利口にして強欲なる烏ども

 丁稚奉公であろうか? まだうんと若い少年に先導されながら店の奥へ奥へと入っていく。

 うんと若いといっても、案内役を任されるだけあって、同年代の他の子供と比べると驚くくらい受け答えや、礼儀がしっかりしている。主人や先輩商人らからの躾がよく行き届いているのがよく分かろうというものだ。


 素直に感心する。が、その裏で、きっと客人にそう思わせるために、この少年に客人の取次ぎを任せているのだろうな、などと考えてしまうのは商人の性か。


「こちらになります」


 少年が示した奥座敷には、既に何人もの先客がいた。俺は座敷に上がりながら、彼らに頭を下げて見せる。


「少し遅くなりましたかね? 山城屋さん、大黒屋さん、神田屋さん、小津屋さん、お待たせして申し訳ありませんね」

「いやいや、浅田屋さん、刻限にはまだ少し時がある。それに、芦屋さんや遠江屋さんもまだ来ていないよ」


 そんな挨拶を交わしながら、俺は座敷の空いた場所に座る。

 今日は織田の御用商人らの寄り合いであった。情報交換と関係強化の為に、俺たち御用商人は定期的に集まる場を設けていた。

 会場は毎回持ち回りで、それぞれの店で行われる。今日は山城屋の店の中で行われることになっていた。


「皆さん、岐阜への引っ越しは恙なく? 私などは恥ずかしながら、店がまだごちゃごちゃと片付いていないのですが……。しかし、今日山城屋さんにお邪魔してびっくりしましたよ。どこもかしこも綺麗に片付いているのだから。これは、私が不精なだけかもしれんぞと、反省の念を強めているところです」

「ははっ! 気にすることはありませんよ、浅田屋さん。ウチも似たようなものだから」

「ウチもそうですなあ。これは、我々が拙いのではなく、山城屋さんの差配の見事さを褒め称えるべきでしょう」

「止めて下さいよ、神田屋さん。今日は皆さんが集まるからと、無理やり形にしただけなんだから」

「それはそれは、ご苦労様でしたなあ、山城屋さん」

「全くです。岐阜に移ってから一回目の会合がウチの店の番だとは、運の無さにどれほど嘆いたことか」


 山城屋が難しい顔でぼやく。すると、皆がどっと笑い声を上げた。


「おや、もう盛り上がっていらっしゃいますね」

「ああ、遠江屋さん、それに芦屋さんも。いらっしゃい」

「お邪魔します。遅くなりました」

「いやいや……」


 遠江屋と、芦屋が連れ立って現れた。これで面子が揃ったことになる。それでもすぐに本題に入るということもなく、暫くは引っ越しの苦労話や山城屋の不運についてなど、雑談に花を咲かせる。


「んんっ! 話は尽きませんが、ここらでちと真面目な話もしましょうか。皆様に、浅田屋さんから報告があると伺っています」


 ホスト役として、今回は山城屋が場を取り仕切るようである。山城屋がこちらに視線を向けてくる。俺は一つ頷くと、他の面々に向き直る。


「私から二つ、皆様にご相談したいことが。一つ目は、美濃商人のことです」

「美濃商人……」

「はい。此度、晴れて美濃は織田様のご領地となりました。つまり美濃商人も織田様の下についた。引いては、我らの味方となったと言えます。しかし現状では、我ら尾張商人と彼らとで、友好な関係を築けているとは言い難く。そのことを織田様はご憂慮なされています」

「織田様は何と?」

「美濃商人が反発したり、我らの足を引っ張るような真似は避けたいと。当然ですね。味方同士、足の引っ張り合いをするほど馬鹿らしいことはありません。そうならぬよう、彼らを真の意味で味方に組み込む必要があります」

「……具体的には?」

「織田様の御用商人を代表するこの面子の中に、新たに一人美濃商人を加えてはどうか、そのように織田様は仰いました」

「……………………」


 暫し沈黙が場を支配する。

 織田の代表的な御用商人、その甘い汁を吸える人間が増えることは、この場にいる全員にとって面白いこととは言えない。

 が、俺の言う、もとい、信長の言うことは尤もなことであるので、誰もが文句を付けることも出来ない。それで沈黙に繋がったのだ。


 俺たち尾張商人だけが旨味を独占すれば、必ずや美濃商人の反発を招く。だからこそ、徐々に彼らにも門戸を広げる必要がある。

 その為にまずは一人、美濃商人をこの面子に加えようというのだ。たった一人だけ加えるというのは、俺たち尾張商人を慮ってのことに違いない。


 初めから織田様に尽くしてきたのは、我々尾張商人だ! それがポッと出の余所者が我らと肩を並べる立場になるのか!


 まあ、これが偽らざる尾張商人の気持ちだろう。だからこそ、彼らの気を逆立てしないように、加えるのは一人だけだと、まだ容認しやすい提案を投げ掛けているわけだ。


 それでも面白くないものは面白くない。しかし、その必要性はこの場の誰しもが理解できるはず。そもそも、今ならまだしも、今後益々織田が大きくなれば、尾張商人だけで全てを回すことなど不可能になってくる。

 故に、この流れは、抗いようのない流れであった。


「如何でしょうか、皆さま?」

「……織田様の言は尤もなこと。美濃商人を一人、この面子に加えることに否やはありません」


 言葉とは裏腹に、面白くなさそうな顔で大黒屋が賛意を示す。すると、他の面々も同様に面白くなさそうな顔ではあるが頷いていく。


「それで、浅田屋さん? その美濃商人というのはどのような御仁で?」

「美濃和紙を扱っておられる長良屋さんです」

「長良屋さん? 確かに大家ではあるが……。また、どうして?」


 神田屋が率直な疑問を口にする。まあ、不思議に思うのも仕方ない。長良屋は確かに大家だが、もっと大きい商いをしている商人が美濃にはいる。

 敢えて、長良屋が選ばれたのは、彼が扱う品目に信長が目を付けたからに他ならなかった。


 ――美濃和紙、播磨の杉原紙と並び、日の本全土を見渡しても類を見ない程上質な和紙として知られている。

 この時代、戦国武将が出す書状は多岐にわたった。外交で朝廷や他の大名に文を出すこともあったし、国内でも感状などを始め、数々の公文書を発行する。

 つまり、紙の需要は多かった。その為、上質な和紙はそれそのものが贈答品として贈られることも少なくなかったほどである。


「織田様が外交の際に文を認められたとしましょう。当然、祐筆に美文を書かせるわけですが……。例え美文であれ、書きつける紙が粗悪では台無しです。では逆に、紙が途方もなく上質なものなら……」

「書状を受け取った相手を感嘆させられると?」


 俺は頷いて見せる。


「はい。国内ならいざ知らず、国外では顔を合わせることすらない者も多いでしょう。そのような手合いとは、文だけが交流の手段となります。この文を重要視される。それが織田様の考えのようです」

「なるほど……」


 場に感嘆の溜息が漏れる。分かりやすい豪勢な品にばかり注目するのではなく、一見なんでもないような、されど重要かつ実用的なものに注意を払う。

 信長は派手好きなくせに、このような細かい所にも目が行き届く。なるほど、その視点は冴え渡ったものであった。


 俺は他の面々が大いに納得したのを見計らうと、二つ目の相談に移ることとする。


「さて、二つ目の相談なのですが……。これは皆さまも既にご興味を持たれているであろう、足利将軍家のご使者の件です」


 ぴりりと肌が痛い。明らかに空気が一変した。一同の目がぎらりぎらりと光っている。

 ……だろうな。先に美濃商人の話をしたのも影響しているだろう。

新たなライバルの出現に、自らの存在感が薄まらないよう、信長にアピールする必要がある。此度の足利家の使者の到来は、その格好の場と言えた。


「我々は市井の町民でもあるまいし、ああ将軍家のご使者が来るとはすごいことだなあ、などと、只指を咥えて見物するだけなどありえません。正式な歓待は、林様、村井様がなされますが、我々御用商人は御用商人で何かするべきでしょう」


 一同が大いに頷く。


「して、何をしようと?」

「それを御相談しようと思っております。無論、ご使者の皆様に喜んで頂けることですね。我々がご使者を大いに喜ばせれば、織田様も大層満足なさるでしょう」

「確かに……。が、何かすると言っても、催し物の類は難しそうです。ご使者の日数に余裕があればよろしいが。そうでなければ、織田様との正式な遣り取りだけに終始し、そのまま帰られるやもしれません。……故に、商人らしく贈り物が無難でしょうか」

「でしょうなあ」

「それでよろしいかと」

「では、問題は何を贈るかですが……。贈る相手は、ご使者は当然のこととして。後は、足利将軍家のご当主様への贈り物として持ち帰って頂く品に……」

「贈る相手はまだおりますぞ!」


 一同の視線が、最後の発言者である小津屋へと向けられる。


「実は、此度のご使者が美濃出身の方と聞き及び、その使者殿がどのような御仁か知っておる者はいないかと、方々に聞き回ったのですが、そこで耳寄りな情報を入手しましたぞ」

「ほう。それは如何なものでしょう?」


 問い掛けに、小津屋はずいっと身を乗り出す。


「何でも、此度のご使者の代表であらせられるのは、明智様という御仁だそうですが……まあ、それは皆さまも既にご存知でしょう」


 一同は頷く。そんな周知の情報ではなく、早く本題に入れとばかりに視線で先を促す。


「何でも、明智様が美濃におられた頃は、大層な愛妻家として知られておったそうで……」

「ほほう、愛妻家、ですか……」

「ええ。大層な愛妻家だった、と。最早、皆まで言わずともお分かりですね?」


 この言葉に、一同の眼光は益々ぎらつく。まるで格好の餌場を見つけたからすのようだ。誰より先に群がり、誰より先に喰らい付く。正に商人らしい男たちだ。


「土産の品で明智様の奥方を喜ばせることが出来たなら、それはそれは、明智様も満足なさるに違いない。そういうわけですな?」

「奥方が喜びそうなものを用意せねばなりませんなあ」

「時に小津屋さん。その奥方の為人ひととなりは?」

「さて、慎ましく聡明な奥方だった、と明智家のことを知る者は口を揃えますな」

「ふーむ……」


 一同、思案気な顔立ちになる。


 ……慎ましく聡明な奥方、か。

 そうは言っても、女人である以上、着物や装飾品に無関心とも思えぬが。さりとて、公家の娘に贈る様に、目が眩むほど豪奢なものばかり贈ればよい、というわけにもいかないか。


「武家のよき奥方、となれば、実用的なものを好まれましょうか?」

「華美に過ぎるのは良くないと思いますね。ですが、一つ二つは、それは見事な品を贈るべきでしょう。それも女人が好みそうな。とくれば、贈る物は決まったも当然でしょう」

「我らが舞蘭度たる新有松織。当然ですな。それと、贈る着物に合った簪の一つや二つくらいなら、豪奢なものでも眉を顰めはしますまい」

「それ以外の品は、華美さは抑えた細々とした実用品でしょうか?」

「ひょっとすると、書の類も好まれるかも。源氏物語全巻などどうです?」


 次から次にとめどなく贈り物の候補が挙げられていく。


「これは忙しくなりますなあ。色々とかき集めませんと」


 忙しくなる、などと口にしながらも、山城屋の声音には喜色が滲んでいる。


「皆さま、互いに力を合わせ、織田様の下には尾張商人あり! と、ここ岐阜でも大いに示しましょう!」

「「応!」」


 そのように最後は締め括る。

 よし、よし。これで、御用商人らの働きぶりには、信長も満足することだろう。後は……。後は、貞勝から丸投げされた宿題だけ、か。


 やれやれ、あれはどうしたものか。

 光秀は既に越前を発った。あまり時間は残されていない。


 俺は残された難問に、頭を悩ませるのであった。

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