於藤(後)

 ――『ぎょろ目於藤様の津島巡り』。

 それは、四年ほど前から、於藤が度々繰り返してきた悪癖である。


 ただ、悪癖といっても、津島の商家を順繰り覗いていくだけなので、別に本当に悪さをしているわけではない。

 勿論、良家の子女としては、大変好ましくない行動ではあったが。


 この物見遊山、初めの頃はまだ十歳ということもあり、お付きを何人か伴なっていたのだが……。

 ここ一年程は、たった一人で津島中を散策していた。


 全く以って、物騒極まりないことだが、意外とこれまで問題は起きてない。


 それというのも、於藤に、常に大通りを歩く。入り組んだ所、人気のない所には立ち寄らない、という分別があったこと。

 何より大通りなら、於藤を見守る目が、そこかしこにあったからである。

 そう、於藤を見守る、津島商人たちの目が。


 おおむね、津島の商人たちは、於藤のことを好ましく思っていた。


 於藤が津島中の店々に顔を出す度、商人たちは仕事の手を止め、対応せざるを得ない。

 それは、それは、面倒なことではあった。


 しかし子供が、それも津島一の姫君が、目を輝かせて自分の仕事に関してあれこれと尋ねてくるのだ。

 大概の人間は、悪い気がしないものである。中には、仕事など忘れ果てて、あることないこと自慢げに、この姫君に語って見せる商人もいた。


 だから、この悪癖に関しても、津島商人たちは好ましく見守っているのだ。


 ああでも、最近では、この物見遊山を恐れる商人も出てきた。

 それは於藤がこの四年で、油断ならぬ知識を身に付けてきていたので。


 銭儲けに勤しむ商人たち。

 彼らの全てが、常に清廉潔白な商いができているだろうか?


 答えは、当然否である。

 商人なら、探られたくない腹の一つや二つはあるもの。


 そして、下手な見習い小僧より、よっぽど商売に詳しくなってしまった於藤。

 その妙に鋭くなった視線で、店のあれこれを見物して回るわけだ。


 津島商人たちの肝が冷える様が、察せられるというものだろう。


 なにせ於藤ときたら、その世間擦れしていない純真さを以て、悪事を見つければ見咎めずにはいられないのだ。

 彼女に、拙いところを見つけられた商人は一様にこう嘆く。


 ――誰が、このお姫様に、余計な入れ知恵をしたのか、と。


 それが、自分たち自身が行ったことだと、棚上げした上での嘆きであった。


 そう例えば、こんな風に……。



「こんにちは、東屋さん」


 東屋の店頭に、紅緋色の長着を着た於藤がふらりと顔を出す。


「これは、これは! 於藤様!」


 津島の米問屋である東屋の主人は、その背中に冷や汗をかいた。

 よりによって、この時分に来るか! そう心中で嘆いた。

 東屋にとっては、大層都合の悪いタイミングであった。


「早速だけど、一つ聞いてもいいかしら?」

「……はい。何なりと」


 東屋の主人は聞かれずとも、於藤が何を言うか既に分かってはいたのだが。

 しかし、それ以外に何と返事ができるというのか。


「お米の値段だけど、どうしてこんなに高いのかしら?」

「それは……。昨今の致し方ない事情がありまして」


 東屋の主人は、頬にまで流れ出した汗を、手拭で拭いながら答える。


 昨今の事情? と、暫し小首を傾げる於藤であったが、東屋の主人がその答えを口にする前に、ああ! と、納得したように頷いて見せる。


「なるほど、織田様の美濃攻めですね?」

「はい。左様です。織田様が大量の兵糧米をお買い上げなさり、米が不足がちなのです。それで、どうしても値が上がってしまうのです」

「それならば、仕方ありませんね」


 於藤がこくりと頷く。

 東屋の主人は、乗り切ったと、内心安堵したのだが……。


「でも、どんな理由であれ、これが最高値だと思うの。もう、これ以上の値上げはなされないわよね、東屋さん?」

「それは……はい、勿論」

「本当ですね? また後日、家人に東屋さんを訪ねさせますよ?」


 於藤は、父親譲りの大きな目で、じっと東屋の主人を見上げる。


「さ、左様ですか。……はい、値上げはしません」


 その一言を聞いて、於藤は花が咲いたような満面の笑みを浮かべる。


「そうですか! 安心しました! では、私はこれで」


 於藤はそう言って踵を返すと、とてとてと東屋を後にする。

 その後ろ姿を見送った東屋の主人は、がっくしと項垂れた。


 こうしてまた一人、犠牲者を生み出した、『ぎょろ目於藤様の津島巡り』。

 されどまだまだ、この物見遊山は終わらない。


 そう、後半日近い刻限が残されているのであった。



****



 むう、少し小腹が空いてきましたね。


 私は、お腹を押えながら、そんなことを思う。

 何か、買い食いをしましょうか。


 そこで脳内に、津島の地図を思い浮かべる。

 歩き慣れた津島の地理だ。どの店がどこにあるかなど、当然記憶している。

 ここから近いのは……。


 うん、平治爺やのお団子屋さんに決定ね。うん、うん。


 団子、お団子ーっと、頭の中が煩悩で埋め尽くされる。

 私は小走りで通りを抜けると、ほどなくして目的の団子屋に到着する。


「平治爺や、於藤はお団子を所望よ」

「おやおや、於藤様。ええ、直ぐに御用意致しましょう」


 初めて会った頃より、ずいぶんと皺が深くなってしまった、平治爺や。

 しかし昔と変わらぬ、人好きのする笑みを浮かべると、店の中へ引っ込んでいく。


 私は店頭に置かれた長椅子に腰掛ける。


 丁度良い時分に店を訪れたようだ。

 私以外、平治爺やの店に客はいない。これなら、直ぐに注文した団子がやってくることだろう。


 そう思っていると、店の中から団子を焼く匂いが漂ってくる。

 鼻腔を擽る、食欲をかき立てる匂いに、うきうきしてくる。

 少しはしたないとは思うが、足をぶらぶらと揺らした。


「お待たせしました、於藤様」


 そんな声と同時に、平治爺やが店頭へと再び顔を出す。

 私は合切袋から小銭袋を取り出そうとする。


 それを見てとった平治爺やが、私の行動を押し止めるように手を掲げた。


「於藤様、お代は受け取れません」

「ん? どういうことなの?」


 私は訝しげに問い返す。


「些少ながら、お祝いです。そう、お輿入れの。今日は爺やに、是非奢らせて下さい、於藤様」

「まあ……」


 ここで固辞するのも如何なものかと思い、私は銭袋を仕舞う。

 平治爺やが焼いてくれた団子を有難く頂くことにした。


 平治爺やは私の傍に立ちながら、私が団子を食べる様子を眺める。

 そして、しみじみと呟く。


「於藤様が、お輿入れですか……。いやはや、早いものです。ふむ、於藤様は、おいくつになられたのでしたかな?」

「十四よ」

「十四ですか。それは、宜しいことで。私の娘などは嫁ぎ遅れで、十九まで嫁に行けなかったのですよ」

「そうなの……」


 おお、そういえば、と平治爺やは声を上げる。


「昔、於藤様がお小さい頃、私はきっと嫁ぎ遅れるのだと言って、お泣きになっていたことがありましたなあ。爺やは、於藤様は気性の良い御方だから、そんなことはない。そう言いましたが。どうです? 爺やの言う通りになったでしょう?」

「そうね……」


 平治爺やは、うんうんと頷く。


「しかし、おめでたいことではありますが。寂しくなってしまいますなあ……」

「……爺や」

「はい?」

「寂しがる必要はないかも。ひょっとすると、直ぐに津島に出戻りになるかもしれないから」

「な、何を仰る、於藤様!?」


 平治爺やが、私の返しに驚嘆する。


「そんなに驚くことかしら? 出戻りの理由、そんなもの、私の顔にはっきりあるじゃない? そう、この父上譲りの『ぎょろ目』が」


 ――『ぎょろ目』の於藤様。

 気立ての良い姫君。目を閉じた姿は、御母上くらの方に似て大層麗しい。

 されど、残念ながら開かれた眼は、御父上そっくりだ。


 私に良くしてくれている津島の者たちすら、私をそう評す。


 なれば、織田様に押し付けられる形で、私の旦那となる殿方が、どのように思われるかなど、想像するに容易い。


「於藤様……」


 平治爺やが、難しい顔をしながら首を横に振るう。


「於藤様のお目は、確かに麗しいとは言えぬかもしれません。されど、於藤様はそれ以外に良いところが沢山お有りになります。於藤様の旦那様となられる御方も、きっと分かって下さるでしょう」

「そうかしら?」

「そうですとも。それに……」

「それに?」


 私は、平治爺やの言葉の続きを、小首を傾げることで促す。

 受けて、平治爺やが、にかっと笑いながら口を開く。


「もしも、於藤様の旦那が、於藤様の良いところに気付かぬような輩で、あまつさえ破談などしようものならば、その時は、爺や始め、津島商人悉く、熱田まで討ち入りに参りましょう。大山某とやらを、後悔させてやりまする」

「ふふふ、それはいいわね」


 私は思わず笑い声を漏らしてしまう。

 そうして、平治爺やと笑い合っていると、不意に影が差す。


「破談に、討ち入り、ずいぶんと物騒かつ、楽しげな会話をされていますね」


 私は声の主を仰ぎ見る。


 若い殿方だ。少し線の細い、すっと長身の殿方。

 ふと、思う。今話題にしていた、私の旦那となる殿方は、この殿方と似通った体型だったな、と。


「隣をよろしいでしょうか?」


 殿方は、手振りで長椅子を指し示す。


「ええ、どうぞ」


 私はすっと、少し横にずれる。殿方は、私の横に腰掛けた。


「店主、俺にも団子を頼む」

「はいよ」


 平治爺やが注文を受けて、店の中に入っていく。

 私は無言で、団子を口に運ぶ。


「お嬢さん、先程の話を詳しく聞いても? 破談云々というからには、これから嫁入りなのかな? なんでまた、嫁入り前に、破談だの、討ち入りなど、物騒な未来を話し合っていたのです?」


 ――お嬢さん、という呼び掛けに引っ掛かる。


 津島の人間で、私の顔を知らぬ者は少ない。

 知らぬでも、この特徴的な目から、すぐに誰かを察するものだ。


 それをお嬢さんと呼ぶからには、津島の人間ではないのだろう。

 旅の者かしら? それなら話しても、後腐れないかしら?


「破談云々というのは、私の容貌からくる当然の懸念です」

「容貌?」

「ええ。私の目を見れば、一目瞭然でしょう?」

「目? その大きな……」

「ええ、大きな」

「愛らしい目のことですか?」

「は……?」


 私はあんぐりと口を開ける。

 そして閉じる。はしたない、はしたない。いや、それより……。


「正気ですか?」

「ん。別に気が狂ってやしませんが」

「なら、お目がお悪い?」

「いいや。生来、目はよく見える」

「……つまり、からかっているんですか?」


 私は声を低くする。じっと殿方を睨み付けた。

 彼は肩を竦めてみせる。


「美醜の好みなど、人それぞれでしょう。俺がお嬢さんの目を愛らしいと思うのは、俺の勝手だと思うのだけど、違いますか?」

「違いませんけど……」


 私は言葉を濁しながら、ふと、ある言葉を思い出す。


「蓼喰う虫も好き好き、そういうことですね」

「……自分の容姿のことなのに、酷い言いようだな。君は、ずいぶんと変わったお嬢さんですね」

「いや、貴方にだけは言われたくありませんが」


 私は憮然と言い放つ。

 殿方は、くくっと含み笑いした。


「なら、変人同士仲良くしましょう。お嬢さんのお名前は?」

「私は、藤と申します。貴方は?」

「源吉という」

「えっ!?」


 私は、思わず驚きの声を上げる。


「どうかしましたか?」

「……いえ、私の旦那となる方と、同じお名前だったので」

「へえ。それは、奇遇ですね」


 そう返すと、源吉と名乗った殿方は、楽しげに言う。


「ふむ。ならば、同じ名の誼というか、奇遇ついでに、ひょっとすると、その某源吉殿という、藤さんの旦那となられる方も、俺と同じ感性の持主かもしれないね」

「そんなわけないでしょう」


 私は、ばっさりと妄言を切り捨てる。


「そうか。まあ、それでも構わないでしょう」

「何が構わないのです?」


 一体何が構わないのだと、私は疑問を口にする。


「いや、誰にしろ、欠点の一つや二つあるものだ。その癖に、自分のことは棚に上げて、藤さんの目をあげつらい、何か言ってくるようなら、藤さんも言い返せばいい」

「言い返す?」

「そう。例えば、その某源吉殿の鼻がひん曲がっているなら、そんなひん曲がった鼻をして、よく私の目のことを言えたものだな、と」

「あるいは、そんな痩せぎすの体でよく言いますね、とかですか?」

「……それは、俺の体を見て言ったのか?」


 殿方は、初めて憮然とした表情をされる。

 私は思わず吹き出してしまった。


「ははは! いいですね、きっとそう言い返しましょう」


 私はそう言うと、最後の団子を口の中に放り込む。

 そうして立ち上がった。


「私はもう行きます。相談にのって頂き、ありがとうございました」

「役に立てたのなら、良かった」


 私は殿方に軽く会釈すると、店の奥の平治爺やに声を掛ける。


「爺や、ごちそうさまでした!」


 私は踵を返すと、軽やかに走り出す。

 ここ最近、蟠っていた気鬱が、少し晴れたような心地であった。


「さあて、もう少し見て回りましょうか!」




 於藤は勢い良く、津島の街並みを回っていく。


 於藤の祝言まで後一週間。そして――

 彼女が、旦那となる男の顔を見て、驚きの声を上げるまで、後一週間。

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