尽きることなき野心

 タンと音を立てながら障子が開かれる。すっと光が直に差し込んできた。

 障子を開けた男――藤吉郎はぎょっと目を見開いた。予想だにしない事態に狼狽しているのか、その目が忙しなく揺れている。


「げ、源さ!?」

「お待ちしておりましたよ、藤吉様。では、早速仕事の話をしましょうか」


 藤吉郎は後ろ手で障子を閉めると、転がり出るように足を踏み出してくる。


「げ、源さ! これはどういうことだ?」

「さて、どういうことだと思いますか、藤吉様?」


 俺は思わせぶりな笑みを湛えながら、そのように返した。

 すると、藤吉郎は俺の態度に何かを感じ取ったのだろう。狼狽に揺れた瞳は次第に凪いでいく。

 藤吉郎はゆっくりと座すると、顎に拳を当てながら俯く。――考える猿。何となくそんなフレーズが頭に浮かんだ。


「……殿の御下知は、源さの差し金だったというわけじゃな?」


 顔を上げるや、藤吉郎はそんなことを言ってくる。俺は思わず苦笑した。


「差し金、その言い草はあんまりでしょう。お役目を果たせる人材として、折角手前が藤吉様を推挙したのに」

「そりゃあ、そうじゃが……」


 藤吉郎が落ち着かなげに体を揺する。


「大功をあげる良い機会です。そうでしょう? それともまさか、やり遂げる自信がお有でない?」

「……源さ、まさかそんな挑発でオレが乗せられると思っておらんよな? ふん、昔ならいざしらず。これでも、数多くの調略をこなしてきた身じゃぞ」


 目をすわらせて、こちらを見てくる藤吉郎。

 ほう、唯のお調子者でもなくなったか。当然だな、目の前の猿顔は後の天下人、太閤秀吉なのだから。


「重々理解しておりますとも。ただ、お互いの気安さ故につい軽口が出てしまいましたね。これは失敬しました」

「別に気にしとらん。……で? 目的は? 何のためにオレを推した?」

「無論、藤吉様に功を上げてもらいたいからです。……時に藤吉様、手前が藤吉様にお貸しした銭がいくらになったか覚えておいでですか?」


 俺からの問い掛けに、藤吉郎はたじろぐ。あからさまに視線を泳がせた。


「お、おう。……ま、まあ沢山じゃな」


 俺は押し黙ったまま藤吉郎の顔を見る。


「い、いや、源さ! きちんと返すで! そりゃ、今すぐというわけにはいかんが! 大体、源さもすぐに返さなくて良いと言っておったろうが!」


 唾を飛ばしながら話す藤吉郎。その頬に汗が一筋伝い落ちる。

 ふむ、苛めるのはこの辺にしておくか。


「左様です。今すぐに返せとは言いません。そも、今の藤吉様では逆立ちしても、返済できないでしょうし」

「う、うむ……そうじゃの」

「藤吉様、手前はね、未来の藤吉様に投資したのですよ」

「とうし? 何じゃそりゃ?」


 っと、いかん、いかん。ゴホンと咳払いする。


「つまり、今の藤吉様ではなく、未来の藤吉様に銭を貸したのです。立身出世を果たした、未来の藤吉様に。……分かりますね? 藤吉様が出世しなくては互いに困ったことになるわけです。手前は莫大な銭をどぶに捨てることになる。藤吉様には……腹でも召してもらうことになるやも」

「お、怖ろしいこと言うな。まあ、分かりやすくはあったが……。つまり、オレらは一蓮托生というわけじゃな? オレが出世しなくては共倒れというわけか。委細承知したが……しかし此度のお役目、勝算はあるんか、源さ?」

「勿論。手前、負ける博打はしない主義です」


 俺は不敵に笑んで見せる。俺の返事を聞いた藤吉郎は腕を組んで黙考する。


「……博打か。博打と言えば、源さは桶狭間で大博打に勝ったんじゃったな。……分かった。源さの勝負運に賭けたる! オレもその博打に乗るわ!」


 藤吉郎がどんと自身の胸を叩いてみせる。


「藤吉様なら必ずやそう言って頂けると信じていました。ならば、博打に勝つための秘策をお伝えしましょう……」


 俺の言葉に藤吉郎は身を乗り出してくる。俺は囁くように、伝説を現実にするための方策を語り始めた。



****



 源さとの密談を終えたオレは、城から帰るために一人歩いておる。

 もう大手門は目の前じゃ。……うん?

 大手門に見た顔が立っておる。見た顔というか、弟の小一郎じゃな。

 大方、他の諸将と共に殿より登城を命じられたオレのことを心配して来たに違いない。


「兄上、他の諸将方よりずいぶんと遅く出てこられましたが……。何事かありましたか?」

「まあ……のう」


 左右に目を走らせながら、そのように返す。小一郎も察して、すぐ傍に寄って来る。オレは歩みを止めぬまま大手門を抜け、緩やかな坂を下っていく。

 その坂の中頃に至ると、小声で殿の密命について小一郎に説明してやった。


「それは何とも…………」


 小一郎は事の重大さに言葉を失う。肝の小さいことじゃ。


「心配いらん。協力者の源さは、気心知れた相手。他の諸将と組むより、よっぽどマシじゃ。少なくとも、足を引っ張ったり陥れようとはせんじゃろ。それに、能力もある男じゃ」

「……源さ、御用商人の浅田屋のことですな。兄上が途方もない銭を借りておる商人」


 小一郎が咎めるような声を出す。

 少し前まで、オレの銭の出所を小一郎にも黙っておったからな。そうでもせんと、商人に莫大な借財をしていると聞くや否や、この小煩い弟は激しく非難してくるに違いないからのう。

 まあ、隠し切れんかったわけじゃが。額が額だから、誤魔化し切れぬものではないことは初めから分かっておったが。

 それでも、小言を聞かされるのを少しでも後回しにしたいというのは、誰しも考えることじゃろう。


「そう、その浅田屋じゃ。協力ついでに、まーた銭を貸してもらうことになったぞ」

「なっ、兄上!」


 あー、煩い。オレは羽虫を払うような仕草で手を振ってみせる。


「小言は聞き飽きたぞ、小一郎」

「何を仰います! 今いくらの借財があると! このままでは深みに嵌って抜け出せなく……」


 オレは小一郎の目を真っ直ぐ見詰める。真剣な目付きで。小一郎は思わず言葉尻を飲み込んでしまった。


「逆じゃ、小一郎。深みに嵌るは、源さの方じゃ」

「それはどういう……?」

「源さは、既に莫大な銭をオレの為に費やしておる。もし、オレが出世できずに潰れれば大損よ。なら、源さは更に掛け金を積み上げるしかない。これまでの銭を無駄にせぬために、更にオレの為に銭を費やさざるを得んのじゃ」


 オレはにやりと笑う。


「オレらは一蓮托生じゃ。共に下々から天辺まで駆け上がるか、共に破滅するかよ! のう、これ以上信頼できる相手が他におるかや!?」


 オレはそのように力説する。さしもの小一郎も気圧され、小言を口にすることができぬようじゃ。


「…………相分かりました。兄上もよく考えられた上での行動なのですね」

「そうじゃ」


 オレは重々しく頷く。頷いたが、今の説明には穴がある。

 確かに、源さはこれまでの銭を無駄にするのを嫌うじゃろう。それ故、出来る限りオレを支援しようとする。それは間違いない。

 が、どうしてもオレが使い物にならんと見切りをつけたら、大損を飲んででも支援を打ち切るだろう。更に損を拡大しないように。


 まあ、ええ。ようは見限られなければいいだけのこと。

 わざわざ、小一郎にそれを伝える必要もないわな。


 さーて、また借りた銭で、ウチの阿呆どもに発破かけるか。はは、忙しくなるぞ!

 やってやる。必ずオレは立身出世を果たす。そして……。


 オレは野心を胸に、振り返り御城を見上げたのだった。

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