということでクレア達は予定通り劇場向かいの外食店へと向かった。


 外食店で饗される菓子は小麦粉ベースの焼き菓子やパイ、タルトといったものだ。

 広く食べられているものが主なのでそれほど特別ではないが、菓子の見た目は手が込んでいて、その辺りが人気店の理由でもある。


 飲物とそれらの菓子をいくつか頼んで、クレア達は外食店のテラス席に腰を落ち着けて話をする。


「この帽子については、あまり気にしないでいただけると助かります。見習い魔女として修行中なもので、あまり人前で顔は見せないようにという師の教えもありまして。どうしても気になるのであれば、魔法契約を交わしてから表通りではないところなら顔もお見せできるかと」


 腰を落ち着けても帽子をそのままにしているクレアに、シェリーは頷いた。


「良いわ。人にはそれぞれ事情というものがあるものね。私も家名とか言っていないし」


 シェリーが答え、クレアは魔法契約の内容を考えていく。


「そうですね。魔法契約の対象は私とシェリー。魔法契約の内容は私や人形に関する話で他人に言って欲しくないと伝えた事を秘密にする事。その期間はこのお店で、隠密結界を発動している間の話。但し、両者同意した時は別の機会でも秘密の内容を増やせるしその秘密を解除できる。いずれの時においてもシェリーが悪事であると判断した内容についてはその限りではない。契約違反の場合、契約書を通して私にそのことが分かる、で良いですか?」


 クレアの言葉を復唱し、思案するように吟味してからシェリーは向かいに座るクレアを見やる。


「私はそれで良いけれど、違反した場合の罰則については決めなくて良いの?」

「違反した場合は私達の間の信用や関係性が失われます。以降、シェリーの前に姿を見せる事もなくなるでしょう」


 クレアがそう言うと、シェリーの表情が真面目なものになる。


「それは……嫌ね。重い罰則だわ」


 破った場合はただ関係が終わる。

 それだけの話ではあるが、罰則がないからこそ自分が裏切ったという事実は傷として残るし、見習いとはいえ魔女という肩書きから感じるイメージとしては、契約や約束上で断言したからにはきっちり有言実行するだろうと、シェリーは確信めいたものを感じた。


「そうですね。私も知り合った相手とそんな形で関係が終わってしまうのは残念ですし」


 シェリーの反応にクレアは頷いてポーリンに視線を向ける。


「ポーリンさんも、この内容で問題ありませんか?」

「私はそれを判断する立場にありませんが、お嬢様に危害が加わるようなものではないというのは護衛の立場としては安心できます」


 ポーリンは静かに答えた。


「では――」


 クレアは鞄から羊皮紙を取り出し、魔法契約書を作っていく。お互いが内容を承諾し、記名して魔法を発動させれば魔法契約が成立するというわけだ。

 文面に間違いがないことにしっかりと目を通し、頼んだものが運ばれてくるまでに、クレアとシェリーは魔法契約を取り交わしたのであった。

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