藤吉郎、城主やめるってよ

 家人が先導したのは一番上等な客間の一室であった。襖を開けると、果たしてそこには藤吉郎の姿がある。


「おう。戻ったか、源さ。邪魔しておるぞ」

「お待たせしたようで、藤吉様」

「構わん! 連絡も入れんと立ち寄ったんじゃから」

「そう言って下さると気が楽になります。それで、今日はどのようなご用向きで?」


 俺は油断なく藤吉郎の顔を観察する。


「祝いじゃ、祝い!」

「祝い?」

「そうじゃ。聞いたで、源さの奥方が懐妊したと。それで祝いの言葉を言わねばならんと思っての。ほれ、祝いの品に上等な酒も買ってきたで」


 そう言って、藤吉郎は瓢箪をかざして見せる。


「それは、ありがとうございます。気を遣わせてしまって申し訳ありませんね。……酒器と酒肴の用意を」


 藤吉郎に礼を言いながら、家人に酒器と酒肴を持ってくるように告げる。家人は一度頭を下げると、足早に去っていった。

 俺はそれを見送ると、藤吉郎の正面に座る。


 さて、只の祝いのわけがない。藤吉郎め、まだ腹の内を見せないか。


「源さ、奥方は何処じゃ?」

「津島の舅の下に。ここは、まだバタバタしていますから」

「そうか。そうじゃな。それがいいじゃろ。大過なく元気な子を産んでもらわねばいかんからな。……産まれてくるのは男かのう。それとも女じゃろうか?」

「さて、そればかりは。授かりものですから」

「そうじゃな。まあ、男ならきっと良い商人になる。女なら器量よしに育つに違いない」

「だといいのですが……」


 藤吉郎は毒にも薬にもならない話をするばかり。まだ腹の内を見せないか。ったく、面倒な。今度は何を頼みに来た? まさかまた、金の無心じゃないだろうな? それとも……。


「オレとねねの間にはまだ子がいねえが。源さの子と、オレの子の性別が逆なら、将来夫婦になることもあるかものう」

「えっ?」

「えっ?」

「……ま、まあ、そういうこともあるかもしれませんね」

「お、おう……」


 この段になって、家人が戻ってきて藤吉郎と俺の前に酒器と酒肴を置く。


 ……しまったな。藤吉郎の目的を推測する余り、会話が疎かになった。つい素の反応をしてしまったではないか。

 というか、藤吉郎……秀吉の子供? どうなんだ? 史実ではその好色さに反して、子宝には余り恵まれなかった男だ。秀頼に至っては、間男説が声高に主張されるくらいだし。


「ほれ、源さ、一献」

「ああ、すみません」


 藤吉郎が酒を注いでくる。流石に清酒ではないが、それでも確かに悪い酒ではないようだ。……やはり何かあるな。身銭を切って、人にただ酒を飲ませるタイプでもあるまい。

 今度は俺が藤吉郎に酒を注いでやる。乾杯してから、同時に口を付けた。


「うん。美味い」

「じゃろう?」


 藤吉郎が得意満面になる。さて、酒が入ったことで口が軽くなるか? そろそろ本題に入る時間ではないかな、藤吉郎?


「源さ……」

「はい」

「源さの店の者から、源さは御城に登城していたと聞いたが。やはり、殿からの呼び出しかのう? そう言えば、最近噂に上がっとる上洛の件について、殿は何か仰っていなかったか?」


 世間話のような気軽さで問うてくるが、藤吉郎の目はぎらついている。

 なるほど、祝いを出汁に内情を探りに来たか。相変わらず鼻が利く男だ。次の出世の機会が、上洛軍にあることをよく理解している。


「いえ、今日は村井様にお会いしていたのです」

「……そうか。村井様とのう」


 露骨には態度に出さないが、それでもどこかガッカリしたような風情を見せる藤吉郎。俺はそんな彼にとっておきの情報を後出しする。


「ええ。足利将軍家からのご使者の饗応の件で」


 藤吉郎の目が一層ぎらついた。まるで抜き身の刀のように。


「足利将軍家の……。それじゃあ」

「はい。上総介様は既に決意を固められたようです。足利家当主を奉戴し、上洛軍を起こすことを」

「そうか! 上洛軍を起こすか!」


 藤吉郎は右手で作った握り拳を、左手の平に叩きつけた。ぱん! と小気味良い音が鳴る。


「なれば、是が非でも参加せねば! 兵の準備に、それから、出来る限り早く殿に面会する機会を設けなければ!」


 兵の準備はともかく、信長との面会? アピールの為か?


「上洛軍への参加に名乗りを上げるので?」

「まあ、そうじゃな。それと、洲股城城主の任を解任してもらえるよう願い出る」

「城主を解任? またどうして?」

「……洲股城の戦略的価値は美濃攻めが終わると共に大いに下がった。その城主ではあまり旨味がない。ましてや、その地位に固執すれば、足枷にだってなりかねん」

「足枷……」

「そうじゃ。洲股の城主のまんまでも、洲股勢を率いて上洛軍に加われと下知があるかもしれん。が、城主という立場から、美濃の留守役の一人にされる公算が高まる恐れもある。なれば、前線で槍働きをしたいと志願して、それが為に城主を解任してくれと、そう言った方が上洛軍に確実に参加できるで」

「なるほど……」


 ああ、やはり鼻が利く。どのような身の振り方をすれば、出世に繋がるかを嗅ぎ分ける力は抜きん出ている。普通では、そう簡単に城主の地位を捨てようとは決心できぬものだ。


「良いと思います。藤吉様には、益々功を上げて出世してもらわねばいけませんからね」

「そうじゃろ! そうじゃろ! いや、源さは話の理解が早い!」


 藤吉郎の態度がガラリと変わる。俺の頭の中に警鐘が鳴り響く

 ……ふん、機先を制してやるか。藤吉郎が次の言葉を口にする前に、こちらが先に口を開く。言葉遊びも何もなく、直截な言葉を口にする。


「銭は出しませんよ」

「……まだ何も言ってないだろうが」

「では、いらないのですね」

「いや、待つんじゃ。確かに、色々と入用ではある」

「全く。ロクに返済しないままに、次から次へと同じ相手に銭を貸せとは、どの口が仰るのか」

「……全く返済してないわけではないぞ」

「ええ。ですが、全体から見れば微々たるものですよね?」

「うっ……ぐ……」


 ぐうの音も出ない様子の藤吉郎。仕方ない、友人として助け舟を出してやろう。


「まあ、そうは言っても、手前と藤吉様の間柄です。条件次第では銭を貸すのもやぶさかではないですよ」

「…………何じゃ? その条件は?」


 俺は内心にやりと笑う、完全に主導権を握った。


 さあ、藤吉郎には何をお願いしようか? ああ、何て悩ましいことだろう!

 俺はその難問に上機嫌で取り組むことにした。

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