伝説の再現
信長が諸将を小牧山城に招集した日より、時は少し遡る。
小牧山城、信長が清洲より移した新たな居城。
その一室で、俺はこの城の主と二人きりで話していた。
「敵前での築城ですか?」
「築城ではない。城の修復じゃ」
「なるほど。……しかし、一から築くより楽でしょうが、それでも困難さは計り知れぬでしょう」
「であろうな。無論、馬鹿正直に修復するわけではない。ワシ自ら、大軍を率いて美濃国内に攻め入る。敵の主力を引き付けるためにな」
囮、そういうわけだ。ふむ……どうだろうか? いくら敵主力を引き付けても、敵の全兵力が出払うわけでもない。
大軍ではなかろうが、稲葉山城に残ったいくらかの留守部隊が工事中の城に攻め寄せてくるだろう。
ならば、城の修復に当たる人員とは別に、防衛のための兵もいる。しかし、途中でばれるのは致し方ないにしても、作戦序盤でばれないように隠密性も重視する必要がある。囮である織田本軍に、敵主力が食いつかねば意味がないのだから。
そうなると、連れていける兵の数は限られる。
寡兵では長時間の防衛はきついだろう。……迅速な工事が肝になる。いかに早く城の修復を終えられるか、それが作戦成功の鍵になるか。
しかし、美濃攻めでの速やかな城の工事と言われれば、否応なしにかの伝説が思い起こされる。そう、墨俣一夜城だ。
佐久間、柴田といった、織田家の有力武将が墨俣に城を築こうとするが、敵の妨害により悉く失敗に終わってしまう。
そんな状況の中、藤吉郎秀吉が大言壮語するのだ。――拙者なら七日の内に城を築いてみせます、と。
そして藤吉郎は、蜂須賀小六らの助力を得て、知恵を駆使して見事墨俣に城を築いてみせる、というのが伝説のあらましだが……。
残念ながら、これは史実ではない。とはいえ、伝説の元ネタとして、似たような戦ならあったそうだ。
もっとも、一夜城と評されるほど速やかな工事ではなかったろうし、そもそも藤吉郎の采配でもないのだが。
墨俣一夜城は伝説。しかし、その中身は中々どうして機知に富んでいる。
プレハブ建築のようにあらかじめ組み上げられた建築部材を、川で次から次に流してやるというもの。
水路によって、陸路より早く運搬。さらに、上流である程度組み上げられているため、現地での作業を減らすことができる。
それらをもって、工期を大幅に短縮させることに成功したというのだ。
一考の価値がある手法と言えよう。恐らくこの伝説のネタを考えた人は、実しやかに見せるために相当頭を働かせたと見える。
ならば、盗ませてもらおう。創作者も、伝説が本当になったなら、ネタを盗まれたとて怒りはすまい。
俺はそこまで考えて、信長の顔を見詰め返す。信長の目は、『ほれ、何か名案を出せ』と、如実に物語っている。
ならば語って見せようと、俺は一つ咳払いする。
「委細承知しました。我ら商人、戦のことに関しては門外漢。それそのものは、武家の皆様に遠く及びません。されど、人、モノの差配に関しては我らの領域。これに関しては、武家の皆様は、我ら商人に及びません」
「前置きはよい。早う、本題に入れ」
信長は目の前の蚊を払うように、鬱陶し気に手を振るう。
相変わらず直截的な話を好む男だ。まあ、その方が無駄に気を使わなくてよいので、こちらにとっても有難い。
「川の上流で、材木の加工、組み上げを行います。小分けに組み上げた部材を流し、それらを現地で再度組み上げる。全て現地で行うより、大幅に工期を短縮できましょう。……材木の仕入れ、運搬、そして職人の調達。これらは我ら商人が請け負います。織田家中の方々が差配するより、円滑にいきましょう。後は、誰ぞ、織田家中の方に工事の監督と、工事中の城の防衛をお願いしたく思います」
「ふむ……」
信長が虚空を見上げる。今話した案を吟味しているのだろう。
難しい話じゃないし、道理に適っていない話でもない。買い付け、物流、その二つに関しては、商人の右に出る者はいない。
また、プレハブ工法とでも言うべき工事方法も、工期を短縮できるのは間違いない。まあ、一夜城が可能かと聞かれれば、とても首を縦には振れないけれど。
「……であるか。ふん、面白いことを考え付くものよ。一度試してみる価値はあろう」
「では……」
「うむ。うらなり、貴様の案を採用してやる。材木などの仕入れ、運搬に、職人の用立て、全て貴様に一任しよう。さて、なれば、織田家中から誰を出すかじゃが……」
「上総介様、その人選に関しても、手前より推薦させて頂いても?」
「構わん、誰じゃ?」
「木下様を推薦したく」
「禿げ鼠か……」
信長が再び思案気な顔付きになる。俺は説得のため、更に言葉を重ねた。
「此度の作戦は、単純に兵を率いるだけではありません。修復工事に当たる職人らとの連携も重要になってくるでしょう。木下様は、不思議と下々の者から好かれる御仁。職人らとも軋轢を起こすことなく、上手く連携能うでしょう」
俺の言に、信長はにやりと笑う。
「不思議も糞もあるものか。禿げ鼠も下賤の出じゃ。馬が合って当然じゃろうが」
俺は曖昧に微笑むに留めた。
「よう分かった。確かに禿げ鼠が適任かもしれぬ。生まれもそうじゃが……。あやつは不思議と、下々の者たちをまるで馬を人参で釣るが如く動かせるからな。本当に、不思議なことに」
「それは不思議なことです。その極意、手前も是非とも知りたいものです」
「がははっ! とぼけおるか、このうつけめ! よい、うらなりに禿げ鼠、貴様ら二人に一任しよう。好きに動け! ……ただし、失敗は許さぬ」
「承知しました」
俺は深々と頭を下げる。
よし、猿木藤の確保に成功だ。伝説の再現というなら、藤吉郎がいなければな。
まあ勿論、藤吉郎を推したのは、そんな酔狂だけが理由でもないが。
実際問題、連携して動くなら、見知らぬ織田家中の武将より藤吉郎の方がよい。
それに、これを足掛かりに、益々藤吉郎には出世してもらわなければ。そうでなくては、貸した銭の取り立てもままならぬ。
なあ、藤吉郎よ、俺は十分に尽くしたろう? そろそろ貸した銭の一部くらいは返してもらわねば。
心配するな。あくまで一部だ。何も全部返せとは言わない。利子分だな、利子分。元本はそう簡単に返済してもらっては、却って困る。
これから長い間、干からびない程度に絞り取っていかねばならないのだから。
俺は深く下げた顔が信長から見えないのをいいことに、邪悪な笑みを浮かべてみせた。正に商人らしい邪悪な笑みを。
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