吹田城の戦い 一
――『信長上洛以来、難題を繰り返し申し付けられ、随分なる扱いである。これまで応じて来たがその甲斐なく、寺地を明け渡せとまで告げてきた。かくなる上は、開山の一流退転なき様、各々身命を顧みず、馳せ参じよ。馳せ参じず信長と戦わぬ者は破門とする』
浄土真宗本願寺派第十一世宗主たる顕如が、門徒たちに向け飛ばした檄文である。
その苛烈さたるや! 門徒たちは仰天しながらも、信仰心から来る義憤に駆られた。
――このままでは石山本願寺が潰される! 信長許すまじ!
……実際に信長が石山本願寺に要求したのは、五千貫の矢銭だけであったが。そのようなことは、門徒たちには知りようもないことである。
顕如の言葉を信じた門徒らは、僧兵はおろか民草たちをも武器を手に続々と結集し、光秀らの籠る吹田城に達した頃には、その数を八千としていた。
一方、吹田城に籠る織田方は、光秀が京より直卒してきた二千に、元から吹田城に詰めていた城兵ら六百を併せた、二千六百ばかりの兵であった。
「来よる! 来よるぞ!」
味方より圧倒的な数を誇る門徒兵。彼らが殺到してくる様を見た城兵の一人が、思わずといった具合に上擦った声を上げる。
恐怖は伝染するものか。恐れを伴ったざわめきが、漣のように波及し始め――
「狼狽えるな! 数ばかり多い雑兵よ!」
凛とした声が響く。怖気付きそうになった城兵らは、声の主を見る。そこには厳しい眼差しながらも、泰然と構える光秀の姿があった。
どしっと構える指揮官の頼もしさは、兵らに安心を与えるものだ。
恐怖に駆られそうになった兵ら――元から吹田城にいた兵らは、いくらか落ち着きを取り戻す。
光秀に従ってきた兵らは、元より動揺すらしていない。彼らは既に一度、同様の危機を乗り越えた
「冷静にな。十分に引き付けよ。まだじゃ……まだ……」
光秀は目を細め、城までの道を登って来る敵との間合いを測りながら口にする。
「……今じゃ! 射て!」
号令一下、銃弓を手に取る兵らが、一斉に射撃する。
パンパン! と少数の火縄銃が破裂音を響かせ、それよりも多い弓から放たれた矢が、風切り音と共に放物線を描く。
矢玉は、押し寄せて来る人の波に吸い寄せられ、哀れ命中した者らが倒れ伏す。
それでも門徒兵らは止まらない。続けざまに降る矢の雨をものともせず殺到して来る。ある者はそのまま塀に取り付こうとし、またある者は梯子を掛けようとする。
城兵も黙ってそれを見過ごすわけもなく。
銃や弓ならず、投石をする者、釜でゆでた熱湯を浴びせかける者、各々がそれぞれの手段で撃退しようとする。
落ちて来る石や、熱湯を被せられた門徒兵らは堪らない。声にならない悲鳴を上げながら、よじ登ろうとした塀から転げ落ちる。
真っ先に塀に取り付いた勇敢な者らは、その気概の甲斐もなく、悉く返り討ちに遭う。その悲惨な光景を見て、遂に後続の門徒兵らの足が――止まらなかった。
戦慣れした足軽雑兵でも、同じ状況なら二の足を踏んでしまうだろう。
にもかかわらず、門徒兵らは足を止めぬ。
げに恐ろしきは信仰心か。武士の勇気をも上回るそれは、正に己の命顧みぬ吶喊であり、異様なまでの自己犠牲の発露であった。
「止まんねえ! 何じゃ、こいつら!?」
一度は鎮まった恐れが、再び城兵らの心中で鎌首をもたげる。その様に光秀は危機感を覚えた。
「ッ! その鉄砲を寄こせ!」
光秀は一つ舌打ちをすると、丁度弾込めを終えて銃を構えようとしていた兵に右手を伸ばす。
「は、ハッ!」
鉄砲手が慌てて手渡してきた銃を構えると、光秀は狙いを定める。
――パン! と銃が火を噴くと、今まさに梯子を登り切った敵兵の眉間を射抜く。
「弓を!」
光秀は銃を返すと、間髪入れず別の者から弓を受け取る。矢を番え、弦を振り絞っては狙いを定め、塀に駆け寄ろうとしていた敵を射抜く。
続けざまに、三矢を放った。生死は分からない。だが、その矢も吸い寄せられるように敵兵に命中し、三人が倒れた。――ドッと城内が沸く。
「お見事!」
「日ノ本一にて!」
指揮官にこれ程までの武勇を示され、奮い立たない兵などいない。
敵兵の異様さに崩れかけた士気は持ち直し、いや、天を衝かんほどに高まった。
「将たる明智様に兵たる我らが後れを取っては、末代までの恥ぞ!」
「まっこと、その通りじゃ!」
「気張れ! 坊主共を追い払え!」
誰ともなく、そんな叫びを上げながら、必死になって城兵は敵を撃退していく。
その様を見て、光秀はそっと安堵の息を漏らした。
――これならば、暫くは持ち堪えよう。
それから数刻ばかり。日暮れが訪れ、門徒兵らが退却していく。それを見送る城内から歓声が上がった。
「明智様! やりました! あれをご覧ください!」
喜色浮かべ、そう言い募って来る兵に、光秀は微笑みを返す。
だが、その心中は決して明るいものではなかった。
――暫くは持ち堪えよう。されど、何日持たせられるであろうか?
退却していく門徒兵の背を見ながら、光秀は心中そのように呟いた。
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