天覧競売会 一

 ――帝が、競売会をご覧になりたいと仰せらしい。


 囁くような声音であったにもかかわらず、雷鳴よりも衝撃をもって室内に響いた。

 天正株式組合の大株主たちが、海千山千の商人たちが、完全に度肝を抜かれてしまった。

 

 ある者は目を瞠り、ある者は口をあんぐりと開け、ある者は落ち着かなげに左右に視線を走らせる。

 俺とて例外ではない。頬に汗が伝い落ちる。


 帝、帝だと……。


 冗談じゃない!

 さしずめ、頻りに噂される競売会に興味を持ち、『楽しそうだ、是非見てみたい』などと本人は気軽に口にしたのだろうが。


 帝の何気ない言動一つで、何人もの運命を狂わせる事すらできるのだ。

 その辺を、きちんと弁えてもらいたい。

 帝本人はもとより、周囲の公達たちには特に。……そうだ、帝の周囲は何と言っているのか。


「村井様、帝の御意向は分かりました。我々の競売会をご覧になりたいとの御言葉、大変名誉なことに存じますが。……帝の周囲の方々は如何思し召しなのでしょうか?」


 勿論反対しているよね! そんな副音声と共に期待の視線を貞勝に送るが、視線を受ける貞勝の顔は優れない。ばかりか、首を横に振りやがった!


「関白殿下が、それとなく翻意を促されたそうじゃが……聞く耳を持たれぬらしい」


 関白……足利義昭の追放と共に、義昭と懇意だった二条晴良も関白職を追われ、今の関白は近衛前久だ。

 近衛前久といえば、戦国史の中ではもっとも有名な関白だろう――猿木藤を除けばだが――有能な男だと聞く。彼でも説得能わないのか……。


「その、帝は何故、それ程までに……」


 貞勝の目付きが鋭くなる。


「大山、お主のせいでもあるのだぞ」

「は?」

「先の京での御馬揃えよ。お主の提案で、あれを帝に天覧頂いたわけだが、すっかりお気に召されたらしくてな。宮中で『右大将の催しは実に愉快』と、口癖のように仰せだったそうだ。そこに、今回の競売会の噂じゃ。皆まで言わずとも分かるであろう?」


 ……成る程。はあ、子供かよ。

 いや、宮中での堅苦しさや、変わり映えのしない日々に、飽き飽きされてそうなのは何となく察せられるし。同情もしなくはない。

 そんな日々に、新しい風が吹けば、是非体感したくなるのも分かる。分かるんだがなあ。


 難しい、極めて難しい。


 帝に競売会を天覧頂く。大層名誉なことだし、この天覧競売会が上手くいけば、どれ程のリターンがあるか。

 途方もないリターンだ。間違いない。が、なればリスクはどうか?


 京都御馬揃えはいい。あれの主催者は、信長だ。

 多少の不始末があっても、信長がどうこうなることはない。


 天下人に最も近い実力者であるし、何より、日頃から宮中にせっせと献金しては、天皇家や公家の台所を支えている大黒柱だ。

 信長の献金のお陰で、宮中の財政は劇的に改善されている。


 一体、信長を誰が罰せられるというのか?


 しかし、名物競売会はどうだ?


 信長の許しを得て、我ら天正株式組合の名の下主催されている事業だ。

 天覧競売会で、もしも途方もない不始末を仕出かせば?

 株主たちの首が飛んでもおかしくない。無論、物理的にだ。


 皆仲良く、三条河原辺りで晒し首になっている絵面が脳裏を過る。

 縁起でもないので、慌てて嫌な想像を追い払った。


 ああ……断りたい。今すぐ断りたい。絶対に断りたい。が、断れないことくらい分かっている。

 雲上人に『やれ』と言われれば、我々下々の返事は一つしかない。


「天覧競売会……避けては通れませんか」

「うむ。そして、失敗は許されぬ」

「承知しました」


 やると決まったならば……!


 俺はハッタリの笑みを浮かべ、胸をドンと叩く。


「お任せ下さい! 手前、これまで様々な無理難題に応えてまいりました! 此度も、必ずやご期待以上の成果をご覧に入れましょう!」


 気炎を吐く。

 ハッタリだ。まごうことなきハッタリだ。しかし、引き受けると決まったのなら、嫌々引き受けた所を見せられない。貞勝にも、株主たちにも、決して。

 彼らを不安にさせてしまう。その後の士気にかかわる。俺の用意する舟は泥船ではない、大船なのだと思わせなければ。


 俺は、貞勝に一つ頷いて見せると、周囲の株主たちの顔をぐるりと見回す。


「皆様! この天覧競売会、必ずや後世に語り継がれるものとなるでしょう! 否、我々の手でそうするのです! 何卒! 何卒お力添え下さい!」


「応とも!」「そうだ!」「やってやりましょう、浅田屋さん!」


 場の熱が高まる。皆、腹を括った顔をしている。

 誰ともなしに、杯を掲げ出す。


「天覧競売会の大成功を祈って!」


 俺はそう口にすると、杯の中身を一息に飲み干した。

 周囲の株主たちも、一思いに飲み干していく。よし、皆の士気も高い!


「大山」


 活気だった中、貞勝が囁く。俺に手招きした。

 はて? 不思議に思いながら顔を近づける。貞勝が俺にだけ聞こえるように耳打ちする。


「……帝は、ご覧になりたいだけでなく、何らかの形で参加もされたいそうじゃ。何とか知恵を絞ってくれ」



 ………………は?

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