六角討伐

 足利義昭の使者である明智光秀との会談で、信長が義昭を奉じての上洛軍を起すことを鮮明にしてからの動きは早かった。

 越前に滞在している義昭を迎えるため、村井貞勝らを派遣。すぐさま義昭を美濃立政寺に迎え入れた。


 義昭が僅かな手勢と、織田の手の者らと共に立政寺に訪れ、最初に目にしたのは、信長からの山のような貢ぎ物である。


 千貫文をこれでもかと積み上げ、その他、御太刀、御鎧などの武具、御馬、等々を献上した。

 これには、義昭も大層感激したようであった。


 更に、義昭という神輿を手に入れるや、南近江の六角に使者を送り、正統なる足利家当主の為に、上洛に協力するよう要請。が、六角はこれを拒否。

 されど、それは織り込み済みとばかりに、諸将を集めて瞬く間に六角討伐の軍を挙げたのは、永禄七年四月末のことであった。




 俺は岐阜城の一室で信長に謁見した。

 既に諸将らの兵の準備も終わり、明日には信長自身が義昭に出馬の挨拶をした後に出陣となる。

 その為、岐阜城には、出陣前特有のひりつく空気が漂っている。そんな真っ只中、登城させられるとはやれやれである。


「うらなり、聞き及んでおろうが、ワシは明日出陣する」

「はい」

「何かワシに申し付けておくことはあるか?」


 ふむ。暫く会えなくなるので、何か伝えることがあるなら先に言っておけ。そういうことだろう。


「手前からは特には……。上総介様は、手前に何かありますでしょうか?」

「いや、ない。美濃を落としてより、万事恙なく回っておる。特段、注意すべきことも思い当たらぬな」

「左様ですか」


 互いにこれといった用件もなし、と。

 まあ、忙しいばかりの日々だ。偶にはこういう日があっても良いだろう。


「六角討伐、その後の上洛、これらに何か言いたいこともないか?」

「そうですね。……今更、六角如きに上総介様が手こずるとは思えません。手前が何か言わずとも、問題なく勝利なされるでしょうが。折角です、一つ申し上げましょう」

「何じゃ?」

「より手際よく六角を討伐なさりたいと思われるなら、昨年織田様に恭順した美濃勢を上手く使われませ」

「美濃勢を上手く……」


 信長は思案するように中空を見、直後に得心いったような笑みを浮かべる。


「商人の言う、上手く人を使うとは、無理に動かすのではなく自ずから動くように仕向けることじゃったな?」


 俺は黙したまま頭を垂れた。



****



 夜営中の陣地で、ぱちぱちと音を立てる篝火の灯が、三人の男の顔を照らす。揃いも揃って難しい顔をしていた。

 彼らの名は、氏家卜全、安東守就、稲葉一鉄、俗に西美濃三人衆と呼ばれる男たちであった。


 卜全がまず口を開く。


「つい先程、箕作城が落城したとの知らせがあった。夜明けを待たず、一晩の内に支城を一つ落とすとは鮮やかなものじゃが……」

「ああ、鮮やかじゃが、不可解だ。まさか、箕作城で戦端が開かれることになろうとは……」

「うむ。戦端を開くのは、我々がおる和田山城攻めの軍勢とばかり」


 三人衆がそのように不思議に思ったのも無理はない。

 彼らは必ずや、美濃勢が先陣を命じられるだろうと思っていたのだ。

 それというのも、戦国の習いでは恭順したばかりの将が先手として投入されるのが慣例であったので。


 が、現実はそうはならなかった。わざわざ、慣例を無視したということは、そこには信長の何らかの意図があることになる。


「何故、織田様は慣例を無視なされたのだと思う?」


 卜全が問う。守就が苦し気に顔を歪めた。


「……考えられるとすれば、よっぽど我ら美濃勢を信用されておられない。そうとしか思えぬ」

「不味い……何とか、信用を勝ち取らねば!」


 一鉄が焦ったように言い募る。卜全が二度、三度頷く。


「正に、正に。……よいか、御両人。これより同時に、我ら美濃勢で和田山城に猛攻を掛けるのだ。多少の損害なぞ気にせずにじゃ。誰が見ても感心する様な戦ぶりを示さねばならん。よいな?」


 守就と、一鉄が互いに目配せし合う。直後、二人して頷いた。




 夜の闇の中、美濃勢は天を衝くような雄叫びを上げ、和田山城に攻め上る。その戦ぶり、正に獅子奮迅の如くであった。

 これにより、何と和田山城もまたロクな抵抗出来ぬまま落城する。


 戦端が開かれるや、まずは箕作城が、続けて和田山城が初日に落城することとなった。

 たった一日すら持たずに、支城が二つ落城したことを知った観音寺城の六角義治は酷く落胆すると共に、自らの不利を悟らずにはいられなかった。


 結局、彼は観音寺城を放棄。二日目の晩に、夜陰に紛れて落ち延びていった。

 当主義治の逃亡を知った六角側の各城は戦意を失い、櫛の歯が抜け落ちるように、一つまた一つと、容易く落城した。


 織田方は、初日の攻防で、六角との戦いの趨勢を決めてしまったのである。

 そう、源吉の言う通り、美濃勢を上手く使うことによって。

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