第7話 村落への訪問

「綺麗な景色ですねぇ……」

「大樹海の中にいると、確かにこういう風景は見られないね」


 しばらくの間、クレアは眼前に広がる光景に目を奪われていた。クレアとして生まれてからは初めての光景だ。前世を含めてもこうした自然豊かな平原を自分の目で見る機会が多かったわけではない。

 少ししてからクレアがロナに視線を向ける。


「ふむ。もう良いのかい? 大樹海を抜けたわけだが、ここがどこかわかるかえ?」

「ロシュタッド王国の北東部。トーランド辺境伯の領地の外れ?」


 進んできた方向から見当をつけて少女人形が答える。


「そうだ。まずは一番近い村に行くよ」


 その解答に満足げに頷くロナ。草原の道に向かって歩き出し、クレアもそれに続いた。

 トーランド辺境伯。ロシュタッド王国の北東方面を守る名門だ。精強な騎士団を抱える質実剛健な武闘派……というのが一般的な評価である。


 だがロナに言わせると、戦闘狂、もしくは戦闘馬鹿になる。当主、その妻。三人の子供。そのどれもが大樹海の魔物との戦いの際は自ら前線に立つような性格をしている。性格だけでなく実力も高く、一番下の子は固有魔法を使えるという噂もあった。


 そんな貴族家に率いられるトーランド辺境伯麾下の騎士団もまた、勇猛にして精強。トーランドに弱卒なしと声高い。


 そうした気質や実力も、王国の北方の守り――大樹海の魔物と対峙するには必要なことなのだろう。大樹海を挟んだ北方のヴルガルク帝国に対する鎮護という意味合いもある。


 とはいえ、辺境伯家の武力が向けられるのは専ら魔物に対してなので大袈裟に警戒する必要はない。……少なくともロナにとってはという但し書きがつくが。

 様々な薬を作る技術を持ち、大樹海に詳しい魔女だ。辺境伯の面々が軽んじるような真似をしないのは、ある意味当然のことだと言えた。大樹海の魔物と相対しているからこその実力主義でもある。


 草原に作られた道を小一時間程歩いていけば、やがて村が見えてくる。

 村に近付いていくと、見張り台の上にいた村民がロナに向かってお辞儀をする。


 ロナは大樹海から最も近いこの村に対して時折薬を売ったり、魔物除けの結界の強化をしているという。クレアを同行させるのは今回が初めての事ではあるが、時折大樹海を出て留守番を任されることもあった。


 恩を売っとけば得だからねえというのはロナの弁である。


 見張り台の村民は何事か村の中に身振り手振りをしながら声を掛けていたが――やがてそれを受けてか、柵の向こうから初老の男が現れる。


「これは魔女様……!」

「ああ。いつも通り薬を売りに来た。この子は弟子のクレアだ。クレア、村長だよ」

「えっと……はじめまして」

「これはご丁寧に。魔女殿にお弟子さんがいらっしゃるとはお聞きしておりましたよ」


 帽子は脱がず、ほんの少しだけ鍔を上げてお辞儀をする。

 あまり人里で顔は見せないようにとロナに言い含められているからだ。髪や瞳を偽装しているとは言っても、容姿から何か察する者もいる、かも知れない。何か言われたら、見習い魔女のしきたりとでも答えればいいとロナからは言われている。


 クレア自身、知らない人と目を合わせなくていい、顔を合わせなくていいというのは助かる話だ。


 村長は畏まった様子でクレアに自己紹介をする。弟子相手でも改まった対応をしてくれるあたり、ロナが敬われているというのが窺えた。


「今日持ってきた薬はクレアが調合したものさね。効果については、いつもと変わりないってのは師として請け合うよ。品質が同じである以上無駄に安売りする気はないが、村人にもクレアが作ったものだってのは伝えとくれ」

「なるほど。わかりました」


 村長が頷く。村人達の薬は実際の要望も聞きながら村長が一括で行う。薬は貴重なものでもあるから、村人個々人が気軽に買えるようなものではない。

 ロナによればこの村は大樹海から最も近い場所にある拠点でもあるので、薬の備蓄があるのは兵士や冒険者の命を守ることにも繋がる。それ故、辺境伯も薬を購入するための予算を組んでいるという話である。


 傷薬や解熱剤、鎮痛剤に解毒剤。風邪薬に胃腸薬等々……。薬の種類は様々だが、これらは必要な時に備蓄しておく村人達にとっての共有財産のようなものだ。


 同時に、村に派遣されている兵士や居合わせた冒険者や行商人の場合は、必要なら個別に買いに来る。前線拠点に薬の備蓄があるのは大事だが、彼らの場合は仕事中に必要になったりすることがあるからだ。


「あり、がとうございます、ロナ」


 クレアが自分の言葉で伝えてくる。


「何がだい?」

「お陰で薬が買い叩かれないで済みます」

「ま、品質が確かなのは事実だからねえ。あたしの魔女としての沽券にも関わるのさ」


 クレアの言葉にロナは肩を竦める。それでもだ。これがクレア一人だと子供だ、見習い魔女だと侮ったり、足下を見たりする者も出てきただろう。


 彼らに売るために村の広場で薬を並べると、すぐに兵士と冒険者が薬を買いに集まり出す。魔女の弟子が同行しているということで、村人達も少し遠巻きに見に来たり挨拶にきたりして、結構な人集りになった。


「噂のお弟子さんか」

「こんな小さな子だとは思わなかったわ」

「クレアと言います。たまに薬を売りに来ますから、今後ともよろしくお願いしますね」


 普段のように人形に身振り手振りをさせつつ言うクレア。人里に出ても腹話術なクレアであるが、帽子の鍔が広く顔が見えないので腹話術というのは外からは分からない。

 普段から人形を操っていることも、魔法的な理由だとか魔女だからだと思わせときゃ大丈夫だろ、というロナの後押しもあり、相当な人見知りで内気だというのは感じさせない振る舞いだ。


 舞台に立っていた記憶やバイトの対人的につらい記憶を思い出しながらクレアは、注目を浴びながらも人形を介してしっかり仕事をこなしていく。


 薬の販売についても修行の一環だ。引き渡す薬の種類や効能、受け取る金額が合っているかをロナが監督する。

 といっても、クレアは薬の効能や値段はしっかり暗記している。前世で日本の教育を受けたクレアは暗算も問題なくこなしていて、その計算の早さを「流石魔女のお弟子さんだ」「どうなってんだあの人形……」と、行商人や兵士、村人達に感心されたり不思議がられていた。


 糸で吊るして操る人形を介して品物やお釣りを渡したりと……てきぱきと手際良く動くその姿を、村人や冒険者は感心しつつ微笑ましそうな目を向ける。


 そんなクレアの薬販売を眺めつつ、問題無さそうだと判断したロナは村長に尋ねる。


「で、今日は領都までの馬車が出てるんだったね?」

「そうですな。魔女様が訪問して来る日でもありますから」


 普段のロナは用がなければ領都まで足を運ばない。薬をここで売って、欲しいものは行商人から買えば事足りるからだ。

 一方で馬車がロナの予定に合わせているのは、魔女の薬を購入して領都まで運ぶためでもある。


「なんだ。あたしに合わせてんのかい? まあ、それはいいが今回は領都まで足を延ばすから、あたしらも乗せとくれ」

「分かりました。伝えておきましょう」

「あれ。箒では行かないんですか? 大樹海の外なら飛べるのでは」


 その話を聞いていたクレアが少女人形の首を傾げさせて尋ねる。魔女だけあって、箒で空を飛ぶ術もある。


 しかし庵の敷地内での低空飛行訓練は許可されていたが、高度を上げることはロナから禁止されていた。大樹海では樹海上空を自らの狩場と定めている領域主がいる。元々空を飛べる生き物は見逃されるが、そうでない生き物が飛んでいるのを見つけると領域主が積極的に狩りに来るのだという。まるで領分を弁えろ、とでも言うように。

 必ずしも察知されて攻撃されるわけではないが、目につくように飛んでいればいずれ狩られてしまうだろう。


「外に生活の範囲を広げるなら、まずは普通の方法ってのを知ってからの話さね」

「なるほど」


 ロナから以前に言われていることである。自分の知識や常識だけで判断していると失敗することがあると。

 個人が空を飛んで移動するというのは、クレアの前世の常識にはなかったことだ。魔女にとって普通の方法ではあると教えられたが、確かにこちらの世界でも一般的な方法ではないだろう。


 そして、魔女にとっての常識であっても、大樹海でそれをやると命取りになる。所変われば常識や正しい答えというのは変化するものだ。


 ともあれ、一般的な方法を知っておくことで世間の認識との齟齬を埋めておくというのは、自分にとって世間と関わっていく上で確かに必要なことだと、クレアは頷いた。

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