人形劇の操者
尾張に名だたる大商人たち。信長と共に飛翔することを選び、尚も身代を大きくするであろう男たち。
そんな御用商人たちが一堂に会した。
いや、一人足りないな。山城屋がまだ来ていない。遅刻だろうか?
山城屋がいないが、取り敢えず今回の招集の発起人として挨拶の口上を述べる。
「本日は御多忙の中、お集まり頂き感謝します。早速話を……と言いたいところですが、山城屋さんがまだ到着していないようです。待っている間、皆で歓談といきましょう」
車座に座った男たちが一様に頷く。誰ともなしに話し始めた。
やれ、どこそこの原材料がまたも高騰して弱っているだの。
高木屋の銭払いがどうもおかしい。潰れるのではないか? とばっちりを喰らわぬように手を引いておくべきだ、など。
商人らしい四方山話というか、情報交換というか、そんな話が繰り広げられる。
俺は興味深く耳を傾けていたが、部屋の外から響く足音に気付きそちらに注意を向ける。
いや、俺だけでなく他の面々も足音に気を取られたようであった。
無理もない。近づいて来る足音は余りに荒々しい。
皆口を閉じ、足音の主が現れるのを待った。
バンと、障子を開けて現れたのは、山城屋であった。
手には藍染の着物が握り締められている。
皆が目を丸くして山城屋を見るが、山城屋は挨拶の一つもなくズカズカと部屋の中に踏み入る。
そうして、車座の中心に叩きつけるように握った着物を置いた。
当然のことながら、皆の視線はその藍染の着物に吸い寄せられる。
早速、一人の商人が口を開く。
「何だ、酷い出来だな。この前見せてもらった試作品は、もっと良いものだったはずだが……」
何を抜けたことを、と俺は思う。
いや、無理もないのか。あり得る筈もない事態に、その目を曇らせているのだ。
だが、この中の誰より有松工場に足を運ぶ機会の多い俺には分かった。
これは有松工場で作られたものではない。そう、いわゆるコピー品だ。
コピー品との戦いは、ブランドにとっての宿命と言っても過言ではない。
だから、いずれこの手のコピー品が出回るであろうことは、この場の全員が承知していた。
しかし! しかし、こればかりはあり得て良い筈がない! どうしてこれが……!
「山城屋さん、これを一体何処で?」
「駿河です! 駿河で出回り出した品です!」
ざわりと、場が騒めく。誰もが息を飲み、そして――。
「これが模造品だと言うのですか!?」
「馬鹿な! そんな馬鹿なことが……!?」
「あり得んでしょう! だってこいつは……!」
「何故!? どうやって、まだ日の目を見ていない新作を!?」
一斉に疑問と当惑の叫びが噴き出した。
そう、山城屋が持ち込んだのは、ブランドの二作目のデザインと酷似した品。まだ何処にも出回っていない新作のコピー品であった。
「私も信じられぬ気持ちです。が、現実としてここに模造品がある」
山城屋が険しい声音で呟く。俺は諦観と共にその事実を受け入れた。
「つまり、鼠がいたということですね」
俺の言葉に、場の全員が神妙な顔付きになる。
そうして、お互いの顔を見回した。
「まさか、この中に鼠はいないでしょうが……」
一人がそんな発言をする。
言葉の内容とは裏腹に、その声音は疑念に満ちたものだった。
「と、当然でしょう! この場にいる人間の中で裏切って得する者などいない!」
「では、どこから……」
「我々御用商人でないのなら、有松工場からとしか……」
最後の発言に、一同の視線が俺へと集まる。
「待って下さい。それこそ考え辛い。有松の出入りの厳重さは皆も御承知のはず。それに、先日の一件からは更に……」
そこではたと、気付く。
先日の一件、そう、青木のあの一件。有松工場が唯一侵入者を許したあの……!
「くそったれ!!」
右手で作った拳を床に叩きつける。どんと、大きな音を立てた。
青木は言った。『皆が――』、と。そう、『皆』との会話で焚きつけられたのだ。
そうして、有松工場に押し入った。
この『皆』の中に一人、今川の調略を受けた鼠がいたのではないか?
ブランドに不満を持つ者を集め、彼らの会話の流れを誘導してやる。
難しくはなかったろう。何せ、元々俺に不満を持つ者は多いのだ。誰ぞ馬鹿を一人、妨害行動に走らせるぐらい。
青木は俺が駆け付けるまで、何をしていた?
勝手に工場内を見て回るわ、商品を弄繰り回すわ、していたのではなかったか。
当然、あの時既に工場で生産を始めていた新作を目にしたことだろう。
あるいは、端切れの一枚くらい懐にしまったやもしれぬ。
幽鬼のように立ち去った青木が捕縛されるまで、信長が俺からの通報を受けて動くまで、幾ばくかの時はあったはずだ。
その間に、鼠が再度青木に接触する機会はあったろう。そこで、茫然自失とする青木から、情報を聞き出すくらい造作も無かったに違いない。
ギリっと、俺は歯噛みする。
誰だ、誰だ、誰だ? 鼠は一体誰だ? 死人に口なし、最早青木はこの世にいない。クソ……!
「どうしましたか、浅田屋さん? 何か気付いたことでも?」
その声に、思考の海から浮上する。俺を見る商人たちに向き直った。
「青木宇右衛門です。ご存じでしょう? 有松工場に押し入り処刑された」
俺の言葉に皆無言で頷く。
「青木はどうも、織田家中の者たちに焚きつけられ、有松工場に押し入ったようなのです。本人がそんなことを漏らしていました。……つまり、織田家中に今川の息がかかった鼠がいるのではないでしょうか?」
「それは……」
皆が事の重大さに生唾を飲み込む。
「今川に此度の調略と謀を提案したのは、友野でしょう。……上手い手だ。一手で複数の効果が得られる」
俺は指折り数えていく。まずは一つ。
「有松に押し入った妨害行動。斯様な妨害、誰であれ織田様の怒りを被るは必定。……織田家中を乱そうとしたのでしょうね。事実、柴田佐久間の御両名すら危うく処罰されかねない状況に陥りました」
二つ目の指を折る。
「それに、織田家中の者が実際に罰せられれば、より織田家中と我々商人の中を引き裂けましょう。後の火種になりかねない」
そして三つ目。
「有松工場に押し入れば、あわゆくば内部情報を盗めるやもしれない。事実、これは盗まれてしまった」
俺の言葉を受け、商人の一人が思わずといった具合に口を開く。
「しかし浅田屋さん、それは憶測に過ぎぬでしょう?」
俺は頷く。
「無論、確証の無い憶測です。が、可能性は低くないでしょう。……織田様にご注進し、鼠の発見駆除に取り組んで頂く方がよいかと」
そうだ。鼠がいる可能性があるなら、捜索するしかない。
いなければ、それでいいのだ。多少無駄働きをするだけ。しかし、もしいるのなら野放しにするわけにはいかぬ。
さて、鼠の方は最早、俺たちがどうこうする問題ではない。問題は……。
「こいつはもう使えませんね」
俺は床に投げ出された藍染の着物を手に取ると、そう呟く。
「浅田屋さん、使えないっていうのは?」
「この意匠は使わない。そういうことです」
「そんなっ! 我々の新作の方が、こんな紛い物よりずっと……!」
俺は無言で首を左右に振る。
最先端の流行を発信すべきブランドが、他者の風下に立つわけにはいかない。
例え品質が上でも、後出しでは模倣の誹りは免れぬ。それではブランドに傷が付く。
「口惜しいですが、新たな意匠に着手すべきです。二作目に割いた手間や銭は失われますが……。ブランドそのものに傷が付くよりはマシでしょう」
先程思わず反論した商人は、がっくりと肩を落とす。
場にお通夜のような空気が流れる。今ばかりは誰も空元気すら出せない。
そうか。後ろで糸を引いていたのか。友野、友野宗善。
やられたよ。今回は完敗だ。
否応なしに、かの男の実力を思い知る。
その大商人の大身が作る影は濃く強く、思わず怯みそうになる。だが……。
ああ、お前の実力は認めよう。俺如きではお前に及ばないのかもしれない。
だが、悪いな。俺は負けたまま引き下がれるような、大人しい男ではない。
必ずこの落とし前はつけてやる。
俺は、友野宗善へのリベンジを誓ったのだった。
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