清洲同盟
若狸さんとの交渉を終えた織田交渉団一行。
暫し、お隣の三河観光でもと洒落込みながら羽伸ばす……なんてこと、あの信長が許してくれるわけもなく。
早々に、尾張は清洲城への帰途へと就いた。
まさに弾丸ツアー、信長は部下を何だと思っているのか?
そんなことだから(ry
何はともあれ、草臥れながらも、どうにか清洲城へと戻ってきた。
あー、疲れた。何、報告は貞勝たちがしてくれる?
有難い、有難い。俺たち交渉団が帰ったことを知った信長に呼び止められる前に、とっとと、熱田に帰るとしよう。
俺は貞勝に、深く頭を下げる。
「此度の交渉、村井様がいなくばまとまらなかったでしょう。手前のブランドの件も、色々御助力賜り、御礼申し上げます。……交渉とはかくあるべしと、大変勉強させて頂きました」
――では、手前はこれにて。そう言って踵を返す。
「待て、大山」
「はっ。何でしょうか?」
何で呼び止めるんだよ、そう思いながらも、おくびにも出さず振り返る。
「……いつぞやの発言は撤回しよう」
「は?」
「ッ! 察しが悪いぞ! ……清洲城を出立した時の話じゃ。お主に期待などせぬと、そう言ったであろう」
「は、はあ。確かにそのようなことも……」
ああ、あれか。顔を合わしていきなりの、足だけは引っ張るな発言か。
ううん? それを撤回するというのは、つまり……。
あれですか。まさかのデレ期到来?
おいおい、四十のおっさんのデレなんて……。
そんな馬鹿なことを考えていると、貞勝の冷たく怜悧な瞳が向けられる。
「殿が目を掛けるだけはある。お主は確かに、織田にとって有益な存在であろうよ。故に、一つだけ忠告しておこう」
「忠告、ですか?」
とてもではないが、冗談半分の思考をしている雰囲気ではない。
俺は気を引き締めて、貞勝の言葉を待つ。
「大山、気を付けろ。既に織田家中には、お主を敵視する人間も少なくない」
「はっ? いえ、手前は家中の方々とほとんど面識も有りませんが……」
「であろうよ。が、お主の話は織田家中に響いておる。その活躍と、殿の重用ぶりがな」
「…………」
ああ、つまり。全ては、藤吉郎の言う通りになった、そういうことか。
俺は無言で佇む。貞勝は身を翻す。そして――
「柴田と、佐久間だ。特にこの二人に気を付けよ」
俺に背を向けるや、最後に一言付け足す。後は、何も語ることなく歩み去っていった。
……かかれ柴田に、退き佐久間、か。そうか。あの二人が。
俺は、貞勝の背が見えなくなるまで、じっとその場に立ち尽くした。
****
永禄四年――清洲城
夜も深まってきた時間帯。
その部屋の四隅には、燭台がちろちろと灯りをともす。開かれた障子からは、淡い月光と涼しげな夜風が入り込んでいる。
部屋の中には二人の男が差し向かいで座っていた。各々の前には、酒杯が置かれている。
この二人こそが、後に天下に、否、歴史にその名を轟かす男たち。
初対面ではない。二人はまだ幼少の時分に顔を合わせていた。
「こうして、二人きりで話すのも久しぶりのことじゃ。のう、竹千代」
「ええ。本当に、上総介殿」
とっくのとうに元服した者相手に、幼名呼びとは無礼千万。
しかし、『竹千代』と呼ばれた男はどこか懐かしげに微笑んだ。
竹千代――松平蔵人佐元康のそんな表情に、信長もふっと愉快気に笑む。
「しかし、数奇な運命もあったものじゃ。お主の身柄が、織田より今川に送られることが決まった時、ワシは二度とお主に会うことはあるまい。あるとしても、戦場で敵として見えるものとばかり、思っておったが……」
「事実、先の桶狭間では敵同士でした」
「そうじゃな。が、今は槍ではなく酒を酌み交わしておる」
「はい。確かに数奇な運命かと」
元康の同意に、信長は一つ頷くと酒杯を手に取る。ぐいっと中身を飲み干した。
飲み干した後に、思い出したように尋ねる。
「おお、そうじゃ蔵人佐。酒は飲めるようになったのか?」
かつて、今川に質に送られる筈であった元康が、誘拐同然に織田につれさられたのは十三年も前の事。
当時、元康はまだ六歳であった。九つ年上の信長は既に元服も終えていて、当時から酒を嗜んではいたが。
当然、その当時の元康が酒を飲んでいたということはない。
「ええ。武家の後継として恥ずかしくない程度には」
そう言って元康も酒杯に手を伸ばすや、ぐいっとその中身を飲み干す。
「であるか……」
信長は元康の飲みっぷりを眺めながら言葉を続ける。
「蔵人佐、お主がワシの背を守れば、念願の美濃取りが叶う。この一歩目をどうして踏みあぐねておるが……。この先、躓かず踏むこと能わば、ワシは尾張、美濃二国の国力を以て一気に飛躍しよう。そして……」
信長は言葉を切ると、少し間を置いて続きを語る。
「そして、天下取りへの道が開かれる」
「天下……」
元康は思わずといった具合に呟く。
「そうじゃ。そのために蔵人佐、お主はワシの背を守れ。さすれば……お主に日の本の半分をくれてやろう」
「……御冗談を」
言葉とは裏腹に、緊張した面持ちで元康は言葉を返す。
対する信長は破顔してみせた。
「冗談と思うか? かかっ、そうじゃのう。日の本半分云々は、よく口の回る商人からの受け売りじゃ。しょうもない戯言じゃが、中々夢があろう?」
「商人……あの、大山とかいう男ですな」
「うむ」
信長は一つ頷く。
「成程……。確かに戯言なれど、夢がある。あの者の言葉には、不思議とこちらをその気にさせる力がありますな」
「夢……か。確かに夢じゃ。夢じゃからこそ美しい……」
信長は酒を注ぎ直した杯に再び口を付ける。
今度はゆっくりと飲み干すと、口を開く。
「のう、蔵人佐? 夢が
「是非。共に確認したく思います」
そう答えると、元康もまた酒杯に口を付ける。
ゆっくりとその中身を飲み干したのだった。
この日、織田、松平の同盟が正式に締結される。後に言う、清洲同盟である。
この時を生きる者には知る由もなかったが、本来ありえた史実よりおよそ一年早い同盟締結であった。
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