天覧競売会 二

 京から安土に戻って来た。

 浅田屋の暖簾をくぐりながら、真っ先に留守を任せていた番頭に問い掛ける。


「織田様のご動向は分かるか?」

「はい。数十名のお供を連れられ、鷹狩に出掛けられたそうです」


 俺はほっと胸を撫で下ろす。

 少なくとも、今すぐ信長の使いがやって来て『登城せよ』と言われることはなさそうだ。


 天覧競売会の話は、既に信長の耳にも入っていよう。

 俺が安土に戻ったと知られれば、直ぐに呼び出されるに違いない。

 それまでに、何とか知恵を絞り出さねば……。


「思案したいことがある。奥の部屋に籠るが、誰も近付かないように。於藤にもそう言っててくれ」

「はい」


 俺は一番奥の部屋に入ると、襖を閉める。どっかりと座り込んだ。


 ったく! 貞勝め、最後の最後にとんでもない爆弾を落としやがって!


 帝が何らかの形で競売会に参加したい? 帝の天覧だけでも大事も大事なのに、更に参加もしたいだなんて。

 思わず、頭を抱えてしまう。


 ……冷静になれ。まずは一つずつ、一つずつ問題を解決していこう。


 天覧競売会、真っ先に問題になるのは、会場を何処にするのかということだ。

 帝の坐す宮中?


 戦国史では確か、禁中茶会が催されたことがある。

 茶頭は務めたのは千利休だ。

 そういった例を鑑みれば、帝の御在所をそのまま会場にするのは不可能ではないだろう。


 が、そんな所で開催すれば、中に入れる人間がごく限られてしまう。

 禁中茶会でも、只の商人に過ぎぬ千利休は本来参内できぬ身分であった。

 特別に、帝から居士号を与えられ、それで参内することが叶ったのである。

 因みに、この居士号こそが『利休』である。


 そんな裏技もあるにはあるが、それで参内の資格を得られるのなんて、司会役の俺一人が認められれば御の字だろう。

 競売会の裏方の人員を参内させることなんて不可能だ。


 よって宮中は除外。


 となると、帝に宮中からお出ましになってもらう他あるまい。――帝の競売会行幸というわけだ。


 帝が伊勢などの神社に行幸されることままあるし。

 戦国時代の有名な例であれば、秀吉の聚楽第に二度も帝が行幸されたこともある。


 故に、行幸自体は不可能ではあるまい。

 もっとも、不可能ではないだけで、相当頭を悩ませることになるだろうが。


 帝の行幸なんてものは、宮中のビックイベントだ。

 上に下にの大騒ぎ。

 ましてや、前例のない競売会行幸ともなれば、何も参考にできず、一から手探りで準備を進めねばならない。


 何処に、どのように帝をお招きするのか?

 考えることはいくらでもあろう。


 ……前途多難なことだ。しかしそこは、貞勝に任せよう。公家らと折衝して、何とか纏めてもらうわけだ。

 そのくらい、やってもらわねばな。


 早々に、一つの問題を丸投げすることとする。

 されど、その後に出現する問題こそが最大の難敵だ。しかも避けて通れない。


 ――帝を何らかの形で競売会に参加させる。これだ。

 ご覧になるだけでなく、参加もされたいとはとんでもない要望だ。

 ああ、頭が痛い。


 参加? 帝が? 競売会に? 馬鹿じゃないのか?


 熱気高まる競売会場、他の参加者たちと肩を並べ、声を張り上げ出品物を競り落とそうとしている帝の姿を思い浮かべる。


 ……ない。あり得ない。却下だ、却下。

 うん、許されるわけがない。

 高台か何かを設け、帝にはそこから御簾越しにご覧頂く他あるまい。


 つまり、競り落とす側で参加はできない。となると、出品者側での参加であろうか?


 帝だ。天皇陛下だ。当然、天皇家所縁のお宝なぞいくらでもお持ちだろう。

 さて、それら至高の品々を競売に掛けられるか? 答えはノーだ。

 正に国宝だ。そんなもの売りに出せるわけがないし、値がつけられるわけもない。


 考えても見ろ。極論だが、三種の神器を競りに出せるか? 出せるわけがないよな!


 頭痛は酷くなる一方だ。頭を掻き毟る。


 では、伝来の宝ではなく、帝個人の権威に付随する宝であればどうか?

 安土競売会の信長の御鎧と同じ手だ。

 これなら、一見無理がないようにも見える。……だが俺は知っている。世間が許しても、決して信長はこれを許しはしないと。


 宮中は万年金欠だ。金がない、本当に金がない。


 ここ数代、宮中の行事が資金不足から滞る例が何度もあった。

 最たるものは帝の即位の礼である。

 践祚しても、金欠だから何年も即位の礼を上げられない。そんなことが本当に起きていた程である。


 今代の帝――正親町天皇は践祚から二年もの間、即位の礼を上げられなかったし、先代の帝である後奈良天皇は十年、先々代の後柏原天皇に至っては二十一年!

 どれほど金がないかは馬鹿でも理解できよう。


 その為、困窮した戦国期の帝たちは、各地の大名など有力者に献金をたかりまくった。

本願寺の顕如に『門跡』の称号を与える代わりに、莫大な献金を受け取ったり。あるいは、献金した大名らに官位を授けたり。

 果ては、自らの直筆を大名たち売り捌く事すらした。

 大名たちは献金さえすれば、自分の好きな文言を帝に直筆させることが出来たのだ。


 とんでもない事である。


 ただ、このなり振り構わぬたかり行為は、ここ数年行われていない。

 信長が畿内の覇権を確立したからだ。


 信長は、莫大な金銀を宮中に献金した。

 そのお陰で、宮中の財政は相当改善されたのだ。なり振り構わずたからなくてもいい程に。


 また、宮中の者たちとて馬鹿ではない。

 信長のライバルたる大名たちに帝の権威の利用を許せば、信長の機嫌を損ねることくらい分かっている。

 信長にとってみれば、帝の権威を利用するのは自分だけでなければならないのだ。


 だからこそ、信長は莫大な献金をしているし、宮中もそれを受け取り大人しくしている。


 だが、この競売会で再び帝の権威を金銀に換えることをすれば、どうなるか?

 帝の愛用の品だの、そういった者に畿内の有力者たちが大金を支払えば?


 間違いなく味を占める。


 懐を温かくするため、それはそれは売り捌くことだろう。

 風聞が悪いことこの上ないし、宮中の金欠が解消されてしまえば、献金をする信長の発言力が低下してしまう。


 そんなこと、信長は望まない。

 宮中が金欠であることが、信長にとって好ましい状況なのだ。



 ……天皇家の宝を売りに出すことは出来ない。帝の権威を切り売りすることは許されない。

 それでは、何を出品させろと言うのだか!


 俯き、畳を見下ろしていると、不意に声を掛けられる。


「旦那様、入りますよ」


 於藤だ。俺は顔を持ち上げる。


「誰も近付かぬよう申し付けたはずだが?」

「ええ、聞きましたとも。ですが巳の刻に戻られたかと思えば、奥に籠られて、食事もしないまま、もう未の刻になりますよ」

「……ああ、そんなに経っていたか」


 於藤が傍に寄る。


「そんなに眉間に皺を寄せられて。此度の無理難題は、いつにも増して大変そうですわね」


 そう言って微笑むと、於藤は人差し指で人様の眉間を突っついてくる。

 俺は嫌がるように頭をずらした。


「どうです? 何を悩んでいるか、於藤にお話しなさっては」


 俺はため息を一つ零すと、簡単にあらましを説明する。

 黙って聞いていた於藤は、僅かに小首を傾げる。


「成る程、確かに難問ですね」

「だろう? だから知恵を絞り出す為、云々と一人思い悩んでいるんだ」

「ご思案なさるのも大事ですが。思い悩み過ぎると、却って良い考えが浮かばなくなりますよ。少し休憩なさいませ。軽く食事をとられたら、於藤と気晴らしに散歩にでも出かけませんか?」



※※※※



 於藤と二人店を出る。

 

 俺が食事をしている間に、於藤は外行き用の着物に着替えていたらしい。

 ほどほどに着飾った姿で、嬉しそうに歩いている。


「今日は、抜けるような晴天ですわね」


 於藤の声に釣られ、空を仰ぎ見る。確かに良い天気だ。今日がこんなにも晴れ渡っていたという事実に、今更気付かされる。


 ……於藤の言う通り、少々思い詰め過ぎていたか。


「旦那様と二人きりで出かけるも、うんと久しぶりですね」

「ああ、そうだね」


 俺が忙しなく各地を飛び回っているのもあるが、何より幸という子供が生まれたことにより、確かに二人だけで何処かに出掛ける機会というのはめっきり減った。


「今日はどこに足を伸ばそうか?」

「市場は如何です?」

「市場?」

「店を冷やかして回るのは、愉快なものですよ」


 初めて於藤と会った日のことを思い出して、にやりと笑む。


「於藤様の津島巡り、だったかな? 悪癖とは、なかなかどうして直らぬもののようだ」


 於藤もまたくすりと笑う。


「さあ、行きましょう」



 それから二人、安土の大通りに軒を連ねる店々を冷やかして回る。

 いくつかの店の前を通り過ぎていくと、見事な藍染の着物が並ぶ店の前に来る。


 ――山城屋だ。尾張の御用商人。最も付き合いが古い仲間の一人の店である。


 俺の手を離れた有松織の商売を一手に引き受けているのが、山城屋である。当然、山城屋の安土店に並ぶ藍染の着物は、全て有松織である。


 思い出深いその着物をじっと見ていると、店頭に立つ男に声を掛けられる。


「旦那如何です? どうぞ手に取って見て下さい」


 十五、六のまだ若い商人だ。山城屋の店員のようだが、俺の顔を知らないらしい。

 よりにもよって、俺に売り込みをかけて来るとは、何ともおかしい。


 さて、何と返事したものか、と思っていると於藤が俺の袖を引く。

 視線を向けると、いたずら気な笑みを湛えていた。


 よし来た! と、於藤の意向を察して口を開く。


「偶には妻孝行しようかと店を巡っていたんだが、この見事な藍色に目を惹かれてね。この着物について、色々教えてもらっても構わないかな?」


 若い商人は、於藤、というより於藤が着ている着物に視線を向ける。

 パッと見ただけでも安物ではないことは分かるだろう。


 上客そうだと判断したのか、若い商人の目は爛々と輝く。


「勿論喜んで! こちらの着物は有松織といいます。旦那、有松織をご存じですか?」

「いや、不勉強でね。よく知らないんだ」


 若い商人は一つ頷くと、この有松織がいかに優れた着物であるのか、滔々と売り文句を並べていく。

 目の前にいる男が、この着物の生みの親だと知りもせずに。


 暫く感心したようにセールストークを聞いていると、店の奥からまた別の年嵩の商人が顔を出す。若手を心配して出てきたのだろうか?


 っと、この男の顔は知っている。山城屋の番頭だ。


 山城屋の番頭は、俺の顔を見てぎょっとする。


「これは、浅田屋の旦那!」

「え? え、浅田屋……?」


 若い商人は、俺の顔と番頭の顔を交互に見る。

 番頭は、若い商人をどやしつける。


「見習い小僧に毛が生えたような若造が! 誰に偉そうに講釈を垂れとる! 釈迦に説法とはこのことだ!」


 若い商人は目に見えて狼狽する。流石に彼に悪いと、俺は助け舟を出す。


「まあまあ、彼は何も悪いことをしてやいませんよ。むしろ、私は感心してすらいたんですよ、番頭さん。まだお若いのに堂に入った売り文句で……きっと彼は、将来山城屋さんの稼ぎ頭になりますよ」

「またそんな。こいつは、まだまだひよっこですよ。お世辞は程々に。のぼせ上っちまうので」

「お世辞ではありません。彼はよく勉強している。有松織の何を売り込むべきなのかを、ちゃんと分かっている」


 お世辞ではない。この若い商人は、有松織の強みをきちんと理解した上で、俺に売り込みをかけていた。


 俺は若い商人に向き直る。


「有松織は私にとって思い出深い品だ、今後もその調子で客に売り込んで欲しい。頼んだよ」

「はい!」


 若い商人は気持ちの良い返事をする。火照った顔で嬉しそうにはにかんだ。





「……少々悪戯が過ぎたかな。山城屋の若いのを、困らせてしまった」

「でも、最後には嬉しそうでしたよ」

「そうだね」

「ならば気にすることもないでしょう。中々愉快な一幕でしたし。きっと、山城屋でも今日の出来事は定番の笑い話として語られますよ。何年経っても」

「……やはり、彼には悪いことをしたかもしれんな」


 俺は頭を掻く。於藤はくすくすと笑った。俺も口の端を吊り上げる。

 暫くそうして、通りを無言で歩く。


「ねえ、旦那様」


 ふっと、於藤が声を掛けて来る。


「織田様は、どうして旦那様を重用なさるのだと思いますか?」


 唐突な質問に、思わず足を止める。於藤の顔を見た。


「どうしてだと思われますか?」


 於藤は同じ問いを繰り返す。


「それは、俺が織田様に利益を齎しているからさ」

「そうですわね。それが一番の理由でしょう。ですが、それだけでしょうか?」


 俺は首を捻る。於藤の言わんとしていることがイマイチ分からなかった。


「分かりませんか? では、質問を少し変えて。何故織田様は、旦那様に無理難題ばかり持ち込まれるのでしょう」

「何だかんだで、その難題に応え続けて来たからな。我が事ながら、よくやってきたものだ」


 うん、本当に色々やってきたもんだ。


「はい。難題に応え続けて来たから。それはそうでしょう。ですが、それだけではなく、きっと織田様は楽しまれていたのだと思いますよ」


 俺は顔を顰める。


「難題に右往左往する俺の姿を見て、楽しんでいたと?」

「違います。そういう意味ではありません」


 於藤は、察しの悪い小僧を前にしたように、やれやれという空気を出す。


「具体例を上げましょう。先日の安土競売会、上座にお座りになっておられた織田様はどのような心持だったでしょう? 次から次に名物が高値で競り落とされるのを見ながら、最後の出品が近付くのを、どのような想いで待たれておられたか? いよいよ最後に、織田様の御鎧が出品された時の、皆の反応を見て如何想われたか? ――きっと痛快な心持だったことでしょうね」


 於藤は笑う。


「私は確信しておりますよ。殿方というのは、いくつになられても悪戯がお好きだと。旦那様と織田様を見ていれば、それは貴賎上下の区別もないご様子。――では、帝も同じではないかしら?」

「帝も?」

「左様ですとも。此度の天覧競売会、愉快な催し物を楽しまれたい、と帝は思し召しなのでしょう? なれば存分にお楽しみ頂ければよろしいかと。旦那様と織田様の二人と共に、悪戯を仕掛ける側に回って頂ければ如何?」


 笑いが込み上げて来る。


「俺の妻は恐ろしいことを言う。帝に悪戯の片棒を担がせろと? 何と大胆な案だろう」

「ですが、面白そうではありませんか?」

「ああ、面白い」


 俺は頷く。

 あれ程までに頭を悩ましていた天覧競売会が、楽しみになってきた。




 ※※※※


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