北野競売会
――京 北野天満宮
「――八百貫! 八百貫です!」
俺の声に、場の熱が高まる。
八百二十! こちらは八百五十だ! と次から次に声が上がる。
途方もない額を入札していく貴人たちを、少し離れた場所から見ている観衆たちも、その都度騒ぎ立てた。
「あれ、また値が跳ね上がった!」
「安土城での競りがすごかったとは聞いていたが、こりゃ噂以上だ!」
そんな声に、俺は口の端を吊り上げる。
安土の次は京の都で二回目の競売会を開く。会場を同じにせず、主要地を転々とさせよう。そう決まったのは、広く名物競売会の噂を拡散させる為であったが。
今回、口コミによる評判を最大限にするために、前回と違い野外に競売会場を設えた。
この北野天満宮の境内が、大人数を収容できるのは、前回の大茶会で分かっていることだった。
今回、噂の競売会を一目見ようと詰め掛けた民衆は、千人は下らないだろう。遠巻きに囃し立てる彼らの声もまた、競売会の熱をさらに高めていく。
「九百三十貫です! 九百三十貫です! どうです!? 他に入札される方はいませんか!? いませんね!? では、そちらの御仁が――」
わっと突然上がった歓声が、俺の声を遮る。
俺は歓声が上がった方向に視線を向けた。
そこには、この競売会場とは別に人ごみが出来ている。
そちらの人ごみで何をしているかというと、著名な鑑定人たちによる即席の鑑定会をしている。
出張鑑定団といったところか。
持ち寄られた品々が、名品かどうか、その場で鑑定していってるわけだ。
もしも、よっぽどの名品が出れば、そのまま今回の競売会に飛び入り参加する流れとなっているが、この歓声を聞くに、ひょっとすれば余程の品が出たか。
俺はあちらの歓声が止んだのを待って、改めて宣言する。
「そちらの御仁が九百三十貫で落札です!」
競売会場にパチパチパチと拍手が起こる。その最中、舞台袖に駆けて来る青年がある。
こちらからも歩み寄ると、青年は耳打ちをしてくる。
成る程、やはり出たか。
俺は頷き、舞台中央に戻ると、何事かと視線を向けて来る貴人たちに向けて声を張り上げる。
「皆様! 先程、あちらの鑑定会場で、この競売会で競りにかけるに相応しい名品が現れたとのことです! 飛び入りの出品となります! 鑑定人と共に登壇してもらいましょう!」
俺の口上が終わると、先程駆け寄って知らせに来た青年とは別に、また一人の人物が現れる。
華やかな場に似つかわしくない仏頂面を湛えた男――千宗易だ。両手で捧げ持つように茶碗を手にしている。
全く、少しは愛想よくできないのだろうか? 『いい仕事してますねえ』とか言って、会場を盛り上げて欲しいものである。
登壇した千宗易はむっつりした顔のまま、手にする茶碗がいかに天下の名品であるのかを解説していく。
飛び入りの名物茶器に、どこぞのボンバーマンの目が怪しくぎらついている。
今井宗久は鑑定会場にいるし、今回は落札できるかもな。
さてさて、競りを始めようか。これで本日六品目。
今日一日、明一杯稼がせてもらおう。
俺は再び声を張り上げた。
※※※※
京の宿を一棟貸し切って、天正株式組合の大株主たち――名だたる商人たちが酒を酌み交わしている。
時刻は夕刻前。天満宮での競売会から丸一日が経過した。
俺たちは、昨日の競売会の総括の為、ということで集まったのだが、そのお題目はとっくのとうに何処かに飛んで行ってしまった。
飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎである。
何せ、大成功も大成功だ。
当日の盛り上がり、稼いだ莫大な銭もさることながら、翌日の市井の様子はどうかと言えば、京の都中昨日の競売会の話で持ち切りなのだから。
伝え聞くところによれば、宮中もまた同様であるらしい。
一体、何を反省することがあるのやら。そういうわけで皆、それは大いに浮かれて美酒を飲み干し続けているわけである。
「大山さん! 飲んでますかな!」
顔を赤らめた今井宗久が、おぼつかない足取りで俺の傍に寄って来る。
「さあさ、もう一献、もう一献」
「ありがとうございます」
正直勘弁してほしい。下戸ではないのだが、宴の始まりから株主たちに代わる代わる酒を勧められて、もう限界が近い。これ以上呑めば、何やら粗相を仕出かしそうだ。
が、断るなんて選択肢があるわけもなく。
泣く泣く、もう一杯注がれた酒に口を付ける。せめてもの抵抗で、それはそれはちびちびと。
「あの飛び入りの茶碗は、松永弾正様が落札されたそうで」
「ええ」
俺が頷くと、宗久がどこか安堵の表情を浮かべる。
「それは良かった。……九十九茄子の折には、相当の、相当の不満を抱かれていたご様子でしたが。今回の競りで、いくらか鬱憤を晴らされたでしょう。ああ、本当に良かった」
宗久はしみじみと呟く。
……目の敵にされてそうだったしな。それは安堵するか。
俺はそれからも宗久と他愛無い話をしていると、何やら外が騒がしくなる。
「もし! もし! こちらが天正株式組合の株主方が集まっておられる宿でよろしかったか!」
何だ、何だ? と株主たちがお互いの顔を見合う。
程なくして、先程声を上げ尋ねていた男であろうか? 一人の若武者が、宿の女将に連れられて宴会場に現れる。
「某は、村井長門守様に仕えておる花田と申す」
村井長門守? 貞勝の部下が何の用だ?
「長門守様が、至急お主たちと話し合いの場を持ちたいと仰せである」
突然の申し出に、皆困惑顔だ。
……明日では駄目なんだろうか? すっかり出来上がった宴会の最中に呼び出しとか、いくら何でも酷だろう。
「村井さまは何処に?」
渋々、花田と名乗った若武者に尋ねる。
「もう、すぐそこまでいらして居られる筈。間もなく到着されるだろう」
は? 貞勝がこちらに向かっている?
彼は信長と違い、常識のある人間だぞ。
自らの立場と、求められる振る舞いも当然熟知している。そんな貞勝が、自ら商人の下に足を運ぶだって?
何かが起きたのだ。頭の中で警鐘が鳴り響く。酔いはすっかり飛んでしまった。
それは他の株主たちも同じようで。皆難しい顔をしている。
「宴席に、突然押しかけて済まぬな」
そんな言葉と共に、本当に貞勝がやって来た。
「お主たちと至急相談したいことがあってな」
貞勝は場の面々の顔に視線を走らせる。やがて俺の顔で視線を止めた。
「この場におるのは、天正株式組合の大株主だけじゃな、大山?」
貞勝の確認に、俺は頷くと共に問いを返す。
「村井様、突然どうなされたのですか?」
「他言無用じゃぞ」
貞勝はそう断りを入れる。
「昨日の競売会の噂が、市井ならず、宮中でも持ち切りなのは、お主らも周知のことかと思うが……」
「はい。勿論、存じ上げておりますが。それが?」
「うむ。それが、のう……」
貞勝らしからぬ歯切れの悪い言葉。余程言いにくいことなのか?
「噂を耳にした帝が……」
はて、帝?
「帝が、競売会をご覧になりたいと仰せらしい」
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