第9話 門での出来事

「ああ……これはすごいですね……」


 馬車から身を乗り出したクレアは、顔が周囲から見えないように帽子の鍔を引っ張りながらも外壁を見上げる。少女人形も上を見上げる仕草だ。こうした城塞都市の外壁や城門など、クレアは前世の記憶も含めても、実際に自分の目で見るのは初めてだった。


 領都に入る人々の列は二列になっていた。初めて領都にやってきた者達が並ぶ列と、門番達に一度立ち入りの許可をもらった事のある者達が並ぶ列。これは、領都に入るためのチェックをスムーズにするためでもある。クレアは……行商人や護衛達と共に一度許可をもらった事のある者達の列に並んでいる。


「まあ……親に同行してきた子供扱いってことさね。今度一人で来た時はあっちの列に並びな。門番ぐらいには顔も憶えてもらう必要もあるからね」

「分かりました。最低限、という奴ですね」

「そういうこった」


 ロナにあまり顔を見せないように言われているし、その口実も与えられているが、それは絶対のものではないということだ。最低限必要な相手にだけ見せればいい。


 乗ってきた幌馬車4台程でも余裕で行き違う事のできるぐらいの大きな跳ね橋を渡りながらも、クレアは心が浮かれてくるのを感じていた。表情はいつも通りではあったが。


「すごいですねぇ……跳ね橋も外壁と繋いでいる鎖も……。見ているだけで楽しくなってきます」


 人形がぶんぶんと腕を振って言う。人形を介してであるが、反応は素直なものだ。顔には出ないが内心でも実際そう思っているのである。


「くっく。あんたがそうやって子供らしくしてるとこを見ると安心するねぇ」


 肩を震わせてロナが言う。


「むう。確かに浮かれていますが」


 クレアに前世の知識経験はあるが、情動には割と子供らしい部分がある。

 幌馬車から降りて楽しそうにしている魔女師弟の様子に、同行してきた行商人や護衛達も少し表情を緩めていた。


 領都に入る列は順調に進んで行き、やがてクレアとロナ、行商人と護衛達の順番がやってくる。


「これはロナ殿……。領都まで足を運ばれるのは珍しいですな」

「今回はちょいと領都まで用事があってね」


 門番の挨拶に、ロナが答える。


「こちらは? 初めて来た方でしょうか?」

「弟子のクレアさね」

「初めまして。よろしくお願いします」

「ああ……! お弟子さんですか。確かに隊長から伺っております」

「見習い魔女のしきたりってことで、あんまり顔を見せないように言ってある。その内一人でも来させるから、その時にでも顔を確認しとくれ」

「分かりました」


 そんなやり取りをして、クレア達が進もうとしたその時だ。


「おいおい! あいつらは良くて、何で俺達は駄目なんだ!?」

「仲間は前に来た事があるってのに、初めて来た奴は駄目だって言われて、俺達は最初から並び直したんだぞ!?」


 隣の列からそんな声が上がった。

 クレアがそちらを見やると、少し後ろに並んでいた男達が兵士に食って掛かっているところだった。


「問題ありました?」


 クレアが申し訳なさそうに身体を小さくする少女人形と共に門番に尋ねると、門番は首を横に振る。


「いえ……進んで結構ですよ。子供は別ですから」

「子供かどうかなんて確認してないだろうが! そんな帽子を被ってて分かるのかよ!」

「そうだ! 小人族みてえな小柄な連中が声色を変えれば分からねえじゃねえか! そんな小道具まで用意しやがって!」


 不平不満を口にする男達。クレアの表情はいつも通りだが、この手の強面な顔触れは苦手だ。戦闘時のように感情のスイッチを切り替えているわけではないので実は心臓が早鐘を打っていたりする。


「やれやれ。一応話は通しておいたんだがね」


 門番達のロナの信用度や事前の話もあってのものではあるのだろう。


「けれど確かに、そうかも知れませんね。私の事情で門番の方々の仕事の今後に差支えが出てしまうような事は本意ではありません」


 人形繰りに集中することで内心を態度には出さずに腹話術で言うクレアである。


「ふむ。なら、もう少し人目のつかないところで顔を確認してもらうかね。子供ってのが嘘だったら、あたしらだって並び直して構わない」


 クレアとしては門番達に顔を見せるぐらいは次回見せるのだから構わないとは思っているが、こうして注目を集めている状況で帽子を脱がせるのは、身を守るためには悪手だろうとロナが口を挟んだ。


「分かりました。では、こちらに」


 門番はそう言って案内しようとするが、男達は「俺達にも確認させろ!」「お前らが誤魔化してたって分かんねえだろうが!」と叫ぶ。しかし――。


「……ここを通る者達を必要に応じて検める事ができるのは、それが我らの仕事だからだ。そこはお前達が立ち入れる領分ではないし、その資格もない」

「誇り高きトーランドの兵は、職務において偽りを口にすることは許されていない、と言っておこう。ここにいる者、皆がこの言葉の証人となる。……良いな?」


 門番達の口調と雰囲気が変わったのを察したのだろう。不満そうな様子ではあるが、男達も「そこまで言うんなら……」と、不承不承ながらも口を噤んで引き下がった。


 そのまま二人は近くの詰め所に案内され、そこでクレアの年齢を確認することとなる。


「では――」


 クレアに操られた少女人形が腕をよじ登り、肩に乗ってその鍔広帽を脱がせると、確認に当たった門番達は思わず目を見開き、息を呑んだ。


 豊かな長い髪が揺れる。長い睫毛と吸い込まれそうな大きな瞳。

 通った鼻筋とほんのりと色づいた柔らかそうな唇。人形のような白磁の肌。

 大きな鍔広帽に隠されていたのは、恐ろしい程整った容貌の少女であった。感情を表に出していないこともあって、人ではなくロナが作った人形だと言われた方が納得もいく。


 だが、確かに子供だ。将来は絶世のというような形容が頭をちらつくような容姿ではあれど。


「なるほど……。顔を隠すように言う理由も分かる」


 一人が呟くように言うと、他の門番達も納得したような表情になった。


 見習い魔女のしきたりというのが本当なのかどうかは兵士達にとっては分からない。

 しかしそうでなかったとしても、この容姿なら黒き魔女とて弟子が犯罪に巻き込まれないか心配するだろうと、そう納得させて余りあるものであり、それは門番達としても配慮すべき事情に成り得る。


 実際には……クレアの出自に関わる事情も絡んでいる。今もまだ追手がかかっているのか。ロナからは判断のしようもないが、その容姿はクレアを発見する手がかりになってしまうだろう。髪と瞳の色がかなり特徴的なので致命的だ。ただ……容姿だけならまだ何とか誤魔化しが効く。


 ともあれ門番達には、これで普段顔を出さないように暮らしていることも納得されやすくなるはずだ。


「もう帽子を被っていいぞ、ええと」

「クレアです」

「そうか。気を付けてな、クレア嬢ちゃん。あんな連中に絡まれちまったが、ようこそ、トーランド領都へ」

「ありがとうございます」


 そんな風にして、クレアとロナは門番達から見送られて領都に入った。


「やれやれ。今のは驚かされたが……賢そうなお弟子さんだったな。あんな年頃の子が俺達の仕事に差し支えないかなんて、気を回せるもんなのか」

「魔女殿の教育の賜物でしょうかねぇ」


 二人の背を見送り、門番達はそんな風に噂をし合うのであった。




 分厚く高い外壁を抜けると、やや勾配のある坂道があった。守りやすくするための工夫なのだろう。坂道を登って第2の門も抜け……ようやく領都内部へと入ったクレアの口から、感動の声が漏れる。


「おおー……。素晴らしい街並みです……」


 領都の街並みはやはり質実剛健。外壁付近の建物は民家として使われているものでも石造りでいかにも頑丈そうなものが多く、戦いに備えての造りとなっている。


「ここいらはちょいと厳ついが、街の中心部はもう少し華やかさがあるねえ」

「すごいですね。さっきの門や坂道もそうですが、要塞という感じで見ていて楽しいですよ」

「こういう街はあんたのとこには無かったのかい?」

「いくつかはあった、とは聞いたことがあります。私が生まれた時には都市部に外壁は残っていませんでしたし、そもそも、こういう大規模な城壁自体少なかったみたいです。島国ですし、川や山が多いからと聞いたことがありますね」

「ふむ。同じ国の民が住んでる島で、魔物もいないって言うならそうもなる、か? 地方領主の小競り合いなんかがあっても、地形を利用すればいいからねぇ」


 日本に対するそんなロナの推測を、クレアと共に少女人形がどこか楽しそうに聞く。


「おお。魔女殿、お弟子殿も。先程は災難でしたな」


 そこに行商人と護衛達が追い付いてくる。


「いえ。気にしていませんよ」


 クレアが笑って答えると、行商人達も表情を緩めて頷いた。

 ロナ達とは行先が違うということで、一緒に旅をしてきた行商人達とも手を振って別れて、クレアとロナは人の行き交う街を進んで行く。


 鍔広帽を被っていても透視の魔法を使っているのでクレアの視界は良好だ。大きな帽子があちこちに細かく動いており、目移りしているというのが分かる。城や街並み。そこを行き交う人々。どれもクレアが初めて目にするものだ。


(ふむ。前世の記憶があるってのにお上りみたいな反応だね……。世界が変わっても共通の反応なのかい)


 そんなクレアの様子を見て、ロナはそんな感想を持った。

 はぐれてしまった場合についてもクレアには伝えてある。判断力や自衛のための力はあるから、敢えて注意を促すようなことはしない。それはそれで修行になるだろうぐらいの考えだ。


 しかしあちこち目移りはしていても、きちんとロナの後をついてきている。マルチタスクは得意分野でもあるらしいが、周辺視野も広い、というのがロナの評価であった。

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