夢を語る
浅田屋岐阜支店、その奥の自室にて一人瞑想するように目をつむり、じっと正座している。
無論、瞑想しているのではなく、考え事をしているのだ。
考えているのは、貞勝から依頼された件に他ならない。つまり信長の無茶振り――何ぞ、使者の度肝を抜くような催し物をせよ、という難題だ。
使者が只の愚物であったならば、銭に物を言わせた豪華絢爛な催し物を、それでいて何とも目新しく派手なモノをすればいいのだろうが……。
相手は、あの明智光秀だ。そんな見せ掛けだけの催し物をしても、白けさせてしまうだけなのではないだろうか?
少なくとも、信長侮り難しと、驚嘆させることはできそうにない。
うんうんと唸るが、一向に良案が浮かばない。
光秀が感嘆する。武将としてだけでなく、文化人としても秀でたあの男を感嘆させる。……何か文化的な催し物? 連歌会とか?
楽しんではくれるかもしれないが、感嘆するか? そもそも信長の歌人としての力量は如何なのだろう?
いや、信長自身の教養を見せつけるのではなく、家中には武人以外にも、これほどまでに文化人も揃っているのだ、と見せつけるか?
うーむ、イマイチだ。感心はするかもだが、やはり感嘆はしないに違いない。ましてや、度肝を抜くことなど……。
俺は目を開けると、頭をガシガシとかく。
「まいったな……」
そう呟きながら腕を組み直していると、ぎっぎっぎっと、廊下の木板の上を歩く足音が近づいて来る。障子に影が差した。
「旦那様、津島の奥方様より文が届いております」
「於藤から? ありがとう」
礼を言って、家人から於藤の文を受け取る。考えに行き詰っていたことだし、気分転換にと、早速於藤の文を読むこととする。
於藤の文には、出産に向けて万事恙なく暮らしていること。俺が岐阜での新たな暮らしで無理をしていないかを案じる旨がつらつらと認められていた。
最後はこのように記されている。
『旦那様の文では、岐阜支店の立ち上げは大変なご苦労も多いけれども、無理だけはしない範囲で頑張っていると、そう書かれておいでです。
他の家人の話でも、旦那様は精力的に働かれ忙しくはしているが、健康に問題はないと言います。
ですが、これは身重の私を案じてそのように仰っておられるのでは? どうしてもそのように不安になってしまうのです。
古人曰く、聞かざるは之れを聞くに若かず。之れを聞くは之れを見るに若かずと申します。
どうして私は今、旦那様のおられる岐阜にいないのだろう? どうして津島で安穏とした暮らしを送っているのかと、今更ながら後悔して止みません。
岐阜にいたならば、よくよく旦那様の顔色を窺い、ご無理をなされているご様子ならお休み下さるようお願いすることも出来ましたのに。
旦那様が倒れられたらどうしようかと、想像するだけでとても苦しいのですから。もしも、本当に倒れられたと聞けば、一体どれほどの心痛に襲われることでしょう?
旦那様、こんな心配性な藤の為にも、どうかくれぐれもご自愛なされるようお願い申し上げます』
読み終わると、少しばかりの気まずさを覚える。
倒れてこそいないが、大丈夫、大丈夫と言いつつ、無理を重ねている自覚はあったので。
精力的に働くのも大事だが、過ぎたるは及ばざるが如し。きちんと休息も取らないとなあ。何を為すにも、結局健康な体こそが第一の資本なのだから。
「でも、そうか……。聞かざるは之れを聞くに若かず。之れを聞くは之れを見るに若かず、か」
文の一部分を諳んじる。
――聞かざるは之れを聞くに若かず。之れを聞くは之れを見るに若かず。そして、之れを見るは之を知るに若かず、だ。
何を下らない迂遠な方法ばかりを考えていたのだろう。もっとシンプルで良かったのだ。
俺は貞勝の依頼、信長の無茶振りに対する答えを見出したのだった。
****
ふっと緩やかに流れた夜風が、酒精で火照った頬に気持ちいい。
私は今、案内役に先導され、今夜泊まる為の客間へと案内されていた。
足利家当主の使者である私のことを、織田様は丁重にもてなした。
織田領に入った途端、岐阜に向かう道中でも何くれと一行の世話を焼くことに始まり――どうも、織田様より各地の領主たちは、我々へのもてなしを相当強く厳命されていたようだ。
岐阜に到着してからも、これ以上なく恭しく出迎えられた。織田様は、武家の当主として、古式に則って最上の礼を尽くしたと言えよう。
それらから、織田様が足利家当主をないがしろにしない。その意向を最大限汲み取ろうという姿勢が見て取れた。
また、織田様が世間で言う所のうつけではなく、きっちりと礼法を押さえる御仁であるということもよくよく分かった。
しかし……。今回の訪問ではそれ以上のことは分からなかった。
いや、むしろこれは当然のことで。先に述べたことを確認できただけでも、使者としての役目を果たしたと言えよう。
が、内心残念に思っていた。織田様という、明らかに常人とは一線を画する御仁、その
先程までの宴席――岐阜城に登城した初日の締めくくりとして、織田様自らも出席される宴席に招かれたのだが……。
そこでも、織田様は自らの腹の内までは見せてはくれなかった。二、三、直接言葉も交わしたのだが、ありきたりな応酬に終始してしまったのだった。
……何とも欲張りなことだ。
私は苦笑する。いくら何でも初顔合わせで、そこまで自身をさらけ出す者もいないだろう。
織田上総介、この男に期待する余り、ずいぶんと図々しい願いを持ったものだ。
此度は大過なく役目を果たした。それだけでよかろう。また後日、織田様の為人を深く知る機会もあるに違いない。
「明智様、こちらに御座います」
っと、考え込んでいる内に、客間へと到着していたようだ。
案内役は一つの部屋を恭しく指し示す。その部屋は障子が閉め切られている。部屋の内側で灯された灯が障子をぼうっと淡く照らす。そして――。
そして、その灯によって、一人の男の人影が障子に写し出されていた。
私はそれを見て取って、案内役に問うような視線を向ける。しかし、案内役は黙して頭を下げるばかり。
つまり、案内した客間を間違えたというわけでもなければ、ここに先客がいるのも、かねてからの予定通りということだろう。
その事実に、童のように胸を高鳴らせる。
――織田上総介、やはり型通りのもてなしで終わる男ではなかったか! さて、鬼が出るやら蛇が出るやら。
私はそっと障子に手を伸ばすと、ゆっくりと横に引いた。
「ッ!」
「何を驚いておる。飲み直しじゃ、明智殿。まだ飲めるであろう? 早う、ワシの前に座るがよい」
そうか。そう来るか! 何とまあ……余りに型破りではないか!
されど、私に否やはない。むしろ望むところ。あちらから胸襟を開いたのだ。ここで飛び込まずに何としよう!
私は織田様の面前に腰掛ける。手を伸ばせば容易に届く距離。先程の案内役が障子を閉めると、ゆっくりと歩み去っていった。二人きり、差し向かいで酒を飲み交わすというわけだ。
織田様は何やら楽し気な表情を浮かべながら酒杯に口を付けている。私もまずは一口、酒杯に口を付けた。
「明智殿、今夜は無礼講じゃ。あいにく酒の肴は用意していない。形あるものはな」
「つまり、交わす言の葉が、酒の肴というわけですな?」
織田様が笑みを深くする。是、ということだろう。真っ先に無礼講と言ったのだ。ずいぶんと踏み込んだことを聞いても良いと判断できる。されど、何を聞いたものか……?
足利家当主へどのような思いを抱いているか? 上洛を果たす気はあるか? 足利家を担いで上洛することで、何を求めるのか?
何とつまらぬ問い掛けであろう。使者に徹するのであれば、それで正解だ。が、織田様にここまでさせて、そんなつまらぬことをどうして聞けようか? ならば……。
「御言葉に甘えて、一つ問い掛けをさせて頂きます。――織田様の望みは何でありましょうや?」
「ワシの望みとな?」
「ハッ! 足利家に求める見返り、そういう意味でなく。織田様自身の望み、あるいは大望と言い換えましょうか? 飛ぶ鳥落とす勢いで勢力を拡大なされている、断固とした意志で以て、前へ前へと進まれる、その先に何を望まれるのです? 貴方様は、この日ノ本で何を為すのでしょうか?」
「日ノ本で何を為すか……。フン、ワシは先見が出来ると抜かす胡散臭い輩ではない。未来で何を為すかなぞ、分かろうわけもない」
そのような言葉で誤魔化すのか、と失望しかけたが、それは誤りであった。織田様は言葉を続ける。
「じゃが、代わりに夢を語ってみせよう」
「夢、ですか?」
「そうじゃ。夢じゃ」
そう言って、織田様は中空を見上げる。どこか遠くを見詰めるような瞳になった。
「ワシは美濃を下し、北近江の浅井と同盟を結んだ。三河の松平も入れれば、これで、三河、尾張、美濃、近江の道を結んだ」
「道?」
「商道よ。物と銭が通う道じゃ。そして、銭そのものを生み出す道でもある」
商道……。領地そのものではなく、道を織田様は重視なさるのか。
「更に足利家御当主を推戴し、上洛を果たせばどうなるか? 東海道、東山道を経て、その後は琵琶湖の水路を渡り、道は畿内へと通ず。京の都に、そして堺まで道を伸ばせば、日ノ本最大の港から、日ノ本中、果ては唐国までも道は通じよう」
壮大な話ではあるが、それが何だというのか? 商いの道を拡げる? それで大量の銭を懐に収めるのが望みだと?
「……織田様は銭を望まれるのか?」
「銭も望むが、それだけでは片手落ちじゃ。銭は、ワシの夢を叶える為の両輪、その片輪よ。明智殿、商道を伸ばすために必要となるものは何だと思う?」
「……商道を伸ばす、これを領地を拡げると置き換えれば、それは兵でありましょう」
私の答えに、織田様は頷かれる。
「その通りじゃ。商道を伸ばす、より一層銭を稼ぐために必要なのは兵じゃ。戦をして道を拡げる。では、戦には何がいる?」
織田様は銭を両輪の片輪と言った。その言葉を念頭に置けば、答えは……。
「銭、でありましょうか?」
織田様は再び頷かれる。
「そうじゃ。兵を、武具を、兵糧を、揃え維持する。これには莫大な銭がいる。また、商道を拡げるには強い兵がいる。……つまり、これらは一方通行の関係性でなく、互いが互いを必要とするのじゃ、連理比翼の両翼のように」
「故に、銭と兵は、織田様の夢を叶えるための両輪であると?」
私の確認の問いに、三度織田様は頷かれた。
「商を活発にし、銭を稼ぐ。それを以て兵を養う。養った兵で更に商道を拡げる。それを以て、更なる銭を稼ぐ。更に稼いだ銭で、より兵を強く養う。この繰り返しよ! ワシはこの方針を貫き、やがて日ノ本を統一する! さすれば、各大名に分割され、それが為に一国家として強くなる機会を喪失しておる今の日ノ本を変えることが出来る! 富国強兵! これを以て日ノ本を、唐、天竺、南蛮、あるいは、まだワシらの知らぬ国に比しても負けぬ、いや、勝つことのできる、世界に冠たる強国へと押し上げる! 他の誰でもない! ワシの手で! ワシの手でそれを為す! それこそがワシの見る夢よ!」
何と……! 何という夢を見るのか!
織田上総介、この男にとっては、天下統一、日ノ本を統一することすら、夢の途上であるのか! 考えていることが違う! 見ている世界が違う! これが、織田上総介信長という男か!
気付けば、私は織田様の眼前で平伏していた。
「何の真似じゃ、明智殿?」
織田様の疑問の声が頭上から降って来る。何の真似か? 気付けば頭を下げていたわけだが、己の心はもう決まっている。だから、答えに窮することもない。
「どうか、この明智十兵衛光秀も、織田様の下にて織田様の夢を叶えるために働かせてもらいたく」
一瞬の沈黙。やがて、織田様は口を開かれた。
「差し許す。励め、明智十兵衛」
「ハッ!」
美濃を去り、越前で長らく無聊をかこってきた。しかし、それも今日で終わる。
私は、私の歩むべき大道を見出したのだから。
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