天覧競売会 三
――東大寺 境内
大仏殿を背に、俺は壇上に上がる。
本来あった筈の史実では、大仏殿は永禄十年に松永と三好三人衆の戦いで盛大に燃えることとなった。
だが、この世界ではそれよりも三年早く信長が畿内入りしたため、大仏殿は炎上を免れ今もその威容は健在だ。
俺の正面、大仏殿前の広場には、過去二回の競売会を上回る錚々たる面子が揃っている。
公家、武家、畿内の有力者が揃っているのは、過去二回と変わらないが。――ああ、今回は信長も出席者の一人として参加しているのは異なるか。
それ以外だと、畿内の外から徳川家康や浅井長政ら、信長の盟友たる大名たちが駆け付けた。
他に招待された大名はというと……信長に呼び出され、のこのこやって来たと思われたくなかったのだろう。
何かと理由をつけて本人ではなく、名代たちの出席となっている。
まあ、天正株式組合主催と銘打っても、どうしても信長色が強いから仕方あるまい。
それでも中々の者たちが来ているが。
例えば武田信玄の名代には、武田勝頼と穴山梅雪がやって来ている。
北野天満宮の時と違い観客は入れてないが、それでも正式な出席者だけで広場が埋まっている。
流石は天覧競売会といったところか。
そう、天覧競売会だ。俺の左手には、仮設の御座が組み上げられ、少し高い場所から御簾越しに帝がご覧になっている。
天覧競売会の会場を東大寺とした理由の一つは、過去に幾度も帝の東大寺巡幸の前例があったからだ。
そのため、帝の旅程や道中泊まる宿などは、前例に倣えばよかったので貞勝は楽が出来たことだろう。……妬ましい。
壇上に上がった俺はまず、帝に対して拝礼する。
冷静に考えれば、とんでもない事だ。
商人風情が、帝に頭を下げる機会が訪れようとは……。
次いで、正面の出席者たちに頭を下げる。
顔を上げると、スーッと息を吸う。
「お待たせしました! 第三回目の名物競売会――東大寺競売会を開催します!」
過去二回の競売会から来る期待感からか、その宣言だけで歓声と熱気が上がる。
名物を必ず競り落とさんと、目を爛々と光らせている者も少なくない。
特に、ある人物が顕著だが……。
大仏様はお前に微笑まないと思うがな。何せ、平行世界の恨みがあるだろうから。
「早速一品目をお目に掛けましょう!」
寺院を会場とする今回の競売会に相応しい品であろうか、木彫りの仏像が運び込まれる。
「この仏像は――」
由来を語るにつれ、出席者たちの熱は益々高まっていく。
「――最低落札額は三百五十貫から。では、始めましょう」
「三百六十!」「三百八十!」「三百九十!」
広場のそこかしこから声が上がる。値が吊り上がっていく。
「――四百二十貫」
おっと、皆の注目が集まる。信長だ。信長が入札した。
が、別の者が更に値を吊り上げ入札すると、信長はあっさりと引き下がる。
信長は、端から競り落とす積りがない。
が、ほとんど主催者とはいえ、形だけは一般参加者だ。終始だんまりなのも、余りよろしくない。
今日は一日、信長はこんな形で、程々に存在感を出していく筈だ。
「四百八十貫で、そちらの御仁が落札されました!」
拍手が会場を包む。さて、最初の滑り出しは上々だ。このまま上手く回していきたいものだ。
それからも、名品、珍品が次から次に競り落とされていく。
五品目が競り落とされた時点で、いよいよ本日の大目玉を壇上に運ばせる。
「本日のとっておきの隠し玉! なんと帝からの出品です!」
「帝!?」「帝がご出品なさる!?」
困惑の声と共に壇上に運ばれてきたのは、異国風の水差しである。
木製の胡瓶――ペルシア式の瓶で、表面に黒い漆が塗られ、草花や鳥獣の文様が入っている。鳥の頭のような蓋が特徴的だ。
ざわりと、会場内がどよめく。『まさか……』と、誰ともなしに口にした。
帝の出品、会場が東大寺であること、そして風聞で伝え聞くある宝物と酷似した意匠、それらから出席者の頭の中には、ある宝物の名が浮かんでいる事だろう。
そう、東大寺正倉院に眠る天皇家の宝物の一つ、彼の聖武天皇が愛用した水差し『
出席者たちは皆、真剣な目付きで胡瓶を見遣る。目を細めて睨んでは、まさか本当に? と首を捻る。
出席者の数も多い。壇上まで距離がある者も少なくない。できれば、壇上に進み出て、手に取り
「さて、こちらの胡瓶、値が付くような品では御座いませんが……『一万貫!』」
どよめきが増す。俺の口上を遮り、信長が入札したのだ。
俺は口の端を吊り上げる。
「織田右大将様が待ち切れぬご様子。無粋な口上は略しまして、始めましょう。まずは、一万貫! 一万貫の入札です! 他に入札される方はいらっしゃいますか!?」
出席者たちは、近くの者たちと顔を見合わす。戸惑ったような空気が流れる。
天皇家伝来の国宝と思しき品――誰も見たことがないので、それらしき品としか分からない。
そして、一万貫もの破格の入札額。
仮に本物だったとしても、おいそれと入札できる金額ではない。
「い、一万と百貫じゃ」
困惑した空気の中、震えるような声で入札がなされた。
近衛前久だ。蒼白な面持ちで、今にも倒れてしまいそうだ。
関白であり、藤氏長者たる彼は、正に宮中の代表者だ。
宮中における伝統の守護者と言っても過言ではない。
帝の御乱心――そう取られてもおかしくない――で正倉院伝来の宝物が流出するなど、彼にとって許せることではないだろう。
何としても己の手で落札せねば、という悲壮な決意が見て取れる。
無論、前久個人に一万貫を越える銭を用立てられるとは思えない。
しかしそこは、出品者が帝だ。
無事落札できたなら、帝を諫めた上で、宝物を正倉院に戻す。無論、帝には銭を支払わない。そんな積りなのだろう。
ただ、それでも顔面蒼白なのは、出品者が天正株式組合に払わねばならぬ手数料だ。
この手数料、落札額の八厘(8%)となっている。
一万とんで百貫の八厘というと、手数料は八百とんで八貫なので、既に他の出品物の落札額を越えていたり、特に高い出品物と同額くらいである。
うん。手数料だけで。何とも恐ろしい。
蒼白な前久と違い、会場の困惑は鳴りを潜め、燃え上がるような熱気が戻って来てる。
信長と前久――当代の文武の頂点にいる男たちが、一万貫を越える入札をしたのだ。それ即ち、彼らがそれを本物であると認めたことに他ならない。
思えば、そもそも、これまで名物競売会にかけられた品々で、天下の名品、珍品以外が出てきたこともなければ。
帝、その人の出品物なのである。贋物と思う方がおかしい。
会場の空気は、そのように一気に塗り替えられていく。
残る問題は、天皇家の宝物を売りに出していいの? 買っていいの? という気掛かりだけだが、これもクリアされている。
そもそも売りに出したのは自分たちではないし、買う側にしても、やはり文武の頂点にいる信長と前久が率先して入札したのだ。
自分たちが入札したとて、咎められる謂れはない。出席者たちは、そう判断した様であった。
「一万一千貫!」
おお! と歓声が上がる。更なる入札だ。
入札したのは……目が完全に逝っているボンバーマンだ。
お前、そんな銭支払えるのか?
全てのコレクションを手放す積りだろうか? あるいは、ご自慢の多聞山城でも売りに出したりしてな。
「一万二千貫!」
今度は信長だ。会場の熱気は最高潮に達する。ほとんどの出席者が、最早ただの観客と化し、一体どこまで値が上がるのか? と頬を紅潮させながら成り行きを見守る。
「一万二千二百!」
「一万三千!」
ボンバーマンと信長の鍔迫り合い。しかしそこに――。
「い、一万五千……一万五千!」
前久の血を吐くような宣言。前久は血走った目で、信長とボンバーマンを交互に睨む。
ボンバーマンは顔を歪め、信長は静かに目を閉じる。
「一万五千貫です! 一万五千! 他に入札される方はいらっしゃいませんか? いらっしゃいませんね! 名物競売会過去最高値で、そちらの御仁が落札です! どうか、壇上にお上がりください!」
割れんばかりの拍手の中、前久は幽鬼のようにふらふらと壇上にやって来る。
「落札おめでとうございます! さて、帝より落札者が現れれば読み上げるようにと、女房奉書(帝の意向を女官が代筆した文書)を頂戴しております」
漆塗りの盆に載せられた女房奉書が壇上に届けられる。
「帝の命により、誠に、誠に僭越ながら手前が読み上げさせて頂きます」
俺は恭しく女房奉書を押し頂くと、広げて、中身を読み上げていく。
「朕も、此度の競売会に華を添える為、何ぞ出品したいと願い、胡瓶を用意した。良い出来であったかと思う。正倉院の宝物を模し、職人に作らせ、最後の仕上げに朕の手を少し加えた品である。――真作でないものを名物競売会にかけるのは、本来の理念から外れることであるが。そこは朕の我儘で、天正株式組合の者に無理を押して出品するよう申し付けた。とはいえ、万に一つ何かの誤解があり、模造品が真作として落札されたのであれば問題であるし、名物競売会の信用も失墜する。朕は、そのようなことは望まぬ。望むのは、ただ競売会に華を添える一事のみである。そこで天正株式組合と相談し、落札された直後に、その落札は無効とすることで合意を得た。――されど、折角落札した者を手ぶらで帰すのも忍びなし。値が付くような品でもないが、無償で胡瓶を授くものとする」
読み上げ、女房奉書を丁寧に畳んでいく。
気が抜けたのか、前久は力なく座り込んだ。
御簾の向かうから、日ノ本で最も高貴な御方の忍び笑いが漏れ聞こえた。
※※※※
――甲斐国 躑躅ヶ崎館
この館の主人である男が、上座に泰然と座っている。
頭を丸めた、恰幅の良い男だ。名は、武田信玄。甲斐の虎と呼ばれる戦国大名である。
向かい合わせで、下座に座するのは彼の四男武田勝頼だ。
「四郎よ、天覧競売会の様子、また織田領内で見聞きしたことを報告せよ。時間はかかっても構わぬ。どんな些細な事も漏らさずにの」
「はい」
勝頼の報告を信玄は聞く。
気になったことは、一つ、一つ確認し、満足いくまで何度も問い掛けた。
この日の親子の会話は、長いものとなった。
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