第8話 領都の城塞

 クレアの初めての薬販売も恙なく終わる。二人が馬車へと向かうと、村長から話を聞いていたであろう、護衛の冒険者達や乗り合わせる行商人達が待っていた。


「きょ、今日はよろしくお願いします」

「はいよ」

「よろしくお願いしますね」


 大樹海の黒き魔女とその弟子が同行するということで、やや緊張した様子の行商人や護衛達に、ロナは手をひらひらと振り、クレアは普段通りといった様子で挨拶を返した。


「輸送用でそれほど乗り心地はよくありませんので、その点は承知しておいてくださいね。気分が悪くなるようであれば、言って下さい。休憩を挟んでいきますので」


 行商人がクレアに言う。


「そう、なんですか。心配してくれてありがとうございます」


 クレアはぺこりとお辞儀をすると、代金を支払ってロナと共に幌馬車に乗り込む。


 二人が乗り込んだ馬車は所謂乗合馬車ではない。行商人が仕入れた商品を村に持ってきたり、村で買った品々やロナの薬を、領都に運んだりする用途のものだ。薬瓶は綿や藁をクッションにしているから揺られて割れるということはないが、その分乗り込める人数は少ない。


 領都に向かう村人達も金があれば同乗することもできるし、金がなくても大人数で移動することで盗賊や魔物から身を守りながら安全に移動できるので、歩いて馬車に同行したりもすることがある、という話である。


 つまりは、それほど移動速度は早くないということだ。元々舗装されていない道を移動するものだし、馬を休ませなければならない関係上、健脚なら徒歩で十分ついていける程度の速度ということだ。


 そうして一行はトーランド辺境伯爵領の領都に向けて出発した。


「領都ってどんなところですか?」

「結構大きな街さね。ロシュタッドじゃ王都を除けば……5本の指には入るぐらいか」

「大樹海や国境近くの守りの要だからでしょうか」

「ああ。そういう立地だからこそ、領都みたいな城塞都市なら安心して暮らせるってことで人が集まるのさ」

「それは――少し楽しみです」


 少女人形が胸のあたりに手をやって言う。ロナの目にはどこか……人形が嬉しそうに微笑んでいるように見えた。

 領都に到着した後はすることはあるにしても、クレアにとっては初めてのこの世界での大きな街だ。

 多少は街中を巡る時間を作ろうかと、そんなことを思いながらロナは馬車に揺られていく。




「ふむ。中々便利に使っているね」

「乗ってすぐに乗り心地に納得しましたので……揺れは体感しましたし……ちょっと我慢できそうにありません」


 ロナの言葉に少女人形が腰のあたりをさするような動作を見せる。

 舗装されていない道を、サスペンションのような衝撃を吸収するような機構がない馬車で走れば、かなり不規則に揺られることになる。

 酔うだけで済むのならまだいいが、乗り慣れていなければ座っている部分に尻や腰を何度もぶつけることになる。


 行商人が気分が悪くなったら休憩を挟むと言ってくれたのは大袈裟な話ではなく、クレアを気遣ってくれたからだろう。


 ロナは――普通に座っているように見えて、常に薄い魔力の防御膜を展開している。数ミリ浮いているような状態で自身を守っているため、この程度の外的な衝撃は届かない。加えて三半規管を魔力強化する事により、酔いとも無縁である。


 クレアの場合は……三半規管の強化は問題ない。アクロバティックな動きをするには態勢を崩さず、目を回さないというのは必須だからだ。

 しかしロナがしているような防御膜の常時展開については、最終的にそれを目指すようにとは言われているものの、クレアはまだそこまでには至っていなかった。


 ロナ曰く、魔力は足りているがまだ運用効率が良くない、という事だ。全方位の防御膜を展開しているとやがて魔力が尽きてしまうから、緊急性の高くない場面でそうしているわけにはいかない。


 そこでクレアは、もっと効率良く馬車の揺れから身を守る方法を取った。つまり、自身がもっとも上手く魔力を運用できる手段――固有魔法だ。


 糸を撚り合わせ、組み合わせて、自身と接触する部位に馬車クッションのように展開し、その後に糸を束ねてサスペンションのような構造を構築する。これにより揺れや衝撃を軽減する、というわけだ。


 今回の使い方に限らず、クレアは糸の構造や性質を変化させることで様々な方法に用いているのをロナはよく見かける。

 クレアによれば前世での人形繰りには普通の糸や針金だけでなく、色々な素材があると新しい表現ができるので研究や工作に勤しんでいたという。その経験や知識を活かしているのだろう。

 だが、同じ馬車に乗り合わせた行商人や護衛の冒険者達がそれを知る由もなかった。


 御者を務めている行商人がそれとなく時々振り返ってクレア達の様子を確認する。


「――初めて馬車に乗るということでしたから心配していたのですが……大丈夫そうですね。様子を見ていたら軽く手を振られてしまいましたよ」


 行商人が少し笑うと、護衛達も外から馬車の幌に視線をやって顔を見合わせる。


「……流石は黒き魔女のお弟子さんってとこか」

「その魔女殿……相当な強さって話だろ? 一度戦ってるとこを見てみたいもんだな」

「分かっているとは思いますが、魔女殿達は乗り合わせたお客さんですから、お手を煩わせるような事はないようにして下さいね」


 行商人としては護衛である以上は魔物や盗賊の対応もそうだし、指南や実演等も遠慮して欲しい、ということだ。


「その辺は分かっちゃいるさ。大丈夫だ」

「はは。強い方は一目置かれますからね。お気持ちは理解しますよ」


 行商人と護衛達がそんな会話をしている傍らで、ロナはクレアに領都に到着してからの話をする。


「まずは予定通りに薬を売るよ。但し、あたしは姿を見せても次の交渉はしないからね。自分で交渉しつつ、安売りは避けるってのを課題ってことにしておこうか」

「んー。了解です」


 初めてやらせることにはまずロナが手本を見せる、というのはいつも通りではある。

 クレアとしてはロナが直接口添えしなくても、姿を見せてくれるならそれで支援としては十分大きなものだと思っている。


 薬の品質は問題ないのだ。交渉に口を出さないまでも、師がそれを請け負ってくれるという意味でもあるのだから、それを分からずに吹っ掛けてくるようなら、そもそも取り引きする必要がない。


 一先ず初回で安売りを避けられれば、次からは世情で値段が変動することはあったとしても理不尽な安売りを強いられるということはないだろう。


「どっちが作っても同じなら、あたしらの普段の行動にも融通が利いて都合が良いからねえ」


 というのがロナの言い分である。お互いの行動をその都度変えられるなら、修行の内容も自由度が高くなるということだ。


「ま、売買が一通り終わったら、少し領都の構造やらを見ておくために街を巡るかね。無駄遣いじゃないなら薬を売った金はあんたが稼いだ金ってことで、何か買い物をするのも良いだろうさ」

「楽しみにしておきます。人形の素材になるものを買いたいですねー」


 腕に抱かれた少女人形がワクワクしているというように胸の前で両拳を握る。


「……自分の服とか装飾品に使っても良いんだよ?」

「まあ……それも追々」


 そう言って顔を逸らす人形である。


 色気のないことを言う弟子は、幌馬車の後部から流れていく景色を眺める。帽子で顔は見えないが機嫌自体は悪くなさそうだ。表情を見ればいつも通りにあまり顔には出ていないのだろうが。そんな反応に、ロナはまあ良いかと肩を竦めるのであった。




 大樹海付近の村から領都までは馬車で3日ほど。馬を休ませ、日が落ちれば道中の町に宿泊しながらの旅であった。確かに、健脚であれば十分に馬車に同行できる。

 これが仮にしっかり舗装された道で、公的な機関のバックアップを受けて馬を交換できるならば、遥かに早く移動できるだろう。


 ただ、途中で道もしっかりと整備されて多少移動速度も上がったが、それでもクレアやロナからすると箒を使って移動した方がずっと早い。馬を交換したとしてもだ。


 輸送量という観点でも、ロナの鞄で持ち運べる物資の量が馬車より多い。

 小人の呪いと羽根の呪いという――小型化と軽量化の術を、収納したものにかける鞄を用意しているからだ。


 だから、本来二人に馬車は必要ない。しかし実際に乗ってみれば今回は社会勉強の側面を考えてというのも、クレアにとっては納得がいくものだった。


 人員や荷物を一度に多く輸送したいのであれば一般的には馬車や運河ということになるし、どのぐらいの速度で移動するのか、どんなメリットデメリットがあるのかは体感して学んでおく必要がある。


「見えてきましたよ」


 行商人から投げかけられた言葉に、クレアは前方を御者席の後ろから覗き込む。

 街道沿いの森の陰から姿を現すように――堅牢そうな高い城壁を備える都市部が見えた。街全体の外観は一個の巨大な城塞、という印象だ。

 一番外縁部の壁の内側に、更に高い二番目の壁を備え、中心部に城を備えている。中心部の城が少し小高い場所にあることから、遠目には全体で巨大な一つの建造物のように見えるというわけだ。実際には壁の内側に街並みがある、ということらしい。


「おお……。すごい城塞都市ですね」

「何と言ってもロシュタッド王国北東部の守りの要ですからな」


 行商人がどこか誇らしげにクレアに告げる。魔女の弟子を領都に案内できるのが楽しいのかも知れない。


「ま、中に入っちまえば案外普通さね。血の気の多い輩がいても、そういうのはしっかり押さえつけてるのが辺境伯家だから、案外治安は良いのさ。案外だから油断はするんじゃないよ」

「はい。武人として知られるだけに、騎士団の方々も名誉を重んじていそうですね」

「規律の緩んだ連中が守れる程、大樹海は甘くないからねぇ」


 街道を行き交う人々も増えてきており、栄えているというのがクレアの目にも窺えた。ここに来るまでの道中も街道を巡回している兵士達と何度か入れ違っている。それらはそのまま治安の良さや領都に身を寄せることの安心感の裏付けになっていると言えた。

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