名声を借る烏

 最も一般的な椀形の茶碗だ。飲み口はやや歪んでいる。恐らくは製作者の意図によるものだろう。

 白い釉薬を用いて焼かれたため、白を基調とし、釉のかかりの少ない地肌には赤みのある景色が顔を覗かせる。……なるほど。


「いい仕事してますねえ」

「……旦那様」

「何だ?」


 家人が言い辛そうに告げて来る。


「それは露店で売られていた安物の茶碗です」

「……そうか」


 俺は目線の高さに捧げ持つようにしていた茶碗を、そっと畳の上に置いた。



 うん。なるほどね。分かっていたことではあるが……茶碗全然分かんねえよ!

 

 畳の上には、浅田屋岐阜支店の家人たちに、高い安いの区別なく、のべつ幕なし買い集めさせた茶碗が並べられている。

 審美眼を養うためであったが、どうも理解できない。


 思えば、前世でも骨董品の茶碗なぞの価値が終ぞ分からなかった。

 テレビ番組などで、○○○万円! などと値付けされた茶碗が出て来ても、いつも胡散臭そうに見やるだけだった。


「駄目だな、こいつは……」


 うん。駄目だ。俺には茶碗の良さは分からん。諦めよう。

 別に問題あるまい。俺の仕事は新たなブランド創設に必要となる人、モノ、金を差配することなのだから。

 その上で、ブランドの方針を示せば良い。


「ならば、まずは人だなあ。よし、明日の朝に出立する。弥七たちにも出立の準備をさせておけ」

「はい」


 家人は一つ頷くと、俺の私室を出て行った。



※※※※



「相変わらず、すさまじい活気だなあ」


 俺は通りを歩きながら感嘆の呟きを漏らす。

 ここは日ノ本最大の商業都市たる堺。

 昨日の夕刻頃に堺に到着した俺は、一晩を宿で過ごし、こうして今、朝というにはもう遅い時分、どちらかと言えば昼に近い刻限に堺の通りを歩いていた。


 通りの両脇には延々と店が軒を連ね、店頭に立った商人らが『旦那! ちょいっと覗いてっておくれ!』と威勢の良い掛け声を上げている。

 また、何を急いでいるのか、通りの人ごみをすり抜けながら駆ける若者が『ごめんよ! ごめんよ!』と声を上げていたりと、耳に痛いくらいの雑踏のざわめきがする。

 まるで縁日の祭りのような有様だが、これが平時の堺の姿だというのだから、驚き呆れてしまう。


 俺の故郷である熱田も有数の商業都市ではあるが、流石にこの堺には逆立ちしても勝てそうにない。


「弥七、道順はこちらで合っていたかな?」


 堺を訪れるのはまだ二度目なので、土地勘がない俺はほとんど無意識にそんな問い掛けをするが、問われた弥七も困ったものだろう。彼は初めての堺だ。


「はい。恐らくは……。今朝方、宿の主人に聞いた通りの道順に相違ないかと」


 生真面目な弥七は、それでもしきりに通りのあちこちに視線をやるや、頭をかきながらそんな返答をしてくる。


「いや、すまない。一度来たことのある俺がしっかりしないとなあ」

「いえ。……ただ、先方の好意を固辞せずに、宿に迎えを寄こしてもらえばよろしかったのでは?」

「まあ、その通りなんだが……。こちらが願い事をしに訪ねるのだから、あまり好意に甘えるのも如何なものかと思ってね」


 それに前回の堺行の際に、これから訪ねる屋敷の前を張り込みしたことがあったので、何とかなるだろうと思ったのだが。


 俺も周囲に視線をやりながら、見覚えのある景色はないかと探す。探す。……おっ!


「弥七、多分あの角を曲がったところだ」


 俺は少し声を弾ませながら指差す。『東雲屋』なる織物の大店に面した曲がり角だ。以前もそこを曲がった覚えがあった。

 果たしてそこを曲がった先の通りも、またどこか見覚えのある景色である。


「ああ、後は道なりに真っ直ぐ進むだけでいいはずだ」


 俺はほっと胸を撫で下ろす。

 道の心配がなくなったので、次いで頭に過るのは、商売の、ブランドのことである。

 今回堺を訪れたのも、無論このブランド事業の為だ。


 ブランド第二弾、京の都での新焼き物事業。

 京のどこに窯元を開くかまでは決めていない。が、験担ぎではないが、桃山時代から現代まで残る清水焼にあやかって、清水寺への参道近くに開くのもいいかもしれない。


 ブランド第一弾の新有松織もまた、同様の験担ぎで成功したわけだしな。

 非科学的だとは俺も思うが、まあこういうのも無視せずに気に掛けておいた方がいいだろう。


 清水寺への参道近く、いや、ここにかかわらず、京の都で窯元を開く際に問題となるのは土地の問題であろう。

 何もないど田舎ではないのだ。そんなに大きな窯元を開けるわけもなく。

 史実の清水焼とて、そこまで大規模なものとはなっていない。


 だが、それでも問題ないと俺は思っている。


 前回のブランドは、高い品質を維持しつつも大量生産を可能とした仕組みを以て、良質かつ安価な織物を大量に売り捌いた。

 が、今回のブランドはその大量生産とは真逆をいくつもりでいる。


 小ロット多品種すら通り越し、一点ものの焼き物ばかりを、しかも生産数を出来る限りしぼったうえで生産する。――全ては名物茶器を生み出すために。


 名物茶器は簡単に手に入ってはいけないのだ。入手困難であるからこそ意味がある。

 欲しい、欲しい、だが需要に比して供給が余りに少ない。その希少性こそが、価値を天井知らずに押し上げるのである。


 もっとも、ただ数が少ないだけでは、名物茶器としての名声が生まれるわけもなく。

 名声を、需要を喚起するための仕組みがいる。

 俺はそれを、人に、人の名声に求めようとしている。


 例えば、有名デザイナーがデザインしたアクセサリー。あるいは、世界一のバリスタが監修したコーヒー。

 その手の手法を以て、顧客からの信頼や期待を生み出すのだ。


 ああ! あの高名な人が製造にかかわっているのなら、きっと素晴らしいものに違いない!

 そんな期待を煽ることで、購買意欲を高めていく。


 止めは、実際にそれを入手したユーザーの好評だ。

 まず信長を通して、将軍足利義昭に献上する。義昭に、これぞ天下の名物だ! とでも言わせればどうなるか?

 更に、義昭に続いて、信長、信長の同盟者である松平家康や、浅井長政といった大名クラスに、摂関家などの名門公家の当主にも贈る。

 彼らもまた、このブランド茶器を褒め称えれば?

 そしてもしも、もしも帝に献上叶うなら? お褒めの御言葉を頂戴できれば?


 それを聞いた人々は思う筈だ。

 これらの大人物が、揃いも揃って素晴らしいと褒め称える舞蘭度茶器とは、一体如何なる茶器なのか? ああ、是非とも手に入れたいものだ、と。

 が、しかし、生産数が極めて少ないとなれば。引き起こされるのは、需要過多で供給が追い付かぬ状態。つまり、値段が跳ね上がっていく。


 そして、大金を叩いてやっとの思いでブランド焼き物を手に入れた人間は茶会の場で言うのだ。――『これが今有名な舞蘭度茶器ですぞ』と、鼻高々に。

 自慢された側は思うだろう。自分も手に入れねば、と。

 やがて、茶会の場でブランド茶器を持つことこそがステイタスになる。


 俺はそんな未来予想図に、にんまりと笑む。


 ブランド茶器が茶会のステイタスになる、そんなことが叶えば、いずれオークションの真似事をしてもいいかもしれないなあ。

 京の都で、大規模な催し物として開催するのだ。

 見える様じゃないか。名門の公家や武家が互いの威信をかけてブランド茶器を競り落としていく様が。はは、きっと恐ろしい程の値がつく。


 凄まじいまでの話題にもなるだろうし、いつかの有松コレをも上回る盛況な催し物になるだろうさ。……っと。


 夢想しながら歩いていると、目的地である屋敷が見えてきた。

 いかん。いかん。先々のことを夢想するよりも、まずは第一歩目を、製造段階でブランド茶器に箔を付けるための人材確保に注力せねば。


 俺は気を引き締め直して歩みを進める。すると、屋敷の門前に一人の男が立っているのに気付いた。

 四十半ばほどの男だ。穏やかそうな面持ちをしているが、初めて会った時の凪いだ水面のような瞳はなりを潜め、爛々と輝いた目をしている。まるで燃える篝火のように。


「これは今井様。わざわざお出迎え頂くとは……」


 俺は頭を下げ、恐縮したように言った。


「いえいえ。大山さんが当家を訪ねて下さると言うのです。このくらいのことなど。……それに正直に告白すれば、大山さんが一体どんな話を持ってくるのかと、年甲斐もなく心躍りましてな。それで待ち切れなかったのですよ」

「はは、これは今井様を失望させぬように気を入れねば」

「何の、大山さんに限ってそんなことはないでしょう。さあ、どうぞ」


 俺は堺の大商人今井宗久に先導されながら、彼の屋敷内に足を踏み入る。

 門を抜けると、よく手入れの施された見事な庭が広がっている。ああ、流石だなあ、と感心しながら歩を進め、屋敷へと上がり、やがてある一室に通された。


 俺と宗久が差し向かいで座ると、そう時を置かずして、今井家の家人が茶を運んできた。

 二人して、まずは軽く茶に口を付ける。


「……それで、大山さん、当家を訪ねられたご用件は?」


 俺は茶碗をそっと畳の上に置くと口を開く。


「単刀直入に申し上げれば、これから起こす新事業に御三方のお力添えを願いたく思っています。一人は今井様、なので今井様にお力添え頂けるようお願いに参ったのと、厚かましいことに、更に残る御二方を今井様にご紹介して頂きたく」


 宗久は顎先に手を当てる。


「ふむ。力添えも、人を紹介するのもやぶさかではありませんが……。して、その新事業とは?」

「今井様は、織田ブランドをご存知でしょうか?」

「勿論、新有松織のことですな。あれは、見事なものでした」

「ありがとうございます。……実は、新たなブランド事業を京で起こす積りです。品目は、茶器にて」

「茶器……ははあ、なるほど。では、紹介して欲しい二人とは」


 宗久の瞳に理解の色が宿る。


「ええ。千宗易様と津田宗及様にございます」

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