孤高なる龍
尾張・三河の連携、問屋制・工場制の混合形態、綿織物によるブランド商品の創設。
これら閃いた案の是非を求めるべく、早速清洲城の信長に文を出した。
すると、光の速さで呼び出しを受けた。故にまたもや、清洲城に登城と相成ったわけである。
……信長は、相手にも都合があるのを理解できないのか?
それとも理解していて、敢えて無視しているのか。……多分後者だな。そんなことだから本能寺を(ry
そんなこんなで、またもやいつもの部屋で待たされる。
ほどなくして響くのは、例の落ち着きない足音だ。
ドタドタドタ、バーン! 勢いよく障子が開かれた。俺は平伏する。
「おう! 来たか、うらなり!」
ドタドタ、ドスンと、上座に座る音。
「面を上げよ。あの文、読んだぞ、うらなり!」
「はっ……」
俺は顔を上げながら問い掛ける。
「して、如何でしたでしょうや?」
「面白い! ……が、尾張国内に留まる話でもない。故に、ワシ一人では決められん。松平の賛同もいるぞ」
「はっ。承知の上です。畏れながら、松平様には、上総介様からご説得いただきたく」
「ふむ……」
信長は虚空を見上げながら、顎鬚を撫でる。
「……水面下で同盟の話を進めているのは話したな」
「はい」
「本腰を入れた交渉はまだ先じゃが……。その時、うらなりの案も話せばよい」
「はっ。有難く……」
俺の言葉尻を、信長の眼光が遮る。
「が、同盟の交渉役を任せておる者では、うらなりの案を上手く説明能わぬじゃろう。……うらなり」
「……はい」
「交渉が佳境に至れば、貴様もその場に参加せよ。見事、自らの言で、竹千代を口説き落としてみよ。よいな?」
「ッ! 承知致しました!」
俺が家康を説得する! 何て大任だ! 体が震えそうになる。
これは怖れか? ああ、当然怖ろしい。決まっているだろう。
だが! 同時に湧き起るこの感情は……!
ああ、そうだ。桶狭間の後、信長に初めて会った時と同じ感情。――興奮だ。
なれば、この震えは、武者震い。
いいぞ。やってやろうじゃないか! 俺が、他の誰でもない、この俺が!
またも、歴史に爪痕を残すのだ。取るに足らぬ商人の身で。歴史上の偉人でもない俺こそが!
ハッ、なんとも痛快じゃないか!
これに勝る遣り甲斐のある仕事など、他にあるというのか!?
俺は震えながらも、真っ直ぐに信長の目を見詰める。
「良い目じゃ。野心溢るる男の目じゃ」
信長はニヤリと笑む。
「失敗は許さんぞ、うらなり。……励め」
「はっ!」
俺は力強く返事してみせる。受けて、信長は満足げに頷いた。
「よし! この話は終いじゃ! 次は……ワシの愚痴に付き合え、うらなり」
「はっ……?」
は? 愚痴? ……んんん?
臨界点まで高まった熱が、急速に冷やされていくのを感じる。
いや、そんなもの俺に聞かせなくていい。俺だって暇じゃないんだ。
と思うが、口に出来るわけもなく。なので、心の声が信長に届くわけもない。
……仮に届いても、聞く耳など持ちやしないだろうが。
「此度、美濃攻めの為に、尾張北部に城を築くこととなった。美濃攻めのための一大拠点じゃ」
「一大拠点……それはどちらに?」
「小牧山じゃ」
小牧山……。信長の死後、家康と秀吉が争った戦、小牧・長久手の戦いの際、家康が陣取るのは知ってはいるが……。
城が築かれるのは、この頃だったのか?
あるいは、資金面が史実より潤沢になったことにより、史実とは違うタイミングで城が築かれようとしている?
判断つかない。流石に、小牧山にいつ城が築かれたなんか、俺には分からん。
「……それで、何が上総介様をお悩ましに? 資金繰りに問題が?」
信長が憮然とした表情で、忌々しそうに鼻を鳴らす。
「資金は問題無い。問題は別よ。この際思い切って、清洲から小牧山に本拠を移そうと思うのじゃが。……ふん! どいつもこいつも、難色を示しよる」
本拠の移転! なるほど、一大事だ。
織田家中の者たちが、慎重になるのも頷けるが……。
「本拠をお移しになりたいという、その御心中は? 前線拠点としての使用に留めるのではいけぬのでしょうか?」
信長は蠅でも追い払うように手を振る。その表情は鬱陶しげだ。
「うらなり、貴様まで、我が家中の石頭共と同じことを言うでない」
「はあ。申し訳ありませぬ」
幾分、気の抜けた返しをした俺に、信長が移転の理由を口にする。
「本拠を移すは、ワシの決定を速やかに前線に反映させるためよ。それに、前線の一大拠点を任せる将に、清洲のワシ、そんな風に頭が二つになるは混乱の元よ」
なるほど。トップの意思決定、その伝達の速さを重視する、か。それに、指揮系統の一本化による混乱の防止。
事を始める前に、そのことに気付ける。なんとも、非凡なる男だ。
「上総介様の御意思は理解しました。……同じことを家中の方々にもお話しなさればよいのでは?」
信長の眉間に、これでもかと皺が寄る。
「連中はそれでも文句を垂れるのだ。……別に反対意見を口にするは構わぬ。理屈ある反論ならな! うらなり、連中は急な変化に及び腰なだけよ。それだけで、理由なく反対しよる!」
信長の語気は、次第に強くなっていく。
相当、日頃の鬱憤が溜まっているようだ。
無理もない、そう思う。
信長の先見性、思考回路、それらは戦国の世の者が有するものとは思えない。
信長が、俺と同じ現代からの転生者だというのなら、大いに納得しただろう。
それぐらい、信長はかけ離れている。一人、先を歩み過ぎている。
大きすぎる才気は、必ずしも本人のためになるとは限らぬ。
信長を見ていたら、それを実感せざるを得ない。
信長にとっては、当たり前に過ぎる事象。それにすら、気付くことができぬ己の家臣たちを見るのは、さぞや歯痒いことだろう。
俺は初めて、この男のことを哀れに思った。
天与の才、いや、時代を超越した異才。
それは、信長を否応なしに孤高の存在へと引き上げる。引き上げてしまう。
「何じゃ、その目は? うらなり?」
「いえ……」
「口籠るな。申せ!」
「………………」
「ふん。いつもの減らず口は何処へ行った? もう一度問うぞ? 此度のことに限らぬ。何故、家中の者たちは、事あるごとにワシの意見に拒絶反応を示す。さしたる理由もないままに。一体、何故じゃ?」
俺は目を伏せる。そして、喉で止まりそうになる言葉を吐き出した。
「それは……上総介様御一人だけが違うからです」
「違う? ワシは何が違うというのだ?」
「喩えるなら、上総介様は、滝を登り切った稀有なる鯉です。これより、天をも翔けようとなさっておられる。……どうして、凡庸なる鯉どもが、天翔ける龍についていけましょうや?」
「……であるか」
信長は俺から視線を離すと、開かれた障子の先の庭を眺める。
「龍の想いが鯉に伝わる道理もなし、か。……なるほどのう。得心いったわ」
信長の見せるその横顔に、俺は胸が締め付けられそうになる。
信長は庭を眺めたまま、言葉を繋ぐ。
「しかし、なればどうすればよい? 理解求めるが無為ならば、無理やり動かせと?」
信長の問い掛けに、俺は首を左右に振る。
「家中の方々は、先が見通せぬ闇だからこそ、恐れ、足踏みなさっているのです。無理やりその背を押し、闇の中へと放り込めば、増々恐怖するでしょう」
「……ふむ。ならば?」
「無理やり動かすのではなく、自ずと動くように仕向ければよろしいかと」
「どういう意味じゃ?」
信長の視線が、俺の顔に戻される。
「さて、此度の場合ですと……。ふむ、商人ならこうするという知恵をお貸ししましょう。上総介様、小牧山への本拠移動よりも、無茶なことをご提案なさいませ」
「んん?」
信長が疑問の声を上げる。俺は説明を続けた。
「例えば、小牧山より最前線に近い地に、より北方の地に、新たな本拠を構えると言うのです。当然、家中の皆さまは猛反対なさるでしょう」
「当然じゃな」
「はい。そして、その後に本命である小牧山案を持ち出す。本当なら、最初の無茶な案が本命だが、抵抗に遭い、渋々譲歩案を示したのだと、そういう体で」
「ふむ……。それで、納得するか?」
「恐らくは。少なくとも抵抗は減じましょう。止めに、最初の無茶な案か、小牧山案か好きな方を選べ。そう仰ってください」
無茶な要求を通す際に、より無茶な要求を先にする。
そうすることにより、無茶な要求を無茶と思わぬように誤認させる。
人間心理を利用した、よくある手だ。
そして、二択という形で、相手に決定権を放り投げる行為。
一見、相手に選択の自由権を与えているようだが、なんてことはない。
二択の時点で、自由もくそもないのだから。
「……なるほど。それが商人の知恵、か。参考にしよう」
「はい。是非とも」
俺は軽く頷く。暫し流れる沈黙。それを信長が破る。
「時にうらなりよ」
「はっ。何でしょうか?」
「貴様は、我が家中の鯉共より話が通じるようじゃが。これはどういうことか?」
信長の問いに、俺はわざとらしく笑みを浮かべて見せる。
「ああ、それは簡単なことです。我ら商人は、常にずる賢く、
「ふん。たわけたことを。……かねてよりの疑問に答えて見せたこと。礼を言うぞ、うらなり」
「滅相もありませぬ」
俺は深々と平伏する。
信長はすっと立ち上がると、静かに歩み去って行った。
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