用心棒

 大山家の庭がいつになく活気に満ちていた。家人以外の者が何人も見受けられる。普段との違いは、人が多いだけではない。

 庭にはいくつもの巻藁が等間隔に立てられている。それらの後ろには、同様の巻藁が更に多数横にされていた。

 等間隔に立つ巻藁と相対するように、人の列が出来ている。


 列の先頭の男たちは巻藁の前に進み出ると、手に持つ刀を上段から振り下ろす。あるいは、水平にした刀を真一文字に切り払う者もいる。  

 ただまあ、概ね上段からの斬り下ろしであった。

 俺は縁側の奥から目を凝らして、彼らの動きを注視する。


 友野にリベンジを誓ったものの、奴の息の根を止めるような必殺の一手をすぐに打てるわけもなし。

 そのため、まずはこちらの防備を固めようというわけだ。


 具体的に言えば、俺の身辺警護と防諜の強化である。

 後者は中々難しい。防諜はもとより、逆に敵の情報を盗む、そんな情報戦のエキスパートたちを揃えた諜報機関を組織したいものだが……。

 これもまた、一朝一夕ではいかぬもの。

 育てずに、何処ぞから雇うという考えもあるが。取り敢えずその案は保留中である。


 ということで、まずは俺の護衛要員の採用をと。そういうわけだ。


 命あっての物種。ケチらず割高の俸給で求人を募った。その甲斐あって、少なくない人数が当家の門を叩いてきた。

 今は採用試験の真っ最中というわけである。


 もしも刺客が紛れ込んでいたら。その危険性を考慮し、俺は縁側の奥から遠目に庭の様子を見やる。

 俺がいる場所と庭の間には、狼藉者が現れたら遮らんと、ウチの若衆が詰めている。……余計見辛い。

 見辛いので、目を細めて身を乗り出すようにしながら庭先を眺めていた。


 次から次に、巻藁を切り捨てる男たち。中には失敗する者もある。

 失敗すれば、それはそれで一目瞭然であるが……。

 見事藁を斬って見せた者の中でも、その動きで何となく上下が見て取れる。


 素人目に見ても分かるというのは、やはり腕の立つ者の動きは綺麗に映るのだ。

 これは武芸に限るまい。洗練された動きには自然と美が宿るものである。


 欲しいのは達人だ。質を重んじるか、量を重んじるか。俺の場合は前者を選ばざるを得ない。

 というのも、質を量でカバーというわけにはいかないのだ。

 そう、まさか大名行列よろしく、ぞろぞろと護衛を連れ歩くわけにもいくまい。

 悪目立ちし過ぎるし、一介の商人風情が何様だと顰蹙を買うだろう。

 故に欲するのは、少数精鋭である。


「次の者!」


 家人の呼びかけに、一人の男が進み出る。

 俺は、いや、この場の誰もがその男へと視線を釘付けにされた。


 ぼさぼさの髪、やや瘦せこけた頬に無精ひげ。身にまとう衣服はボロボロだ。余りにみすぼらしい格好をしている。

 だが侮ることはできない。その立ち姿だけで只者ではないと直感、いいや、確信する。

 

 というのも、格好とは正反対に立ち居振る舞いが見事なのだ。細やかな所作までが美しい。


 他の者もまた只者ではないと感じたようで、固唾を飲んでこの男の一挙手一投足に注視している。まだ、刀を抜いてすらいないにも関わらずだ。


 巻藁の前に立つと、男は腰に差した刀に手を伸ばす。

 そうして、流麗という言葉がこれ以上なく相応しい動きですーっと刀を抜く。

 抜かれた刀身の煌めきは、男のみすぼらしい格好とはちぐはぐだ。中々の業物と見受けられる。……なるほど、刀は武士の魂。そういうわけだ。


 ひゅっと持ち上げられる刀身。上段の構えでピタリと止まる。ふと瞬きした直後には、刀身は既に振り下ろされた後であった。

 当然の如く、巻藁は見事に両断されている。


「すさまじい達人だな。彼をこちらに呼べ」


 そう言って俺は立ち上がると、縁側へと歩み出ようとする。


「あっ、二代目お待ちください! 危険です!」


 番頭の彦次郎が制止の声を上げる。


「彼がその気になれば、ウチの若衆を切り捨て俺に迫るなど容易い事さ。奥に引っ込んでいても結末は変わるまい」


 俺はそう言って、彦次郎の制止を振り切る。


 果たして、家人の誘導で縁側の傍まで寄った浪人風の男と相対する。

 俺は縁側の上に立っているので、男を見下ろす形となった。


「見事な腕前でした。名をお聞きしても?」

「……権兵衛と申します」


 男はボソリと呟くように名乗る。


「権兵衛殿? 家名をお伺いしても?」

「ありませぬ。ただ、権兵衛とだけ」


 ウチの若衆たちが色めき立つ。まあ、仕方あるまい。傍目に見て胡散臭い事この上ない。

 まさか、リアル名無しの権兵衛と出会う機会があるとはね。


「なるほど……分かりました。権兵衛殿を当家で雇わせて……」

「二代目!」

「……何だ、彦次郎?」

「何だではありません! その権兵衛なる者、確かに腕は立つようですが。余りに素性が知れません。そうも容易く召し抱えるは危険です!」

「ああ、権兵衛殿には誠に失礼を申し上げるが。彼は確かに、風体といい名乗りといい如何にも怪しげだ。彦次郎、お前が案ずるのも無理はない」


 我が意を得たりとばかりに、彦次郎が身を乗り出す。だが、彦次郎が口を開く前に機先を制する。


「が、よく考えてみろ。普通、刺客や間者なら、出来る限り怪しまれぬよう気を配るものだろう。権兵衛殿が刺客なのだとしたら、何ともお粗末じゃないか」

「それは……」


 彦次郎が口籠る。俺は彦次郎の顔から視線を切ると、再度権兵衛の方に向き直る。


「権兵衛殿、ウチの家人と何より私自身が大変失礼なことを口にしました。何卒、ご容赦を」

「いや……」


 権兵衛はボソボソと何やら呟く。大方、気にしていない、とでも言ったのだろう。

 俺は一つ頷くと、口を開く。


「当家で権兵衛殿を雇います。いえ、是非雇わせて頂きたい。報酬は事前に明示していた三倍の銭を払いましょう。出来れば、長いお付き合いになればと思います」


 そう言って、俺は軽く頭を下げる。

 その様子を見ていた周囲から、『三倍!』と驚きの声が上がる。

 俺が頭を上げて権兵衛の顔を見ると、ずいぶん当惑した顔付きであったが、暫くしておずおずと頭を下げたのだった。


 この日の一件は、採用試験に来ていた者たちの口から方々に伝わった。

 その結果として、当初の目論見は上手いこと叶うことになった。


 多少腕が立つとはいえ、胡散臭い男が高い俸給で雇われるのだ。

では、自分ならどれほどの好待遇で迎え入れられるだろうか? と、自らの腕に頼む者たちが、次から次に大山家の門を叩くこととなったのである。




 縁側で於藤と二人並んで腰かける。

 庭の端に、先日雇った男の一人が黙って控えている。その男を見やりながら於藤が口を開いた。


「優秀な用心棒を数名雇えてよう御座いました。……全ては旦那様の目論見通りですか。お見事な手前でしたね」

「うーん、俺の発想ならともかく、そういうわけでもないからね。褒められても挨拶に困るな。……古人曰く『隗より始めよ』。そういうことだね」


 実は落ちぶれた浪人風の男は、織田家中の侍であった。信長の馬廻りに選抜されるほどの凄腕である。

 芝居のために貸し与えてくれたのは、先日の有松で起きた騒動、その不始末の詫びだそうだ。


「織田様に感謝せねばなりませんね」

「そうだね。御礼の文でも差し上げようか」

「それがよろしいかと。……文末に藤の言葉も添えて頂ければ幸いです」

「そのようにしよう」


 俺は於藤の言葉に頷く。


 さて、何とか望みの護衛は集められた。

 少なくとも、自身の身を守るという意味では、最低限の防衛体制は整ったわけだ。


 しかし、防諜対策はなあ……。信長に進言してはいるが、はてさてどうしたものか。

 鼠の洗い出しにも手間取っているようだし。やはり、一朝一夕ではいかぬものか。

 なればいっそのこと……。


「旦那様、また悪巧みですか?」


 於藤の言葉に、俺は肩を竦めて見せる。


「人聞きの悪いことを言わないでくれ。清廉潔白を地で行くが商人。その鑑のような俺が、悪巧みなどするわけもなかろう」


 清廉潔白な商人など、日の本はおろか唐天竺まで見回してもいるわけがない。

 俺の戯言に、於藤ははあと溜息を吐く。


「策士策に溺れるの言葉もあります。墓穴を掘らぬよう、ほどほどになさいませ」

「相分かった」


 策士策に溺れる、か。策を弄するは、友野も同じ。やはりその筋が反攻の道筋足り得るか。



 俺は反攻の糸口を見出そうと、庭先を眺めながら思索したのであった。

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