呂不韋と李通古
旅装を身にまとった私は、供の者たちを待たせつつ、見送りに来てくださった村井殿と言葉を交わす。
「わざわざのお見送り、有難く存じます。岐阜逗留中は、村井殿のお陰で快適に過ごせました」
お世辞ではない。我々の歓待、その一切の実務を取り仕切られた村井殿のお陰で、我々は何一つ不満なく逗留することができた。
細々としたことまで気を配られる彼の仕事の丁寧さには素直に感心させられる。手際の良さに至っては、最早感心を通り越して驚きすら覚えた。
「それはようござった。明智殿、私からも御礼を。逗留中、折に触れて聡明な明智殿と語り合えたのは、有意義な時間でした。また、存分に語り合いましょうぞ」
「ええ」
村井殿の言もお世辞でなければ良いのだが。自分が一角の人物と認める御仁には、同様に一角の人物と思われたいもの。
これは、次に語り合う時まで勉学を怠るわけにはいかぬな。
私は供の者たちが待つ方を振り返る。そうすると、否応なしに過分なまでの土産物が目に入る。
「……あれらの品にも、感謝の言葉が尽きません。こうも歓待され、素晴らしき土産まで用意されるとなれば、今後織田様への使者になりたいという者が、全国に後を絶たないでしょうな」
冗談半分でそのように言う。村井殿は肩を竦められた。
「ここだけの話、使者がくる度に、毎度毎度こうも銭をかけていては、さしもの織田とて素寒貧になってしまうでしょうよ」
「はは、そうでしょうとも!」
互いに笑い合う。ふっと、村井殿の方が先に笑みを抑えられた。
「それと、あの土産の大半は我々が用意した物ではありません。商人どもが、勝手に持ち寄ったのですよ」
「商人……」
村井殿が頷く。
「連中は有能です。味方にすれば頼もしくもある。が、油断の出来ぬ
「烏ですか」
「左様。余りに利口で貪欲だ。……そうら! 機を逃さず、烏が一羽舞い降りてきましたぞ!」
村井殿の視線の先を見る。そこには一人の若者が立っている。
やや細身の体付き、控えめながら上等と分かる小奇麗な恰好からは、その財力が窺い知れた。もしかしなくとも、あの若者が……。
「村井様、烏とはあんまりじゃないですか」
「ほざけ、大山! 殿から聞いたぞ。お主が自ら、烏を名乗ったとな」
「さて、そうでしたかね?」
そんな風に村井殿と話しながら、若者はこちらに歩み寄ってくる。
私の前まで来て、足を止めた。
「明智様ですね。お初にお目にかかります。手前、織田様の御用商人、浅田屋大山源吉と申します」
「お主が、浅田屋か……。噂はよく聞いておる」
丁寧な物腰、温和な顔立ち。それらだけ見れば、全く警戒の必要などない。
が、目が違う。野心に溢れるこの目は、只の商人に収まる男の目ではない。なるほど、これは油断ならぬ。
あの晩、織田様と語り合う前の私なら、単純にこの出会いを面白がったかもしれぬが……。
己の進むべき道を知った、織田様に尽くすと決めた今では、俄然警戒心が湧き起こる。
「明智様、織田様の夢は如何でしたか?」
出し抜けに大山が問い掛けてくる。そうか、あの晩の語らいは、この男の差し金か。
「うむ。蒙を啓かれた気分じゃ。織田様の夢を共に見たい。その夢の後押しをしたいと思うた」
「そうですか……」
ふむ。私が大山を警戒するように、どうも大山も私を警戒しているらしい。ここは一つ言い返してみるか。
「お主こそ、どうなのだ? お主も織田様の夢を後押ししたいと?」
「ええ、勿論。何せ、それが手前の夢を叶えることになるでしょうから」
「お主の夢?」
大山は獰猛な笑みを浮かべる。
「史に名を刻む天下一の商人になる。古の呂不韋の様に天下人を生み出すことによって。……それが手前の夢です」
「なるほど、真そのように織田様の覇業を支えるだけなら結構なことだ。……一つ忠告しておこう」
「何でしょうか?」
「あくまで、商人の領分を踏み越えぬことじゃ。もしもお主が、呂不韋の様に織田家中の権力を欲したならば、その時は末路までも呂不韋と同じ道を辿ることになろう」
半分は、本当に忠告として、もう半分は釘を刺す為に言った。
その財力で、荘襄王の即位を後押しした呂不韋。荘襄王没後は、息子の政を玉座に据え、自らは宰相として専横を
が、成長した秦王政に、後に始皇帝となる若者に処断されることとなるのだ。正に己が領分を踏み越えたが為に。
大山が、織田家中での権力を欲したならば、誰にとっても良くないことになるだろう。無論、大山含め。
私の言に暫し沈黙していた大山だが、一つ頷くと口を開く。
「……ご忠告感謝します。御礼に、手前からも忠告申し上げましょう」
「ほう?」
「貴方様こそ、織田様の夢の為、懸命に働かれるのはよろしいが、くれぐれも李通古にはならぬようご注意なされませ」
李通古……法家の体現者、李斯を引合いに出すか! 何とまあ、恐れ知らずな返しをしてくるものよ!
李通古、名宰相として秦の中華統一に多大な貢献をした男。
されど活躍の陰では、自身の政敵を讒言により貶めるなどの後ろ暗いことを行った。
果てには、始皇帝没後に遺言を改竄して、太子を死に追いやり暗愚な胡亥を玉座に据えた。
有能で功も多かったが、最後に道を誤ったことで自身を、国を破滅に追いやった男だ。
「私は、李通古になりそうに見えるかね?」
「さて、何せまだ初対面ですから。ただ……」
「ただ?」
「存外、謀にも長けているようにお見受けしたので。それで忠告申し上げました」
そんなことを、大山は涼しい顔で言う。私はその顔を目を細めて見遣った。
「全く、肝の据わった物言いよ。……織田様が気に入るわけじゃ」
くくっ、と意図せずして笑いが込み上げてくる。
この商人の命知らずな暴言に、怒りを通り越しておかしさを覚えた。
「相分かった。お主の忠言、ゆめゆめ忘れぬようにしよう」
私が笑い混じりにそう答えると、背後から『ごほん!』とわざとらしく咳き込む音がする。
「物騒な話は終いですかな? 明智殿に大山も、この岐阜城下で、金輪際斯様な発言は控えて欲しいものじゃな」
じろりと睨みつけながら、村井殿が憮然とした声音で言われる。全く尤もなことであるのに、どうしてかこれもおかしく感じられる。
それは大山も同じであったようで、私も大山もついに堪え切れず吹き出してしまったのだった。
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