新事業
安土城下町の大通りに面した一等地、そこに建つのは浅田屋『安土』支店だ。
俺はうんうんと頷きながら、立派な店構えを眺める。
すると、『とと様』と俺の袖が引かれる。
視線を下ろすと、娘の幸が俺の顔を見上げている。
つぶらな瞳が何とも愛らしい。
数えで四つになった娘は、既に将来美女となるであろう片鱗を見せ始めていた。
いや、これは別に親馬鹿なのでは決してない。ないったら、ない。
ウチの娘は本当に愛らしい。
この子より愛らしい子供なぞ、幼少期の光源氏か小野小町くらいしかいないに違いない。
「どうしたんだい、幸?」
自然と甘い声が出る。
幸は小さな手でお腹を押さえると、舌足らずな声を上げる。
「おなかすいた」
「お腹が空いたのかい?」
幸はこくこくと頷くと『おやつぅ』とおねだりして来る。うん、日の本一可愛い。
「よし! とと様が何でも買って…『ん! んん! 旦那様』」
店の中から出てきた於藤が、わざとらしい咳払いをしながら俺の言葉を遮る。
「いけませんよ。そんな簡単に何でもかんでも買い与えて。……幸、お昼までもうすぐなのですから、我慢しなさい」
幸は唇を尖らせるも、旗色の悪さを察したのか食い下がることなく、パタパタと駆け出すと、店の中に入って行った。
「おやつくらい、いいじゃないか」
俺がそう言うと、於藤は呆れたようにため息を吐く。
「日頃、海千山千の商人らと渡り合っておられるのに、娘一人にこの有様とは。商人の沽券にかかわりますよ」
心外だ。まるで俺が、幸に簡単に篭絡されたかのような言い草ではないか。
そう思ったが、口にするのは止めておいた。
またため息を吐かれても面白くない。
「それに、今日は大切なお客様がいらっしゃるのでしょう? 幸に振り回されている時間はない筈ですよ」
「……まだ約束の刻限まで時間がある」
そう言って、足を進める。店の暖簾をくぐりながら、後ろに付いて歩く於藤に『部屋で考え事をしているから、客人が来たら通してくれ』と言いおいて、そそくさと自室に引き籠った。
やれやれ、於藤も厳しくなったものだ。
ふと、自分が子供だった頃の母の姿を思い出す。やはり同様に厳しかった。
女性というものは、皆母親になるとそうなるのかもしれない。
まあ、確かに子供を甘やかせすぎるのも問題だが……。
うん。厳しすぎるのも良くないものだ。今度、こっそりと幸を甘やかせて上げよう。
於藤の目を盗み、幸を甘やかせる為の方策を練っていると、部屋の外から声を掛けられる。
「旦那様、お客人がいらっしゃいました。客間に通しております」
「ありがとう」
俺は礼を言うと、自室を出て廊下を渡り、客間の前に立つ。軽く服の乱れを整えてから、襖を開いた。
「今井様、よくお越し下さいました」
「ああ、大山さん。お邪魔していますよ」
客間に一人座しているのは、堺の豪商にして名高き茶人でもある今井宗久だ。
「いやはや、安土の新店舗も見事なものですね」
「ありがとうございます。今井様にそう言って頂けると安心します」
そんな遣り取りを交わしながら座ると、家人が茶を運んでくる。
普段より緊張した様子だ。
分からなくもない。茶会の場ではないとはいえ、高名な茶人に茶を出すのは、緊張するよな。
「ありがとう」
軽く家人を労って下がらせた。
俺と宗久は、茶を飲みながら色々と雑談を始める。
安土や堺の近況に始まり、天正株式組合のあれこれ、それから織田の戦の様子。
「淡路国の平定もいよいよ大詰めだとか」
「はい。明智様から、手前に文が届きました。そこにも、近々淡路を平定できるだろう、と」
宗久の目が光る。
「それは結構なこと。……淡路は瀬戸内交易の重要な拠点となるでしょうからなあ」
「ええ。それに淡路の水軍が織田傘下に加われば、交易路の安全も確保し易くなるでしょう。……ところで今井様」
そろそろ雑談も良いだろうと、俺は切り出す。
「此度、安土の手前の店までご足労頂いたご用向きは何でしょうか?」
俺が本題を話すよう水を向けると、宗久は頭を掻く。
「いや、お恥ずかしいのですが、近頃ちと困ったことがありましてな。大山さんに相談に乗って頂きたく」
「困りごとですか」
「ええ。実は、先日の安土競売会も関係していることなのですが……」
「安土競売会?」
俺は首を捻る。あのオークションと関連する事で、何の困りごとが起きているというのだろう。
「近頃、当家を訪ねて来る客人が絶えないのです」
「客人?」
宗久は頷く。
「そう客人です。用向きは皆同じです。――茶器を鑑定してくれないか、とね」
ふむ。茶器の鑑定、ね。
「私の所だけではありません。津田宗及さんや、千宗易さんの所にも。さらに言えば、茶器に留まらず、例えば刀の目利きとして高名な方の所には、刀の鑑定をしてくれと、同様の客人が詰め寄せているそうで」
突然の、それも大量の鑑定依頼。そして、それがあのオークションが切っ掛けとなると……ははあ、成る程な。凡そ見当がついた。
「美味しい儲け話に飛び付こうという輩が、湧いて出たわけですか」
宗久は頷く。
「ええ。先日の競売会では、信じ難い程の銭が動きましたからね。真似をして、名物を売り莫大な銭をせしめようという輩が出てくるのも当然の成り行きでしょう」
だろうなあ。
つまりだ。茶器だの、刀剣だのを高額で売り払う。その前段階として、その道の権威たちに、それが本当に天下の名品だと太鼓判を押してもらおうというわけだ。
宗久はため息を吐く。
「本当に困ったものですよ。以前から親しくしている方にお願いされるくらいならいざ知らず、伝手を辿って辿って訪ねて来る者や、中には伝手も何もなく押しかけて来る者もいるぐらいなんですから!」
「それは……ご愁傷様です」
俺は笑いを堪えながらそう言った。
しかし、歴戦の商人の目は誤魔化せなかったらしい。
「笑い事ではありませんよ。本当に客足が途絶えんのです。千宗易さんなんて、憤死するのではないかというくらい、お冠で」
「それは、それは……」
確かに当人にとっては笑い事ではなかろうが、しかしやはり他人からすれば可笑しい。
千宗易が顔を真っ赤にして、客人たちを追い払っている様を想像すると……駄目だ、吹き出しそうになる。
宗久はまたため息を吐いた。
「……ですが、ただ困ったと嘆くのは二流、三流。一流の商人なら、この特異な事態から銭を生み出してこそでしょう」
「ほう。何か腹案があるのですね?」
つまり、宗久の相談とは、その腹案に関してか。
「大山さん、天正株式組合で名物鑑定事業を始めませんか?」
「ふむ?」
「天正株式組合を窓口に、広く名物鑑定の依頼を集います。株式組合は仲介料を取った上で、茶器だの、刀剣だの、絵画だのの専門家に鑑定を依頼する」
「それで何が変わります?」
仲介料として、名物鑑定の依頼料の一部をピンハネできる株式組合からすれば、得しかないが、わざわざ仲介してもらわずとも、鑑定依頼が来すぎるくらい来てる状況だろうに。
「全く違います! そも、名物とは程遠いガラクタを持ち寄る者も絶えないのですよ! 高名な鑑定人に鑑定させる前に、株式組合で雇ったそれなりの目利きの目を通せば、そういったガラクタを弾けるでしょう」
「ふむ」
「それに、謝礼の問題もあります。今押し寄せて来てる連中が提示して来る謝礼もまちまちで、一人一人交渉するのも骨が折れます。きちんと約束通りの謝礼を出すのか、信用できるかどうかも分かりません。しかし、株式組合を通せば、鑑定人は信頼できる組合という単一の相手とのみ取引ができ、依頼料にしても、定まった報酬が支払われるわけです」
「成る程」
宗久の言うことも尤もだ。確かに、間に組合が入るメリットは、鑑定人にもある。
俺は俄然、この新たな商売に乗り気になった。
頭をフルに回転させていく。
株式組合で名物鑑定を始めるのはいい。それは、おおむね宗久の想定している方向性で問題なかろう。
が、依頼料を取るだけで本当にいいのか? これはもっと美味しくできる案件ではなかろうか?
頭を回転させる。回転させる。にやりと笑んだ。
「今井様」
俺は身を乗り出す様にして話し始める。
「ご存じですか? 織田様が、活躍著しい重臣の方々に『茶会を開く権利』や『朱傘を差す権利』などをお与えになることを講じておられるのを」
「それは……」
無論、茶会を開く権利を与えるということは、徒に茶会を主催することを認めない、それらを許可制にするということだ。
天下人(信長)から特別に許されたという権威。そう、新たなステイタスを生み、それを褒美として扱う。
自らの懐を痛めない、冴えたやり口である。
「どうでしょう? 織田様に、名物を競りにかける競売会に関してのみ、これも許可制にして頂くのです」
「そして、天正株式組合にその許可を?」
俺の意図を読んだ宗久もまた商人らしい笑みを浮かべる。
「名物鑑定の依頼料をもらう。結構なことでしょう。しかし鑑定料なぞ、名物そのものの売値に比べれば、はした金にも程がありますよ」
そう、売られ行く名物たちの莫大な銭に嘴を突かないのは余りに勿体ない!
「我々が、広く名物鑑定を募り、そこで名物と認められた品々が、我々の競売会で競り落とされていくのです! 無論、出品者たちからは、競りで付いた売値の一部から、手数料という形で我々に銭を入れてもらうことになります」
「面白い! 面白くなってきましたな、大山さん!」
宗久が膝を叩く。俺は大きく頷いた。
信長から、天正株式組合に名物競売会の権利を貰う為には……この新事業の利益の一部を回すことを約束すれば、難しくはないだろう。
本当に面白い。これは、莫大な銭が動くぞ……。
「今井様、早速織田様に謁見の許しを求めましょう。どうか、今井様もご同席下さい」
「勿論、同席させてもらいましょう」
俺たちは互いに頷き合った。
後日、俺と宗久は信長に、件の新事業をプレゼンし、許しを得ることに成功するのだった。
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