まだ見ぬ狸さんを想う
客間から移動すると、信長を我が家の蔵の前へと案内した。
ムダに大きな蔵である。
その中はというと、統一性の無い物が溢れ返っている有様であった。
浅田屋の先代である親父は、元は熱田湊の船乗りだったからか、余り商人らしくない気質の男であった。
金に困ってそうな者が売り込みに訪れると、よっぽど酷い物でない限り、買い取るようにしていた。
それに苦言を申し立てる家人もいたそうだが、親父はいつも、買い取った物が売れねえのは、商人としての腕に問題があるんだ、そう言って聞かなかったらしい。
そんなこんなで、人情味溢れる商人という、UMAの如き親父の下には、本当に色々な物が持ち寄られた。
結果として浅田屋は、万屋というか、後の商社に近い商業形態となった。
まあ、それも悪いばかりでもない。
親父の人柄から来る評判により、浅田屋は無体な買い叩きはしないと、一種の信用に繋がったこと。
また、浅田屋なら、大概の物が手に入ると、顧客からも認識されたこと。
そして何より、人との付き合い。
親父に助けられた者が、全て身を持ち直したわけじゃない。
が、中には窮地を凌ぎ、今では立派に活躍している者もいる。そういった手合いは、浅田屋に並々ならぬ恩義を感じているのだった。
故に、浅田屋の頼みなら、よほどの無茶じゃない限り応えてくれるのだ。
今回、新農具の開発に協力してくれている職人連中も、そんな親父に助けられた者たちであった。
ウチの若衆が、二人掛かりでそれを蔵から持ち出してくる。
陽の下に現れたそれを、信長はまじまじと見詰める。
「うらなり、何じゃ、このお化け櫛は?」
――お化け櫛、か。
確かにその外観は、巨大な櫛そのものである。
「千歯こきと名付けました。……上総介様は、農家の脱穀がどのようなものか御存じでしょうか?」
「うむ。収穫期に馬で遠乗りした折、何度か見かけたことがある。こう、二つ割の竹の先で扱き落とすのじゃろ?」
信長は、手振りで真似して見せる。
そう、従来では、木や竹を二本結んで並べた、『こきばし』という農具を使っていた。先端の二つ割になっているところに、稲穂を挟んで引くのだ。
「仰る通りです。そのようにして、数穂ずつ籾を落としていく。……この千歯こきなら、もっと纏めて稲穂を扱き落とすことが出来ます。こう、櫛の間に穂を差し込み、引っ張るようにして」
「ふむ。……それで、どの程度作業が早まる?」
「はい。試験結果では、従来のこきばしで丸一日掛かった作業量を、千歯こきでは一刻半で終わらせることが出来ました」
「何? 丸一日を一刻半とな!? 段違いではないか!」
「はい」
俺は、驚きの声を上げる信長に頷いて見せる。
うーむ、と唸りながら千歯こきを見詰める信長。
その間に、新たなる試作品が運ばれてくる。
「む? そちらは何じゃ、うらなり?」
「こちらは、唐箕と名付けました。籾殻・玄米・塵を選別するための農具です。原理としては、この取っ手を回すことで、内部の四枚羽も連動して回転します。そうして、横向きの風を送り込むのです」
「ふむ」
「実の詰まった籾と、葉屑や実の詰まってない籾殻では、重みが違いまする。それを利用して、風に乗って手前に落ちるのが、実の詰まった籾。より奥まで吹き飛ばされるのが、葉屑や、実の詰まってない籾殻で御座います」
「ほほう! よう考えておる!」
信長がしきりに頷いて見せる。
「なるほどのう。これなら確かに、農家の作業は早まろう。……ならば、確認すべき案件は後一つじゃ。先程言い淀んだ悪だくみ、それを聞かせてもらおうか」
「はっ」
信長との距離を詰める。そして、心なし声を潜めて語り始める。
「これらの農具で、農家の手を浮かす。浮いた手で新たな生産物を作らせる。先般、手前はそのように語りました」
「そうじゃの」
信長は軽く頷く。
「当然、これらの農具の導入以前に、新たに与える仕事、その準備を万全にします。それからの農具の普及。でなければ、急に手が空いた農家は混乱してしまいますから」
「ふむ……」
「されど、他領はどうでしょう? 急に降って湧いた新農具により、農家の手隙問題が起こります。急に、代替となる仕事を用立てられるわけもなく……。必ずや混乱するでしょう」
「む? 他領にもこれらの農具を普及させるのか?」
信長が眉を顰めてしまう。俺は、その懸念について存念を述べる。
「はい。新農具の構造は単純です。必ずや真似されるでしょう。ならば、真似される前に大々的に売り出し、銭を稼ぐべきです」
「うーむ。そうか、そうじゃろうな」
俺の言葉に、信長は納得したような顔付きになる。
「話を元に戻しましょう。急な新農具の導入は、他領を混乱させます。例えば、脱穀、これは村社会における、後家の貴重な収入源です。しかし、それが断たれることになる。大層、弱り切ることでしょう」
「であるか」
「はい。故に、そこに付け込みます」
「ほう? 如何に付け込む?」
信長が面白げな表情を作る。俺はにやりと笑んで見せた。
「流言です。新農具は、我々の仕事を奪う。我々の首を却って締めてしまうものだ。得するは、上の人間ばかり。下々は苦しむことになるぞ。……故に、新農具を破壊して回れ、と」
流言飛語による扇動だ。
他領の農家が困るのは事実。その事実をより誇張して流す。
新農具排斥運動に走らせるよう、扇動する為に。実態よりも大問題であるように煽るのだ。
ようは、日本版ラダイト運動。
産業革命期。イギリスの工場に導入された新式の機械は、イギリスの労働者たちを恐怖に陥れた。
格段に作業効率が高まることにより、工場で必要とされる労働者の数が激減したからだ。
失職を恐れた労働者たちは、なんと、工場という工場にある、新式の機械を破壊して回るという騒動を起こしてしまった。
これが世に言う、ラダイト(機械打ち壊し)運動である。
これと同じことを、他領でも引き起こさせるのだ。
「上総介様、対岸の火事を指差して、高笑いといこうではありませんか」
俺は温めてきた悪だくみを進言する。
受けて、信長は大笑して見せた。
「がははっ! 傑作じゃの! うらなり貴様、途方もない悪だくみを思いつくものよ! よい! 委細任せる! 好きにせよ!」
「はっ!」
俺は頭を垂れる。
暫く信長は大笑していたが、ふと何かに気付いた様に、笑いを止める。
「そうじゃ。竹千代には、事前に忠告しておかねばな」
竹千代、竹千代といえば……。
「竹千代……様といえば、松平様のことでしょうか?」
「うむ、そうじゃ。……ここだけの話。松平とは、水面下で同盟の話が進んでおってな」
松平との同盟、清洲同盟か!
この時期、松平は今川からの独立を図っている真っ最中。
今川から独立し、三河を完全に掌中に収めるため、対今川に集中したい。
一方、織田も美濃攻めに集中したいがために、他と争っている暇はない。
この両家の意向により、結ばれることとなる同盟、それが清洲同盟だ。
そして、この戦国の世には珍しく、信長が死ぬまで、いや、信長の死後、小牧長久手の戦いまで守られることとなる軍事同盟。
確かにそれなら、松平にも忠告する必要があろう。
そして三河でも、新農具導入前に、新産業の準備を整える必要がある。
三河でも新産業……か。
俺はふと思う。尾張、三河で、それぞれ独立した新産業を興すのではなく、両者で連携する、そんな新産業を興せないだろうかと。
長らく続くことになる軍事パートナー。
ならば、商売上のパートナーにもなりえるのではないか?
まだ、思い付きで、具体案も何もないが。しかし、これが上手くいくのなら……。
そのためには、具体案を捻り出すこと。そして……。
信長だけでなく、あの松平元康、後の徳川家康も説得する必要がある。
家康……か。
後に、戦国の世を終わらせ、二百数十年に渡る太平の世の礎を築く男。
一体、如何なる男なのか?
俺はまだ見ぬ歴史上の偉人に、思いを馳せたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます