第141話 王女の絆
「今後も多分……お忍びで街に出たりはあると思うわ。私は小さい時身体が弱かったということもあって、王族や貴族としての勉強も遅れてしまっていたし。机の上で学ぶことだけでなくて城の外で人々が暮らす姿も実際に見て、色んな事を学んでおきたかったのよ」
「なるほど……。それは……素晴らしい事だと思います」
クレアはシェリーの言葉に思うところがあるのだろう。目を閉じて感じ入るようにして答える。
そういう境遇というのはクレアの前世に通じるものがある。前世では病弱だったがために勉強についていくのに苦労した思い出があった。
人形繰り師になるという目標が早期にあったから鬱屈してしまうようなことはなかったが、恩師に出会っていなければそうした将来を夢見ることもできなかっただろう。
「そうでもないわ。こうやって決意するのにも切っ掛けが必要だった。王妃――つまり私のお母様は私が物心つく前に亡くなってしまっていて。それも悲しく思っていたわ。だけれどね……ある時お城で絵を見たの」
王城の奥にある王族の生活スペースに使われていない部屋がある。
何だったか、気が滅入ってしまって使用人達の目の届かないところに行きたいと思ったのだったかも知れないとシェリーは語る。1人になりたくてその部屋に入ったことがあるのだ。何のことはない物置のような部屋だったが、整頓はされていた。白い布で覆われた何かがあって、それが何だか気になって、布を退けて確認をしたのだ。
それは庭園――東屋で一輪の花を手に明るい笑顔を浮かべる女の子と、それを見て穏やかに微笑む男の子の姿を描いた絵だった。
雲間から差し込む光と、それによって明るく照らされた鮮やかな青い花と二人の姿が輝くようで、緻密ながらも色鮮やかに描かれたその絵に、シェリーはしばらく見入っていた。
絵画の描かれた場所は分かる。王城の庭にある東屋だったから。
男の子が誰かも。父親だ。ただ、今よりずっと若い。年の頃で言うなら10代後半ぐらいだろう。では、一緒にいる女の子は?
きっと母親なのだろうとそう思った。
「その考えは合っていたわ。隠れていた私を心配していたお父様が、私のことを見つけてくれて……その時に絵画のことを聞いたの」
父親――国王リヴェイルはそれを肯定し、そしてシェリーにこう言った。
「隠しておくつもりはなかったのだが……私も彼女のことを思い出してしまうのは辛くてね。もう少しして、聞かれてから肖像画を飾ろうかと思っていた。だが……シェリーには寂しい思いをさせてしまっていたね」
そんなことはない、とシェリーは首を横に振った。これを見つけたのは偶々で、リヴェイルが王妃ウィレミナを今も大切に思っているというのは耳に入っていた話でもあるから。そう答えると、リヴェイルは「そうか」と、穏やかな微笑みを浮かべた。その笑顔は確かに絵画で見たものと同じだった。
その絵は、当時の宮廷画家が見た二人の姿があまりにも絵になっていたから、目に焼き付いた記憶を描き残したものであったという。
「両親の事も嬉しかったわ。それに……絵や芸術というものに感動したの。その時の想い、記憶、感動を形にして他者に伝えられる。それが誰かの支えにもなる。もっと色々なものに触れたいと、そう思うようになって……絵だけではなく彫刻……物語や詩、音楽や劇、芸についても学ぶようになっていたわね」
その内、身体も丈夫になり、そうした過程の中で気に入った芸術家の支援をしたところ大成して絵に高値がついた。それを元手に文化の奨励をしたりしているのだと、そうシェリーは説明してくれた。
「作品や芸を見せる事で想いが伝わり、それが誰かの支えにもなる……。その考えは、私も同意します。シェリーさんのお話は色々と頷けることが多いですね」
クレアは静かに頷き、言葉を続ける。
「ええと。実は私も明かせない事が多いのですが……帝国とは大樹海の遺跡絡みで一悶着ありまして。それもあって髪や瞳の色を魔法で偽装して、あまり目立たないようにしているのですが――」
そう言ってクレアは偽装魔法を解除してから帽子を脱いだ。
シェリーとポーリンの動きが、一瞬揃って止まった。神秘的な髪や瞳の色。偽装魔法を解除しているということもあって大きな魔力に加えて、大樹海に住む魔女の弟子という肩書きもあってもしかしたら物語の中から抜け出してきたのでは、などという感想がシェリーの心に一瞬
「素顔を見せてもらえたことは嬉しいわ。絵に残すこと出来ないのでしょうけれど、そうしたくなる画家の気持ちというのも、分かるわね」
シェリーは気を取り直すように冗談めかした口調で言うが本音でもある。
クレアは明かせない事は多いとは言っているものの、それを口にして伝えること、素顔を見せるだけでなく偽装魔法まで解いてくれたということは、誠意や信頼の証でもあるとシェリーはそう受け取った。
「お互い色々あるようだけれど……今後も友人として付き合っていきたいものね」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
そう言って、シェリーとクレアは握手を交わす。それからシェリーはセレーナ達にも視線を向けた。
「近い年齢で貴族家の令嬢と知り合えたというのも喜ばしい事だわ。皆も、仲良くしてもらえたら嬉しいわ」
「はい。光栄な事ですわ」
「シェリー嬢と名乗っている時は気兼ねをしない事にしよう」
「そうね。芸術を愛しているシェリーさんということで」
「ええ。そうして欲しいわ。貴方達も、よろしくね」
従魔達にも言うと、スピカ達は揃って頷いていた。
「まあ……弟子達とも仲良くしてやっとくれ」
ロナもひらひらと手を振ってそう応じる。
「それにしても、シェリーさんが芸術に目覚める切っ掛けになった絵……見てみたいものですね」
「それなら今度王都に来た時にでも。例えば王城の奥まで立ち入らなくとも、方法はあるものよ」
「シェリー様が青色を好きだと仰るのは、やはりその絵画からなのでしょうか?」
セレーナが尋ねるとシェリーが首肯する。
「ええ。ちょうどクレアのブローチと似た深くて鮮やかな青い花の絵だったから……ドレスの完成をとても楽しみにしていたの」
ドレスの色が思い出の絵画にまつわるというのはリヴェイルだけでなく、その臣下も知れば感じ入るであろう話だった。王と王妃、王女を結ぶ絆とも呼べる話だからだ。
そんな話をしていると、ノックの音が響き、使用人が夕食の準備がそろそろできると伝えてきた。
夕食が終わればクレア達も一旦宿に戻る事になる。
「ところで、明日の予定は決まっているのかしら? 私は多分、明日お忍びで領都を見学することになると思うのだけれど……」
食堂に移動する前に、シェリーがそう切り出す。
「ドレスの引き渡しもありますし、辺境伯が許可して下さるのなら、そこに付き添うというのも良さそうです」
「護衛代わりにもなれるな」
「セレーナとグライフは腕の立つ冒険者だものね。土地勘もあるとなれば、案内兼護衛として依頼するというのは良さそうな気がするわ」
「勿論、シェリー様からの依頼なら歓迎ですわ」
そんな話をしながら廊下を進み、クレア達が食堂に行くと辺境伯家の面々が出迎える。
「お話はまとまりましたかな?」
「はい。明日の見学はクレア達にも同行してもらいたいと思っているのですが」
「そうですな。皆腕も立ちますし、ルシアーナやニコラスとも交流がある方々なので同行するのであれば安心できるところです。勿論こちらからも護衛を立てますが」
「よろしくお願いします」
リチャードとシェリーが明日の予定についても話をして、それから辺境伯家での夕食となるのであった。
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