若狸と崖っぷち交渉
ダウト! ダウトだ! ……え? そういうゲームじゃない?
ならば、チェンジで!
マジかよ、細マッチョだぜ、兄貴!
いや、家康はまだ十九歳。腹黒狸になるには、早過ぎる時分なのだろう。
思えば、武家の若者がぶくぶく太っているわけもなく。
若き日の家康が、凛々しい若武者であってもおかしくない。むしろ、自然なのだろう。
だが、細マッチョは、俺の勝手に抱いていたイメージから乖離し過ぎている。
駄目だ、こいつ……。早くなんとかしないと……。
しかし、どうする? 決まっている! 太らせるには食べさせるのが一番。
だが、何を……。ハッ! 家康といえば天ぷらだ!
それだ! 至高の天ぷらを献上し、天ぷら愛に目覚めさせる。
それがなれば……。くくっ、家康狸化計画は、成功したも当然だ。
などと、動揺の余り、頭の中で馬鹿なことを考えてしまった。
その間にも、貞勝の口上は続いている。
「……故に、織田、松平両家が手を結ぶのです。さすれば、両家共、後顧の憂いなく前方の敵に注力出来ましょう」
「なるほどな。不戦条約自体に否やはない。俺は東三河を、果ては今川との戦いに専念できる。織田は斎藤との戦いに。……だが、それだけでは弱くないか? もっと積極的に協力し合える同盟であればと、そう思うのだが」
「……と、言いますれば?」
貞勝の問いに、家康は心なしか身を乗り出す様にする。
「自らの恥を晒すは忍びないが……。我が松平は独立したばかり。西三河は抑えようとも、東三河を抑えるに至らず。また、今川という大敵が控えておる。……三河の抑えが盤石になるまで、織田の援軍を請いたい。いざ同盟を結んでも、早々に我らが倒れれば、織田もまた困るであろう?」
言葉とは裏腹に、全く恥ずかしげもなく堂々と家康は言う。
受けて、貞勝も言葉を返す。
「……仰ることは尤もではありますが。互いが互いの正面の敵に注力するための同盟。織田が松平に援軍を派遣するは、本末転倒でしょう」
「分かっておる。だから、三河の抑えが盤石になるまでの、最初の内だけじゃ。その後は互いの敵に注力する。それでどうか? いや、いずれ余裕が出来れば、我らが美濃攻めに協力することもあるやもしれん」
そんな家康の言に、貞勝は露骨に顔を顰める。
「……何とも厳しい申し出。ですが、規模、期間によっては相談の余地もありましょう」
貞勝は渋い声ながらも、否定の言葉だけは吐かなかった。
が、その表情も声も演技である。俺にはそれが分かった。
貞勝とて、松平の状況が厳しいことは分かっている。援軍の要請があることも、事前に織り込み済みだろう。
つまり、その演技は一種の交渉術だ。
大変苦しい申し出ですが、何とか叶える様に努めましょう。そうポーズを決め込むことで、相手に一つ貸しを作る。相手に更なる要求を言い難くする。
ふむ、流石は貞勝だ。さて、未来の腹黒狸はどう返す?
「おお、有難い! では、兵を五千…いや、三千でよい。二年ほど貸してもらえれば、東三河を完全に掌握してみせると約しよう!」
家康は嬉しそうに破顔しながら、そのように言い放つ。
一方、貞勝は渋面から一転、完全な無表情になってしまう。
分かるよ。余りの物言いに、面食らってしまったんだな。演技を忘れる程に。
「それでよいかな、村井殿?」
家康の問い掛けに、貞勝はようやく再起動する。
「あいや! 暫しお待ちを! 流石にそれは過剰な援助かと……!」
「過剰とな? されどその位の援助なくば当家は立ち行かぬ。……村井殿は当家の窮状を、いまいち理解しておられぬようだ」
「ッ!」
貞勝が思わずといった具合に歯噛みする。まあね、仕方ない。
家康も図々しい要求をするものだ。
そして性質が悪いのは、松平の窮状が嘘ではないこと。
東三河の諸勢力が、今川と合力して松平を攻めれば、松平は存亡の危機に立たされかねない。
そのくらい、状況はよろしくないのだ。
ったく、普通は自分の弱みを隠そうとするだろうに、隠すどころか、それを交渉の武器に変えてくる。
なるほどね。将来のそれに比べれば、まだまだ可愛いものだろうが。
ふん、狸の片鱗が見え隠れしているぞ。細マッチョの癖に。
さて、ではどうするか? 決まっている。あまり面白くはないが、貞勝に助け船を出してやろう。
そも、このまま家康と貞勝の二人だけに話させては、俺の立場が無い。
交渉の主導権を握る為に、今こそが前に出ていくべき時!
「畏れながら、手前にも発言をお許し頂きたく!」
貞勝がじろりと横目で睨みつけてくる。
余計なことはするな、そういうことだろう。が、聞いてやる義理はない。
「ふむ。そなたは何者か?」
「手前、尾張商人大山源吉と申します」
「商人……」
俺の名乗りに、家康がそのように呟く。
「蔵人佐様の申し出はやはり、余りに過剰であるかと」
「ふむ。が、村井殿に申した通り、その位の援助なくば立ち行かぬ」
「御言葉ですが、何も軍事援助は兵を出すだけにありませぬ。……上総介様より、新農具を使った他領への謀略、そしてブランド創設による矢銭の確保。これらについての、事前の申し出があったと思いまするが……」
俺の確認に、家康は一つ頷く。
「確かに、上総介殿よりの書状に、そのようなことが書かれていた」
「なれば御理解できましょう? 謀略により他領を弱体化させる。矢銭の確保により、蔵人佐様ご自身の軍団を強化できる。これも立派な軍事援助かと」
「うむ。だが、それは上手くいったとすればの話であろう?」
家康が懐疑的な視線を向けてくる。
「余りに斬新な試みに過ぎる。新たな試みは上手くいけば旨みも大きいが……。失敗する公算も高く、その上、失敗した時の痛手も大きい」
「それは……」
「とてもではないが、当家が今すべきことでない。大山とやら、新たな試みというものはな。まずは他人にさせて、それで上手くいくようなら、初めて真似すれば良いのじゃ。それが利口な振る舞いというものよ」
ッ~~! これだから三河人は!
三河人の気質として、慎重に過ぎるきらいがある。
それを表すものとして、三河商人を評するこんな言葉がある。
曰く、『三河商人は石橋叩いても渡らず、他人を先に渡らせる』と。
くそ、どう言い返す!? 口籠ったその瞬間に、別の声が割って入る。
「これは異なこと。自らの窮状を悟りながらも、慎重策に拘泥しようとは! 蔵人佐様はほんに自らの状況を御理解されておられるのか? いや、苦しいというのは偽りで、実は余裕があられるのでは?」
「何と言った、村井殿……」
割って入った声は、貞勝のものであった。
家康は低い声音で呟きながら、貞勝を睨みつける。
されど、貞勝の顔は涼しいままだ。
「状況を理解されておられるのか、そう申しました。窮状に立っているはご自身であられるのに、自らは危険も冒さず、織田に頼り切る。如何なものでしょうや? これのどこが対等な同盟か! それとも松平は、織田の傘下にお下りになられるのか!?」
「なっ!」
貞勝はそのように喝破する。
家康は見る見る内に、その表情を紅潮させた。
おい、貞勝さんよ! ちょっと言い過ぎじゃないか!?
それに俺のフォローはしないって……。いや、違うな。交渉が上手くいっていなかったのは、貞勝も同じこと。
だから、流れを読んで、事態を打開するために俺を利用しようというわけだ。
当初の方針に拘泥しない。使えるモノは何でも使う。
なるほど、これが長年信長の側近を務めることになる男か。
家康はふー、ふーと息を吐きながらも、何とか怒鳴り散らすのを堪える。
貞勝は深く頭を下げた。
「言葉が過ぎました。非礼をお許し下さい。が、唯今の言は両家のことを思えばこそ。どうか、御理解下さい」
「…………相分かった」
まだ怒り収まらぬようだが、家康はなんとかその言葉を絞り出す。
思えば、この同盟を結べねば、家康も困るのだ。いや、家康の方が困るのだ。
怒り狂って、交渉を破談させるわけにもいくまい。
……だからといって、貞勝の言は大胆に過ぎるが。
顔を上げた貞勝は、再度口を開く。
「それに、大山の提言は確かに危険を孕みますが、それに見合う旨みがありまする。……大山も人が悪い。肝心要のことを伏せるとは」
「ほう……」
家康が興味深げに俺の顔を見る。
貞勝が何か言えと言わんばかりに、流し目を寄こす。
……貞勝さんよ。俺たち何も事前打ち合わせしていないよね?
何、そのキラーパス!? 俺が受けられなかったらどうする気だよ!
いや、何が何でも受けるけどな!
そして幸いなことに、奥の手を一つ隠し持ってもいるが!
ああ、しかし心臓に悪い! 糞ったれめ!
「……蔵人佐様、聞き及ぶところによれば、東からの余所者に、三河商人たちは度々煮え湯を飲まされているとか」
「何の話だ?」
「駿河の御用商人、友野氏のことです」
「…………」
駿河、つまりは、今川の御用商人である友野氏。
友野は、駿河国における木綿商人たちの親玉である。
今川より、駿河国中の木綿商人を牛耳るに足る特権を与えられ、その見返りに今川へと奉公している御用商人。
将来的には、徳川の御用商人にもなるのだが……。
この時点では、敵である今川の御用商人であり、今川に利する存在だ。
そして、友野の息のかかった木綿商人たちは、国内のみならず国境を越えて、商魂逞しく商売に勤しんでいる。
無論、西に隣接する三河の市場も荒らしに来るわけだ。そういった意味でも、やはり敵対者と言える存在。
「友野の商いといえば、綿織物に御座います。そして、上総介様が御提案になるブランド、その品目もまた、綿織物。……もうお分かりですね?」
「……新たなる舞蘭度で、綿織物で、商売敵を打倒すると?」
俺は無言で首肯する。
家康は暫し黙考する。そうして、口を開いた。
「……そう狙い通りにいくのか?」
家康の呟きに、俺は頷いて見せる。
「我らのブランドの強みは、一定以上の品質を保ちながらも、大量かつ安価に卸せることです。……蔵人佐様、同程度の品質の商品で、片やべらぼうに高く、片やそこそこ高い程度、どちらが売れるかは明白というものでしょう?」
本当はそこそこどころか、従来の金額を考えれば、『安い』と評するに足る価格すら実現できよう。
が、自ら値段を崩しすぎるのも馬鹿な話。なれば、明らかな差があると、それを示せればいい。
俺の描くブランド計画なら、それが可能な筈。
日の本最大の綿花生産量を誇る三河。その生産量を更に増産する。尾張農家の家内制手工業によりまとめて綿布に。最後に工場の仕上げで高い品質を保証する。
大量生産のメリットは、より安価な価格を実現すること。そして、品質面でのデメリットは、工場制手工業で可能な限り抑制する。
そして止めは、織田、松平の名がブランドに与える名声。
この時代を先取った綿織物を前に、どうして、旧来然とした綿織物が太刀打ちできる道理があろうか?
「必ずや、友野の綿織物は市場より一掃されましょう。我らがそれを為すのです」
「……さようなまでに、上手くいくのか?」
半信半疑といった声音で、家康が問い掛けてくる。
「はい。いずれ、綿織物といえば尾張、三河、そう言われる日が必ずや来ます」
家康はその未来をイメージするためか目を瞑る。
「……もしそれがなれば、我らは巨利を得て、友野は大痛手を喰らうことになろうな」
「はい。そしてそれは、今川の懐事情への打撃となりまする」
これまで今川に大いに利してきた、今川子飼いの御用商人。これの商売が不調となれば、今川への打撃は計り知れない。
そも、日本版ラダイト運動の打撃も受ける筈なのだ。
果たして今川は、この二重苦に耐え切れようか? 厳しいだろう。少なくとも、弱体化は免れまい。
「如何でしょうか、蔵人佐様?」
俺の問い掛けに、家康は目を瞑ったままだ。一秒、二秒、三秒……。
やがて家康は目を開く。
「……当家が危険を冒さぬは、確かに虫の良い話であった。そして、大山の言も得心いった。相分かった。村井殿、大山双方の意見を聞き入れよう」
俺と貞勝は、その家康の言を受けて深く平伏して見せた。
あーあ、出来れば、最後の策は使いたくなかった。
段階を踏みたかった。攻撃的な商売は、まだ控えたかったのに。
これで早々に、駿河商人との仁義なき商戦の狼煙が上がる。上がってしまう。
畜生め! 俺は内心で口汚く罵ってみせる。
果たして、俺たちはその戦いに勝利できるのだろうか?
俺の背中に冷たい汗が一筋、流れていったのだった。
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