織田舞蘭度

 自宅の客間で、俺は信長と二人相対している。

 ふむ。於藤を下がらせた上でもう半分の話……か。


 於藤の様子を見るのが半分、ならば、もう半分は?


 決まっている。熱田・津島への矢銭徴課、そのための楽市楽座の施行。

 それらの道筋が立った。ならば、新たに俺に命じる仕事の話に相違ない。


「うらなり、ワシは矢銭徴課によって当面の軍資金を得たわけじゃ」

「はい」


 俺は言葉短く頷く。信長は続けて言葉を繋ぐ。


「だが、それは一時的なものじゃ。そして、何度も繰り返せるものでもない」

「確かに……」


 軍資金の調達にと、臨時の戦時課税を行う。こんなものは、確かに何度も繰り返せるものではない。

 つまり、信長の望みとは……。


「恒常的に銭を生み出す仕組みがいる。うらなり、知恵を出せ」


 信長の言に、俺は少しばかり呆れる。

 普通、そんなこと急に言われても、誰も即答できないぞ。


 そう、俺のように常日頃から、如何にして銭で天下取りをするか、その道筋を考えている者でもなければ、な。


 あるいは、これは信長の信頼なのか?

 俺ならば、信長の天下取りを助けるため、それを常日頃考えているだろう、と。

 だとしたら……。


 俺は、ふっと笑みを浮かべそうになるのを抑え、一つ頷いて見せる。


「上総介様、手前に一つ、温め続けてきた腹案が」

「ほう。……聞かせてもらおうか」


 信長が、じっとこちらの目を見詰めてくる。

 俺はその目を真っ直ぐに見返しながら口を開く。


「はっ。上辺だけの方策では、根本的な解決には至りません。なれば、まさに根元から変えていくべきかと」


 信長は眉を顰める。


「根本とは何のことじゃ?」

「根本とはつまり、織田領を下支えする民草たちのことです」

「ふむ……」


 間髪入れず答えた俺の言葉に、信長が思案気な顔になる。


「……うらなり貴様、米の収穫量でも増やしてみせると、そう法螺でも吹く積りか? なるほど確かに、尾張の石高が底上げされれば、税収としてワシに入る銭もまた増えるわけじゃが」


 言外に、できるわけがないと、信長は言い放つ。


「仰る通り、石高を増やせるならば、それは単純な解答です。が、簡単に増やせるようなら、既に増やしているでしょう」


 そうだ。石高を増やすとして、その方法は?


 新たに田畑を開墾する?

 馬鹿な、田畑に適した土壌なぞ、既に開墾されつくしている。

 使える土地を遊ばせる余裕など、あるわけもないのだから。


 なら、面積当たりの収穫量を増やすか? 刷新的な農業改革で、生産性を向上させる?

 生憎と、俺に農業の専門的な知識などない。


 通った大学で在籍したのは経済学部で、農学部ではなかった。

 勿論、中学、高校の教科書レベルの知識ならあるが……。

 そんな生兵法を試して、却って生産量を落したらどうする気だ?


 下手を打てば、いや、下手しなくても、信長に首を切られかねない。

 当然、物理的にだ。


 ならば、底上げするのは生産性ではない。底上げすべきは効率性である。


 俺は信長に向かって、その結論を言い放つ。


「石高は増やせません。が、民草の作業効率を高めることならできます。実は、そのための、農具の開発をかねてより試行しております」

「んん? どういう意味じゃ?」

「つまり、新たな農具の導入により、農家の作業にかかる時間、それを従来よりも大幅に短縮させます」


 俺の説明に、信長の渋面がより深くなる。


「……まだ分からん。民草に楽をさせて、一体どうするのじゃ?」


 信長は、そのように訝しげに問いかけてくる。

 俺はその疑問を晴らすべく、簡単な例え話をすることした。


「仮に、ある農具が導入されたとしましょう。結果、作業時間が一刻より半刻になった。つまり、半刻分の時間が空いたわけです」

「うむ」


 信長は素直に頷く。俺はさらに説明を続ける。


「あるいは、仮にある農具を導入する。それによって、従来三人でしていた仕事が、一人で出来るようになった。なれば、二人分の労働力が浮いたわけです」

「はは、なるほどのう……」


 信長は得心したと言わんばかりに笑みを浮かべる。膝を叩いて見せた。


「ようやく理解が追いついたわ! つまり、その空いた時間、浮いた労働力、それらを使って、別の仕事をさせる。そういうことじゃな!?」


 俺は恭しく頭を垂れて見せる。


「御明察にて」


 そう狙いは、効率性の向上による余剰労働力の創出。

 そして、その余剰労働力を用いた、新たな産業の確立である。


 イメージするのは、問屋制手工業である。

 俺たち商人が、道具、材料を支給した上で、各農家に指定した工芸品などの生産物を製作させる。

 工賃と引き換えにそれらの製品を手に入れ、販売するわけだ。


 これには旨みが複数ある。


 まず、余剰労働力で新しい仕事が生まれた農家は、現金収入を増やせる。 


 今までも、現金収入が皆無だったわけではない。しかし、微々たるものだ。

 そこに現金収入が大幅に増加する。つまりは、農家が銭を蓄えることになる。

 そうすると、新たな購買層が生まれることを意味する。


 ようは、俺たち商人にとって新たな客層が現れる。大変結構なことだ。


 無論、新産業自体も、商人とっておいしい。

 これで、新たな商材、新たな商売の機会を得る。やはり、銭儲けに繋がるわけだ。

 俺たち商人にとって、良いこと尽くめだ。そして商人が潤うということ自体が、市場の活性化に繋がる。

 世間に銭が出回るわけなのだから。


 信長にとっても、まずは即物的な利益としては……。

 そうだな、この新産業のどこかで、税金という形で嘴を突っつけばいい。


 それに、領内の市場が活発化することは、それ自体が税収の向上へと繋がる。

 やはり、悪いことはない。


 では問題は、本当に農業の効率を大幅に上げられるのか、だ。


 繰り返すが、俺に農業の専門的な知識は無い。

 精々、聞きかじった程度の生兵法が関の山。


 しかし、教科書レベルでも、間違いなく効果を発揮する農具がいくつか有った。


 代表的なものは、勿論あれだ。

 後に、後家殺しの異名で呼ばれた農具、そう、千歯こきである。


 余りにシンプルな構造。ワンアイデアさえあれば、誰でも形に出来る代物だ。


 これを使えば、脱穀の時間を大幅に短縮できる。

 効果の程は、史実で付けられた、後家殺しの異名が全てを物語っていよう。


 それまで、後家さんの仕事であった脱穀が、千歯こきの導入であっという間に終わってしまう。

 結果、後家さんの貴重な収入源であった仕事がなくなってしまった程なのだ。


 そう、つまりは、余剰労働力の創出だ。


 無論、農閑期であれば、農家の手は空いているが、その間は既に出稼ぎなどの何某かの仕事をしているものだ。

 出稼ぎを頼りにしている産業が既にあるのだから、ここに手を加えるのはよろしくない。


 だから、繁忙期の労働の効率化により、今まで全くなかった、新しい労働力を創出するのが一番だ。


 千歯こき、唐箕などの新農具、農具以外でも、労働の効率化というテーマに絞れば、いくらかアイデアが出てくるものだ。


 ただ、この千歯などを導入しただけでは、従来の仕事が奪われて、後家さん筆頭に農家の者たちが困るだけ。

 それこそ、産業革命期に起きたイギリスのラダイト運動よろしく、後家さんが千歯こきを破壊して回るやもしれない。……笑えない想像だな。


 だが、織田領では、代替となる仕事を予めキチンと用意するのだ。

 混乱は少ないだろう。そう、織田領では。


「なんじゃ、うらなり? 悪だくみをしておる顔じゃぞ?」


 信長が楽しげに聞いてくる。


「手前、商人ですので。無論、悪だくみの一つや二つ……」


 俺は含み笑いしながら言った。


「ほう? 興味深いな」

「……既に試作が完了している農具もございます。それを見物してもらいながら、悪だくみの中身をご説明しましょう」

「ははっ、楽しみじゃの」


 そう言って、信長は笑う。

 俺は逆に笑みを引っ込めると、表情を改めて信長の顔を見る。

 そこで、信長もまた笑みを引っ込めた。


「分かっておる、うらなり。次なる問題は、手の空いた民草に何を作らせるかじゃな?」

「左様です」

「うむ。それについて、何か案はないのか? 無論、考えておるのじゃろう?」

「はい。当然考えております。候補も複数上げていますが……」

「が? なんじゃ?」

「正直、これだ! という、ずば抜けた良案が思い浮かばず。……何か旨いものはないかと」

「そうじゃのう。売れるモノなら、何でも銭稼ぎにはなろうが……」


 二人して首を捻った。少し間を置いて、俺は自分の存念を述べる。


「そうですね。折角国策として推し進めるのです。どうせなら、よっぽど旨みのあるモノを拵えたく。……それこそ、ブランドとなるような」

「ん? うらなり、ぶらんど、とは何じゃ?」


 あっ! しまったな。つい、横文字を口走ってしまった。


 俺は少し焦りながら、ブランドという言葉の概要を説明していく。


「ブランドとは、南蛮語の一種です。偶々聞きかじりまして。そうですな。言わば、同じ品目でも、他の有象無象の商品と違うと、はっきりと分かる。そんな名声が形になったようなものです。焼き物で言えば、瀬戸物、これはブランドと言えましょう。瀬戸物と言うだけで、他の有象無象の焼き物と一線を画しまする」

「確かにな」


 信長はうんうんと頷く。

 ああ、良かった。焼き物の例えは、信長には効果覿面だな。


「それと同じく、これこれなら織田、そう言わしめるような特産品を、ブランドを作れれば、と」

「ほほう! 面白い! なるほど、ぶらんどのう。良い南蛮語じゃ。……うらなり、筆を持てい!」

「は?」

「筆じゃ! 筆じゃ!」

「は、はあ……」


 俺は困惑しながらも、家人を呼びつけ、筆を持ってくるように言い付ける。


 家人はバタバタと駆けながら、やがて、筆に硯に紙にと持ってくる。

 信長はそれを受け取ると、何やら筆で書き始める。


 やがて書き終わったのか、満足げに頷く。

 そうして、半紙を高々と掲げて見せた。


 果たしてそこには、『織田舞蘭度』なる、珍妙な五文字が躍っていた。


「どうじゃ、うらなり!?」


 えっ、いや、どうじゃと聞かれても……。


 何も返せぬ俺を置いて、信長はうんうんと頷く。


「気に入ったわ! うらなり! 貴様は、この織田舞蘭度の創設に尽力せよ! よいな!」

「は、はっ……」


 冗談だろう? どこぞの暴走族じゃあるまいし。何だ、その当て字は……。

 まさか、本当にその名称で行く気なのか? って、待て待て、そうなると……!


 俺は嫌な想像をして、眩暈を覚える。


 もしも、このブランド政策が軌道に乗れば、そうなれば……。


 ああ、後世の日本史の教科書に、楽市楽座なんかの文言に並んで、織田舞蘭度なる珍妙な言葉が記されるわけか!

 くそっ! これぞ、文字通りの黒歴史じゃねえか……。



 ご機嫌の信長とは対照的に、俺は暗澹たる気持ちに囚われたのだった。

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