非公式会談

 俺は小牧山城の渡り廊下で足早に進む信長の小姓の背を追う。


「お急ぎください、大山殿。殿を始めとしたお歴々は既にお待ちです」


 もう何度も聞いた言葉を繰り返しながら、小姓は益々足を速める。最早競歩か何かをしているような気分になる。

 信長に呼び出され登城したのだが、首を長くして待っていた小姓に今、急き立てられながらズンズンと歩かされる羽目になってしまった。

 どうも、既に信長が待っているらしい。常のように後から登場すればいいのに、なんて厄介な。


 うんざりとした気分に浸りながらも、どこか頭の中の冷静な部分が思考を止めずに回転する。

 信長が既に部屋にいるのは、会談の相手が俺だけでないからだろう。小姓の言葉によれば、既にお歴々が揃っているとのことなので。


 ……お歴々、か。誰だ、一体? 小姓の口振りからそれなりの立場の人間だろうが。

 しかし、今まで信長との対談で余人が同席した例はない。

 それもそうだろう。所詮俺は商人に過ぎない。信長が重臣たちと話し合う場に、俺なんかが混じるのは不自然極まりない。人によってはそれだけで不快になる恐れすらあった。


 あるいは、この前の洲股の一件で益々名を上げたことで、信長がそのような配慮はいらなくなったと判断したとか?

 ありうるな。効率性を重んじる信長だ。わざわざ二回に分けて会談の場を持つより、関係者各位を一堂に会しての、一度きりで済む会談こそを望むだろう。


 しかし、信長の感覚と重臣らの感覚のズレが心配なんだよなあ。

 信長が大丈夫だろうと判断しても、それが当てになるかどうか……。佐久間とか、佐久間とか、佐久間とか。風聞から判断するに、かなり不快さを示しそうである。


「こ、こちらです、大山殿」


 小さな体で急ぎ過ぎたためか、小姓は少し息を乱し、顔を紅潮させながら言う。中性的な容姿の為か、見上げてくる潤んだ視線が妙に色気を放つ。

 ……小姓に求められる役割を思えば当然、か。いや、これについては深く考えまい。現代人の感覚も未だに色濃く残る俺は、その道への忌避感があったのだ。


「失礼します……ッ! これは、これは! 申し訳ありません。手前如きが皆々様をお待たせしてしまうとは……!」


 小姓が引いた障子の先には、信長と――柴田勝家、村井貞勝、そして今一人見知らぬ男が座っている。

 信長、勝家、貞勝ときての、この男だ。当然小物ではないだろう。……武人然とした男だ。年齢は四十辺りであろうか?


「よい。早う座れ、うらなり」

「はっ」


 信長の催促に、俺は急ぎ下座に座する。


「うらなり、権六と吉兵衛とは面識があるな?」

「はい。柴田様と村井様には、大変お世話になりました」

「うむ。なら、初顔合わせは三左だけか。ほれ、その男が森三左じゃ」


 信長が顎で示す。俺は森三左と呼ばれた男に深々と頭を下げる。


「お初にお目に掛かります。熱田商人、大山源吉と申します」

「うむ。森三左衛門じゃ。よろしくのう、大山」


 俺の挨拶に、武人然とした風格に反した、どこか柔らかさを感じさせる落ち着いた声音が返って来る。

 

 ……森三左衛門、森三左衛門可成か! あの、攻めの三左の異名を持つ武将。

 成程、勝家や貞勝と肩を並べてもおかしくない男だ。

 まあ、俺が加わる以上、非公式の会談にならざるを得ない。なれば、呼ばれた三人は、信長の信頼厚い男たちというわけだ。


 頭を下げながら、そこまで考えを巡らすと――。

 パンパンと上座から音がする。目を向けると、信長が右手に握った扇子で左手の平を叩いている。


「挨拶などよいと言うておろうが! 時間の無駄じゃ」

「はい……」


 ったく、この男は……。すっと頭を上げるが、内心毒づいておく。


「お主たちを呼んだは外でもない。今後の方針を話し合うためじゃ」


 今後の方針……か。信長の発言に、俺以外の三人は特に口を開こうとしない。三人は既にある程度話を聞いているのか?

 うーむ、三人を差し置いて、俺が発言するのも憚られる。なので、視線で信長に問い掛けることにする。じっと黙って、信長の顔を見た。


「無論、美濃攻めのことじゃが。そろそろ終いにする積りじゃ。如何に攻略を進めていくか。そして、終わらせた後のことも事前に相談しておきたい」


 ふむ。そういうわけか。如何に攻略するか、それだけなら俺と貞勝はいらない。

 最早、美濃斎藤家の命運は風前の灯火だ。普通に攻めればよい。武将たちに任せればいいだけだ。俺たちのような門外漢が口を挟むことじゃない。


 それでも、俺と貞勝がここにいる理由。それは戦後処理と、その後の尾張、美濃二国の内政に関することに相違あるまい。


「殿、拙者の存念を述べる前に確認したいことが」

「何じゃ?」


 貞勝の声に、信長は疑問の声と視線を貞勝にやる。


「件の申し出、浅井からの申し出に、如何返事なさるお積りでしょうか?」

「ああ。浅井が美濃の後背を衝き、我らの美濃攻めを手伝おうというあれか。ふん、見返りに美濃を制圧した後に、六角との戦いに助勢して欲しい。そんな魂胆であろうが。わざわざ、斎藤を下すに浅井の助勢など無用よ。美濃攻めだけを見れば、全く同盟の必要がなかろう。なかろうが……」

「上洛、ですな」


 可成が信長の言を引き継ぐ。


「そうじゃ。尾張、美濃、そして近江を経由して上洛する。浅井と六角が領する近江をの。……北近江の浅井と南近江の六角は相争っておる。なれば、この両者を相手取るより、片方と同盟を結び、もう片方を攻め滅ぼした方が早い」

「確かに……」


 場の全員が頷き合う。浅井との同盟は必須だ。しかし浅井との同盟は……。

 脳裏に美しい少女の顔が思い起こされる。俺は思わずといった具合に口を挟んだ。


「畏れながら申し上げれば、いずれ浅井との同盟は必要でしょう。それは手前も同意します。されど、同盟締結に際し逼迫した事情があるは、六角との戦いに苦戦している浅井の方です。対し、我らにはそこまで急ぐ事情もありません」

「ふむ……」


 信長が目で続きを促してくる。


「なれば、すぐに浅井の申し出を受けず、暫し韜晦とうかいなされては如何? 申し出の受諾を勿体付けて、より良い条件を引き出すのです」

「がははっ! 商人らしい進言じゃの!」


 信長は大笑する。そして笑みが収まると、貞勝に目を向ける。


「浅井の使者を焦らしに焦らした上で、こちらに有利な条件を引き出す。出来るな、吉兵衛?」

「お任せ下され」


 信長の問い掛けに、貞勝は二つ返事で返す。信長は満足そうに頷いた。


 よし! これならば……!

 史実と違い、斎藤を下すは織田の独力だけで可能だ。なれば、浅井との同盟は史実ほど近々の課題とは言えぬ。翻って、浅井の状況は史実と大差ない。

 いける。史実とはまた違った同盟の在り方を模索することが……。


「殿! 失礼します! 今し方、早馬の知らせが!」


 障子に人影が映る。緊急事態を思わせる声が震えるように響く。


「……何事じゃ?」

「はっ! 三河国にて一向宗の一斉蜂起が起きたとの由に御座います!」

「一向宗……。ふん、竹千代め、足元を疎かにしおって。坊主どもを調子づかせるとは……。それで? 規模はそれなりのものか? 鎮圧に手こずりそうなのか?」

「いえ! それが……、その……」


 はっきりしない物言いに、信長は眉を顰める。


「何じゃ!? はっきり申せ!」

「は、はっ! 一向宗の蜂起に合わせ、松平家中の少なくない家臣が一斉に蔵人佐殿の下を離反! 一向宗に合流した模様です! 鎮圧に手こずるどころか、あるいは……」

「何じゃと!!!!」


 信長は怒声を上げるや、がばっと立ち上がる。そして身を震わせながら暫しの間押し黙った。

 その間、誰も言葉を発することが出来ない。苦しい沈黙が下りる。


「……蔵人佐に万一のことあらば、東の抑えが消える。そうなれば、美濃攻めの完遂も危ぶまれよう。予定変更じゃ、急ぎ浅井との同盟を。浅井と連携して速やかに斎藤の息の根を止める。良いな?」


 ――良いな? そう問い掛けてはいるが、有無を言わさぬ語調だ。

 勝家、可成、貞勝、そして俺も黙って頷くことしか出来なかった。頷くことしか出来なかったのだ。

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