第58話 生き延びるために

「領域主の名は死楼の領主イルハイン。領域内に捕らえた者達を弄ぶ性質があると聞きます」

「相手の生死に関わらずの話ですわ。遺体を弄ぶような真似をするそうです。領域外まで「遣い」を出して、犠牲者を招こうとすることもあるとか」


 クレアとセレーナが領域主の説明を続けると、全員の表情が強張っていく。人の町を模した領域。遠くに見えた人影。人の振りをした遣いが、領域の中に外から犠牲者を招く。

 幸い、探知魔法に優れるクレアやセレーネには人間とイルハインの「遣い」の違いが分かるから招かれるようなことはないだろうとロナはそう教えてくれているが。


「……帝国でも結界の外にいる者達に犠牲者達の末路をわざわざ見せつけるような、性質の悪い領域主だという情報はある」

「イルハイン……そうですか。トラヴィスか皇帝かは知りませんが……そこまでするのですね」


 グレアムとエルザは、口調こそ静かではあるものの、わざわざそんな領域を選んで飛ばされたことに怒っているようであった。


「帝国のやり口は気に入らんな」


 そんな二人の様子を見たグライフが、目を閉じてかぶりを振る。


「……保有している固有魔法が固有魔法だ。皇帝は……結局俺やエルザに対しての猜疑心があったのだろう」


 エルザに従属の輪を付けたのは皇帝本人。グレアムやエルザが逆らえばエルザは死ぬし、皇帝の意に沿わない反逆や暗殺をグレアムが企てた場合、エルザがそれを皇帝に報告する義務を負う。従属の輪が発動してエルザが亡くなればそれは皇帝にも伝わるのだ。


 グレアムに従属の輪をつけなかったのは――役職と公的な立場があったからだ。皇子であったが故に外聞を気にしたのだろう。エルザも皇女であるのだろうが、その存在は公には知られていない。


「……なるほど。お二人は複雑な心境かと思いますが……頼りにさせて下さい」

「そこまで悲観してはいないさ。頼り、か」


 クレアの言葉にグレアムは苦笑すると、表情を真剣なものに戻す。


「俺の固有魔法で脱出が出来れば、それで解決なのだがな……」

「領域主のような化け物相手に読心がどれほど通用するかは分かりませんが……精一杯のことをさせてもらいます」


 グレアムが率いている男達については各地から集められ潜入工作等の訓練を積んだ戦奴ということらしい。グレアムは理不尽な命令をしないからまだしも、全員帝国に対しては恨みこそあれ忠誠を誓ってなどいない。


「対策も必要ですが……今の内にお互い名前ぐらい名乗っておきましょうか」

「肩を並べて戦うのだしな。助け合うという意味でも必要だろう」


 クレアの言葉にグライフが応じる。「では――」とクレアがまず最初に名乗り、セレーナやグライフもそれに続く。お互い名を名乗り合い、そして隠蔽結界を保ったままで静まりかえった街の中を移動し始める。


「望みが無いわけではないんです」

「領域に囚われて、帰って来た人もいるからそうした情報が残っているのだと、師からは教えていただきましたわ」

「そうですね。領域主の性質を知った上で対処をすれば、出し抜いて脱出する見込みはあると見ています」


 クレア達が迎え撃ちやすくなる場所。それはつまり包囲されにくく、脱出の機会が来た際にすぐに実行に移せて、それぞれの固有魔法を活かしやすい場所、という事になる。


 隠行の術を受けたスピカが上空に飛んで条件に合致しそうな場所を探す。


 クレアは森での戦いを最も得意とし、グレアムは開けた場所の方が固有魔法の使用も適している。

 しかしグレアムの場合、事前に周囲の構造を把握さえしていればその限りではない。建物のように入り組んだ場所でも構造さえ分かっていれば見えていない場所に飛べる。森の場合だと落ち葉等を考えなければならないために構造だけでは足りない部分があるのだが。


 つまりクレアは森。グレアムは屋敷のように人工的な構造物でも動ける。更には撤退しやすいような領域の外縁部であること。

 そうした条件を満たす場所を探すためにスピカは飛び立ち――やがて戻ってくる。


 クレアのところまで降りてくると、肯定の鳴き声を上げた。


「良さそうなところを見つけてくれたみたいだね」


 ニコラスが小さく微笑んで応じる。スピカは小さく声を上げると、先導するようにゆっくりと旋回しながら飛んだ。そちらに向かって一同が移動していく。


「人影があるな……。何をするわけでもなく佇んでるだけってのは、どうにも不気味だが」

「近付かないように注意を」

「ああ。分かってる」


 通りの向こう。民家の窓。町角のあちこちで、ただ立っているだけの人影がゆらゆらと揺れている。喧騒も雑踏もなく静寂に包まれたままで、寂れた町ですらない。人の町というにはあまりに異質な光景だった。


「……あの場所ですわね……」


 スピカが案内しようとしている場所を見て、セレーナが呟くように言う。


 イルハインの領域内ではあるが外縁部付近ということで木々が生えており、印象としては街の中に大樹海が食い込んでいるという印象。

 そんな木々の間を抜けていくと、そこには館もあった。外から来た者にとっては、大樹海の中に館があるように見える、かも知れない。


「探知魔法の反応からすると……館内にも何かいそうではありますね」

「制圧して内部構造を把握しておけば……退避したり凌いだりするのには使えそうだな」


 エルザが言うとグレアムも頷く。


「ポーションは大量にありますから、怪我人の治療をして立て直すと言った事はできそうですね。それと――即席の連携ではありますが、こうして……糸の先端から信号を送りそれを探知することで視覚外に転送攻撃をしたりということもできそうです」

「目印を相手に付けて、その座標を攻撃するというわけか。なるほどな」

「……っと。森の中にもいるね……。近付き過ぎないように気を付けて」


 クレアとグレアムが即席の作戦について話をしているとニコラスが注意を呼び掛ける。木々の間にゆらゆらと佇む誰かの姿。

 グレアムの配下達はそちらに視線をやって不気味そうに眉根を寄せる。館だって、よく見れば形だけだ。町中もそうだったが、井戸だとか商店だとか、生活のインフラのようなものだとか、住人の生活の痕跡といったものがごっそりと欠けているのだ。


「あれが領域外縁部です」


 うっすらとした光の膜のようなものが広がっている。


「封鎖結界……ではないな。罠、か」


 グレアムが眉根を寄せる。封鎖結界は行き来を遮断するもので、外から内側に入ることだけができる罠のような領域とはまた別物だ。


 グレアムの固有魔法で乗り越えようとした瞬間、成否を問わずに事態が動くだろう。成功した場合と失敗した場合の動きを、改めて確認して打ち合わせる。


「失敗した場合、周辺の遣いを片付けて館の制圧を目指しましょう。間取りや内装の位置等々は私の固有魔法で調べます」

「糸の固有魔法でそんな事ができるのですか?」

「はい。糸を枝分かれさせて、建物の内側の形に合わせて這わせるわけですね。そうすることで縮尺を変えて、立体的な見取り図を作れるかと」


 エルザの質問に、クレアが手の中に建物を模したフレームのようなものを糸で形成して見せる。


「応用範囲が広い固有魔法ですね……。驚かされます」


 エルザは形成された糸を見て感心したように言う。

 一通り作戦を確認し、一同は円陣を組んで手を重ね合う。


「では、気合を入れていきましょう……!」

「皆で生き延びよう」

「皆さん、奮戦とご武運を!」

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