骨肉の争い

 ドタドタドタと、小谷城の廊下を走る者たちがいる。

 まだ若年な者が多い顔ぶれは、浅井長政の近習たちであった。


 彼らは、つい今しがた得た情報を主君に伝えるべく足を速める。酷く緊張した面持ちからは、深刻な事態が起こったことが容易に察せられた。

 先を急ぐ男たちの中に、遠藤孫作という若武者がいた。


 ――まさか父たちが、斯様な曲事を企もうとは……。


 孫作は苦々しい表情を浮かべる。


 朝倉義景が織田家臣を謀殺した上で、反織田の兵を挙げた。浅井家の先代当主であった久政もまた、義景と結び兵を挙げようとしている。

 その報せを掴んだのが孫作であった。


 彼が屋外で弓の修練をしている折に、人目を憚るように遠藤家を訪ねて来た男を偶々見かけた。

 訝しく思って屋敷に戻った先で、訪ねて来た男――久政の密使と、孫作の父が交わす密談を立ち聞きしたのであった。

 そうして孫作は、主君浅井長政の近習たちに、この事を警告したのである。


「殿!」

「何だ! 何事じゃ!?」


 今年二十一になる、立派な体躯に恵まれた若者――浅井長政は、襖を開けるや血相を変えて飛び込んで来た己の近習たちに仰天する。


 近習たちは、先程孫作から聞いた話を、矢継ぎ早に口にする。

 朝倉義景と、父浅井久政の企てを聞かされていなかった長政は目を見開く。


「何と! 朝倉殿が! それに父まで!」


 驚きの声を上げる長政に、近習たちが頷く。


「はい。先代は、先代の頃からの諸将を動かし、既に兵の準備を終えている模様。近く、殿にも兵を動かすようにと、先代は申し出て来るのではないでしょうか?」


 長政は頭を抱える。


「如何致しましょう?」


 押し殺した声で問い掛けられ、長政は顔を持ち上げる。その瞳には、覚悟の色があった。


「……この長政、斯様な不義に加担するわけにはいかぬ。断じて、断じてだ!」


 近習たちはごくりと生唾を飲み込む。


「では、先代と……」


 長政は無言で頷いた。


「されど、既に動いている先代に対し、こちらは何の準備も出来ておりませぬ。それに、この小谷城の中にも、先代の息がかかる兵らが多数おりましょう。殿が先代に協力せぬとあっては……」

「そ奴らの凶刃が、私に振るわれるかもな」

「はい」


 主従揃って難しい顔をする。


「……致し方あるまい。一旦は協力する振りをして、隙を見て城を抜け出す。然る後に、国人たちに召集命令を出そう。将兵の参集を待って、父と一戦仕る」

「ハッ! 承知しました!」


 長政と近習たちとの遣り取りを、黙って見ていた孫作は固く拳を握る。


 ――殿の御為に働かねば。昔日の御恩をお返しするためにも。




 かつてあった史実では、父と共に反織田に動いた長政であったが、それは信長の方が約束を反故にし、『朝倉への不戦の誓い』を破るという不義を働いたからである。


 元々、先代当主の久政ら年配の世代は、古くからの誼がある朝倉に親しく、逆に若い世代は、親織田の傾向にあった。


 此度は、この浅井家中の事情がそのまま顕在化した形となった。

 親朝倉の諸将が、隠居していた久政を引っ張り出し、朝倉と盟約を交わさせた、というのが実情に近かったのである。


 兎角、父久政の動きを掴んだ長政は、隙を見て小谷城を脱出。姉川を隔てて南にある横山城に入城する。

 そこで領内各地へと召集命令を発した。


 これに応えたのは、主家浅井家と同じく既に世代交代を終えた家々であり、逆に先代の頃から仕えている者たちが当主の家は、久政の側に付いた。


 息子長政が対決姿勢を明らかにすると、久政は長政陣営が甚だ準備不足である所を衝かんと、即座に姉川を前にする三田村まで押し寄せ布陣したのであった。


 かくして、浅井は新旧二つに分断され、骨肉の争いと相成ったのである。





「殿! 先代率いる敵勢が、姉川を挟んで向かいの三田村まで押し寄せてきております!」


 横山城に飛び込んだ急報に、長政は歯噛みする。


「くっ! まだ味方を約束した諸将も参集し切っておらぬのに! ……敵勢は如何ほどか?」

「物見の報告によらば、三千から四千!」


 敵兵力を聞いた長政は、次いで傍にいた近習に問う。


「既に集まっておる味方の数は!」

「……二千に届かぬかと」


 場に沈痛な静寂が降りる。


「…………籠城なさいますか?」


 長政は首を振る。


「籠城の準備も出来ていない。そう長く籠ることも出来んだろう。それに、押し寄せてきた敵勢は、この長政が敵となったと知り、父が第一陣として急行させた兵らであろう。いずれ後続が来る。恐らく、味方の援軍より早く。益々兵数差が開きかねん」

「なれば……」

「打って出る!」


 力強く断言すると、長政は場にいる者たちの顔を順繰りに見る。


「者ども! 敵は千か二千ほど多いやもしれん! しかし、それを率いる将共は、引退間近の老将共よ! どうして血気盛んな我らが負ける道理があろうか! 老いぼれ共に、我ら若人が引導を渡してくれん! 良いな!」

「「応!」」


 長政勢は、まだ夜も明けきらない早朝に静かに横山城を出ると、そのまま朝霧立ち込める姉川まで出る。

 この霧こそ天の配剤と、長政は渡河突撃を命じた。


「掛かれ! すわ、掛かれい!」


 数に劣る長政勢である。勢いこそ肝要と、足軽雑兵のみならず、兜を付けた騎馬武者までもが、先を競うように突撃する。


 バシャ、バシャと水を蹴る音。天まで届けと上がる雄叫び。突然霧の中から飛び出て来た長政勢に、泡を食った久政勢は後手に回ってしまう。


 おお! と勇ましく一番槍を入れたのは、誰あろう遠藤孫作であった。

 敵の雑兵を突き崩すと、すぐさま二人目へと突きかかりこれもまた討ち取る。


 浅井家中で武勇に優れた若者、将来が期待されるとの評判通り、雄々しい戦いぶりを見せる。

 その様に勇気付けられ、後続の兵らも蛮声を上げながら突撃する。

 足並み乱す久政勢の一陣を突き崩し、尚も勢いは衰えない。


「そのまま敵中を食い破れ! 突き崩せ!」


 恐れ知らずにも、長政は最前線近くまで出張り声を枯らしながら檄を飛ばす。

 益々勇気付けられた兵らは、懸命に敵を崩そうとする。


 しかし時間が刻一刻と過ぎるにつれ、奇襲効果も薄れゆく。次第に数の多い久政勢も盛り返してきて、戦況は膠着していった。

 もっとも、完全に態勢を立て直したとまでは言えず、依然長政側の優勢ではあったが。


 そんな状況が、戦端を開いてから三刻ばかり続く。


「あと少し! もう少しじゃ! 者ども死力を…『殿! あれを!』」


 近習が指し示す先を長政は見る。視線の先には、新たな旗印が戦場に現れていた。


「あれは味方か! それとも敵か!」


 元は皆、浅井家中の味方同士である。現れた新手が、味方か敵か咄嗟に判断できなかったのだ。

 が、それもすぐにハッキリした。新手が長政側に攻めかかって来たからだ。


 長政は、急ぎ新手へ対応するために兵を送るが、このせいで序盤からの勢いが完全に止まってしまう。

 一人、また一人と味方の兵が倒れていき、形勢は完全に逆転していた。


「殿! 戦況、我が軍に利非ず! 急ぎお逃げ下され!」


 そう注進したのは、最前線から一度退いていた遠藤孫作であった。


「どこに逃げろと言うのか⁉」

「無論、織田様の下にて! 織田様の助力を借りて、再起を図られませ!」

「馬鹿な! 父が不義を働き、只でさえ浅井の名は落ちておる! だというに、私まで生き恥を晒し、更に家名に泥を塗れと申すか! 出来ぬわ! ここで討ち死にする!」

「短慮を申されますな! 再起を図り、然る後に家名を上げなされ! それに小谷の方を如何なされます⁉ このまま敵中に取り残されておしまいになる小谷の方をお救いされるのは、殿であるべきでしょうや!」

「ッ!」


 小谷の方――自らの妻である市姫のことを出され、長政は言葉に詰まる。それを見て取った孫作は穏やかな表情を浮かべた。


「どうぞ、お退き下され。拙者はここ姉川で、殿がお戻りになられるのをいつまでもお待ち致しましょう」

「お主……」


 孫作は一度頭を下げると、槍を携え再び前線へと駆け出していく。


「……撤退じゃ!」


 馬廻りを伴い、長政は真っ先に撤退する。後ろを振り向くことなく。

 一方最前線へと舞い戻った孫作は、スーッと息を吸うと大音声を上げる。


「殿の御為、命捨てる覚悟のある者は、我に続け!」


 長政が逃げる時間を稼ぐために、死兵たちが吶喊する。

 皆が皆、忠臣の鑑と言える働きぶりであったが、それでもやはり、孫作の戦いぶりには冠たるものがあった。


 一人を突き崩し、二人目も突き崩す。ところが、二人目の槍もまた、孫作の腹に突き刺さった。

 一瞬動きを止めるも、刺さった槍を抜き捨てるや、今度は三人目に突きかかる。


 三人、四人と突き倒し、ここで槍の柄が折れてしまったので、代わりに刀を抜いて斬りかかる。

 鬼の形相の孫作に及び腰になった敵兵が、腰が引けたまま情けなく槍を突き出してくる。それを易々と刀で払うと肉薄し、五人目を斬り捨てる。


 ここに来て、孫作は四人の兵に囲まれる。

 体を右に左に回転させ、それぞれと相対しながら刀を振って牽制するが、一斉に槍を突き出され、その内の一本が孫作に明らかな致命傷を負わせた。そのまま地に倒れ伏してしまう。


「殿……」


 朦朧とする意識の中、孫作が見たのは走馬灯であったか?

 瞼の裏に、昔日の光景が蘇る。


 幼少の孫作は、大樹の陰に座り込んでさめざめと泣いていた。

 この頃、孫作は同年代の他の武家の子たちからよく揶揄われては、泣いていたのだった。

 というのも、孫作は他の子たちより背が伸びるのは早かったが、それに反して頭の巡りが鈍い子供であった。よくウドの大木と揶揄われた。


「そこで泣いているのは、誰か?」


 凛とした声が通る。その声に釣られ、顔を持ち上げた孫作の視線の先にいたのは、こちらも幼少の頃の長政であった。


「若様!」


 孫作は慌てて立ち上がると、目元をごしごしと擦った。


「遠藤家の子だったか。何故泣いておる?」

「いえ、その……」


 まごつく孫作に、長政は『申せ』と促す。

 躊躇いながらも、ぽつぽつと訳を語る孫作の言葉に、長政は頷く。


「何だ、そんなことか。ウドの大木? 結構なこと。多少知恵が回らぬのがどうした。その恵まれた体こそが、武家の子にとっての天稟ではないか」


 長政は覚えてはいないだろう。しかし、その言葉に勇気付けられた孫作は、一時も忘れることはなかった。

 長政の言葉に励まされ、武芸の修練に励み続けた。いつの日か、自らを勇気付けてくれた長政に恩返しする為にと。


「殿……」


 孫作は再度呟く。拳を握り締めた。


 倒れた孫作を囲んだ兵の一人が、我先に首を獲らんと、孫作の傍まで駆け寄った。駆け寄ったが、そこで孫作は残された力を振り絞り、がばりと起き上がる。


 まさか立ち上がるとは思わなかったのだろう。怯んだ目前の敵に孫作は肉薄する。白刃が煌めき、敵兵の胴を抜いた。

 そのまま孫作は、一歩、二歩歩き、三歩目で崩れ落ち、もう起き上がることはなかった。


 敵味方に分かれたとはいえ、元は同じ浅井家中の武者たちである。

 忠義を貫いた若武者の見事な最期に、感涙する者は数え切れなかった。


 ここに姉川の戦いは、朝倉に与した浅井久政の勝利と終わったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る