伝説の再現、その結末

 遠目に見えるは黄色地に永楽銭の旗印。――織田の旗を掲げて現れた船団。それを見て鬨の声を上げる目の前の敵部隊。

 素直に受け取るなら、敵の後詰が現れたということだが……。


「……半兵衛様」


 傍にいる太郎五郎が緊迫した声音で問い掛けてくる。受けて私は口を開く。


「腑に落ちません」

「はっ……?」

「腑に落ちない。そう言いました。余りに時機を捉え過ぎた後詰の登場です。……偶然と言えばそれまでですが」

「…………つまり、何らかの偽装であると?」


 暫し考え込んでから、太郎五郎はそのように問い返してくる。


「さて……。単純に私がそう思ったというだけのこと。本当に、あちらにとって良き偶然であった可能性もあるでしょう」


「――半兵衛様」


 別の男が声を掛けてくる。隊内一遠目の効く男だ。少し息が荒い。

 すぐ先に敵部隊が在るからそう近づけるものでもないが。出来る限り、あの船団に近づいた上で偵察するように言い付けておいたのだ。


「どうでしたか?」

「はっ。先頭付近の船の様子だけなら何とか……。武装した兵らの姿をしかと目にしました」

「……確かに武装していたのですね?」

「はい、確かに。具足を身に纏い、手には槍を持っておりました」

「そうですか」

「……敵が類稀なる強運に恵まれた。そういうことでしょうか?」


 報告を聞き、太郎五郎がそう口にする。私はその言葉に応えずに目を伏せる。そうして思考を走らせた。


 敵の後詰か、あるいは偽装か。それは考えて答えを得られるものではない。なれば、このまま戦うべきかどうか。……仮にあれが偽装でなく、真実敵の後詰であったとしよう。その場合、我々は退却すべきか?


 否だ。こんな懐深くに敵の橋頭堡を築かせるわけにはいかない。戦略的に余りの痛手。いや、それよりも深刻なのは、国人らに走るであろう激震の如き動揺。

 唯でさえ、国人の心は齋藤家より離れている。この敵の一手は止めになりかねない。雪崩を打ったかのごとく、離反者が続々と現れることだろう。


 なれば、無理を押してでも強硬に攻め入るのが正解だ。そう、本来ならば。しかし……。脳裏に過るは齋藤右兵衛大夫の顔。果たして、あの男のために命を掛ける価値があろうか?


「……目の前の敵部隊に一当てします。それを以て舅殿への援護とする。舅殿が部隊の混乱を鎮静化すれば、共に退却しましょう」

「よろしいのですか?」


 太郎五郎の問いに、私は頷く。


「敵の築城を察知し、急ぎ兵を出した。が、衆寡敵せず、やむなく一旦引き上げ国人らの招集を待つことにした。……最低限の名分は保てるでしょう。無理をする必要はありません」

「承知しました」


 是、と答えた太郎五郎に、私は頷き返す。


 ……滅びるか。美濃国主たる齋藤家が。美濃は織田の手に落ちることになろう。最早この流れは覆せまい。

 織田上総介、か。今、日の本で最も勢いがある大名といっても過言ではあるまい。果たして、どのような男であろうか?


 私はまだ見ぬ織田上総介に思いを馳せながら、突撃の指示を出していった。



****



「大山様、敵兵が……」

「引いていきますね」


 どっと周囲の男たちが沸く。具足を纏い、槍を手に持ちながら。しかし、彼らは兵では無かった。後詰の柴田には予定より早い出兵を乞う文を出したが、まだ来られる筈もない。

 だから、ここにいるのは見せかけだけの張り子の虎であった。


 もっと酷いのが……。俺は後ろに続く船々を見る。敵に露見しないよう、先頭の何艘かには人を密集して乗せていたが、後続の船は操船に必要最低限な人員しか乗っていない。空船同然であった。

 ようは、洲股に至るまでの木材運搬を担った車借や馬借や船頭たちに兵隊ごっこをさせたのであった。


「いやー、どうなるものかと冷や冷やしたが。浅田屋の旦那の言う通りになったな!」


 船頭の一人が破顔しながらそのように言う。偽装作戦に失敗すれば命の危険があったとはいえ。実際には戦場見学で済んだ。その上、俺の無茶な頼みを聞いたことで少なくない報酬が出るのである。笑いが零れるのも無理もない。

 だが、俺は笑えない。彼らに臨時に支払う銭も馬鹿にならなかったし、何より……。彼らが身に纏うなんとも年季の入った具足こそが原因であった。


 織田の旗を掲げようが、先頭の船に人を密集させようが。乗っている人間が、明らかに船頭だの荷運び人だのの風体であったら、張り子の虎にすらなれない。

 そのため具足を身に纏わせ、一端の兵のふりをしたのである。では、その具足の出所は? それは境川沿いの村々から掻き集めたものだ。


 この時代常備兵など、夢のまた夢。いざ戦になれば、農村から人が戦働きに出るのは珍しくも何ともない。ましてや境川は、その名の通り国境の川。その川沿いの村々だ。美濃との戦いで戦働きに出る機会は格段に高かったろう。


 そのため、いざ戦となった時の為、村々の住人は具足を持っていた。それを徴発……できれば良かったのだが、俺にそんな権限はない。仮にあったとしても、村人の反発は必定だから、徴発は容易ならざるものだったろう。


 だから、全て買い取った。火急掻き集める必要があったため、値段交渉なぞしている暇もない。札束で頬をひっぱたくが如く――この時代お札はないが――本来の価値より高い値で買い漁った。

 言い値で買う、よりも酷い。有無も言わさず、奪うが如く買い取るには、誰も首を横に振る余地もない銭を提示する必要があった。


 ああ、思い出すだけで、怒りやら羞恥やらで頭が煮え立つようだ。

 本来、如何に安く仕入れ、高く売るかが商人の腕の見せ所とも言える。その真逆をいくか如き買い取り。こんなの見習い小僧ですらしない。


 しかし、背に腹は代えられない。

 尾張国中を巻き込んでの大規模欺瞞作戦。その上での敵国内での築城だ。ここまで大掛かりなことをしておいて、失敗しましたでは済まされない。

 藤吉郎にとっても、俺にとっても、必ず成功させる必要のあった作戦なのだ。ああ、だから仕方ない。


 それにしても、藤吉郎も上手く合わせてくれたもの。

 俺たちが後詰部隊であるはずがないことは、藤吉郎は百も承知のはず。にもかかわらず、天を衝くような鬨の声を兵らに上げさせた。

 助かった! 味方が駆け付けてくれたぞ! そんな様を見事演出するアドリブは、敵兵を騙す一助となったであろう。


 まあ、それ以前の失態があるから、それでも赤点だけどな。あの禿げ鼠め、どうとっちめてやろうか?


 藤吉郎への仕置きを考えている間にも船は進む。やがて、藤吉郎らの待つ川岸へと接岸した。


 よっと、船を飛び降りる。足袋を川の水が濡らした。構わず歩を進める。藤吉郎隊の下へと。

 先頭には何やら複雑そうな表情をしている藤吉郎。


「やはり源さか……」

「藤吉様、御無事のようで何より」

「……何でじゃ?」

「はい?」

「何で、斯様な無茶をした。馬鹿な失態を演じたオレなんて見捨てればよかったろうが。そりゃ、此度の失態は源さとはいえ、責めを負うじゃろ。だけど、これまでの功績、今後期待できる働きを鑑みれば、そこまで厳しい沙汰ではない筈じゃ。それこそ、全てこの禿げ鼠のせいにすれば、そもお咎めすらないかもしれん。なのに……」

「藤吉様……」


 言葉を次から次に吐き出そうとする藤吉郎を手で制する。そうして軽い調子で声を出す。


「藤吉様、そんなの我々が一蓮托生だからです。忘れたのですか? そう話し合ったばかりではないですか」

「それは分かっとる。確かにオレが潰れれば源さも大損じゃ。だけど致命的なそれでもないじゃろ? 何故オレに見切りをつけないんじゃ?」

「……約束がありますから」

「約束?」

「それも忘れ果てましたか? 貴方が言ったのですよ、藤吉様。初めて顔を合わした時に。……我々二人で、上でふんぞり返っているお歴々をぎゃふんと言わせるのでしょう? 他の誰でもない。卑しい商人たる手前と、下賤の出である藤吉様。この二人でです」


 藤吉郎は何かを言おうと口を開けるが、言葉にならない。もごもごと口を動かし、そして諦めたのか俺の方に歩み寄る。

 バンバンと肩を叩いてきた。俯き、その表情は窺い知れない。ようやく絞り出すように声を出す。


「……助かった。次は必ずオレが助ける」

「ええ。期待しています」



 かくして、洲股への敵の攻勢、その第一陣を跳ね返すことに成功。そして第二陣が押し寄せることはなかった。

 西美濃に残る国人らの腰は重く、その動員は遅々として進まなかった。また、新加納に出馬した龍興ら美濃勢主力は、洲股築城の報を聞き、織田の真の狙いに気付いた。気付いたが、正対する織田本軍を前に、容易に退却することもままならない。


 結果、洲股城の改修工事を無事完了。完成した城に、柴田率いる二千の後詰を迎え入れ、橋頭堡の護持を確実なものとしたのだった。




 永禄六年夏のことである。

 信長公、木下秀吉に洲股要害の修築を命じられた。木下、敵勢の攻勢を受けるもこれを無事に完了させた。

 信長公、その功績を激賞され、木下を洲股城城主に据えると共に、金銀を褒美として下賜された。



 ……信長公記には記されぬ零れ話ではあるが、信長より下賜された金銀の半分は部下たちへの報酬に消え、残る半分はある商人に全て毟り取られ、藤吉郎の懐には一銭も残らなかったそうな。

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