気付けぬ一手
立ち尽くす職人たち。その眼には、理不尽さに対する怯えと怒りが綯交ぜになった色が滲む。
被支配者の目だ。彼らが傲慢にして暴虐なる支配者に向ける目だ。
遠巻きに立つ職人の中心に、その視線を一身に浴びる男がいた。腰に大小を差し、居丈高な態度を取るその姿。
あれが、青木某に違いあるまい。
足を速める。
俺と弥助が現れたのに気付き、職人たちの視線が一斉に俺たちに向けられる。
縋るような目だ。ほとほと、困り果てていたと見える。
増々、心中の熱が燃え上がらんばかりに高まるのを感じた。
職人たちの様子に、青木某もこちらに気付いたようだ。
振り向き、その視線をこちらに投げかけてくる。
「何だ、血相を変えて。何か言いたいことでもあるのか?」
せせら笑うような声音。何も言えまい。言えるものなら言ってみろ。そう言外に告げる傲慢さ。
いいだろう言ってやる。武家がどうした。
はん! 青木某、史に名を刻めぬ小者が何するものぞ! ああ、自らの愚かしさをこれでもかと思い知らせてやる。
「手前、この工場の責任者、大山源吉と申します」
「ほう。お主が大山か。名は聞いておる」
「左様ですか。……ですが、恐れながら手前は貴方様の御名前を存じ上げません」
青木某の眉がぴくぴくと二度痙攣する。
格上である自分が格下の名を知っているのに。その逆は知らないというのだ。
いたく、自尊心を傷付けられたことだろう。
「……私は、青木宇右衛門というものだ」
そう、青木某改め青木宇右衛門は苛立たしげに名乗りを上げる。
「左様で。して、青木様、本日はどのような御用向きで?」
俺の問い掛けに、青木は鷹揚に頷く。
「なに。近頃評判の『新有松織』とやらを拝みに来たのよ。物見遊山じゃ。大山は私のことを気にせんでもよいぞ。商人は商人らしく、卑しく銭の枚数でも数えておればどうかな?」
「ははあ、なるほど物見遊山。それは結構なことで。しかし青木様は、まだお若いのに大したものだ」
「どういう意味じゃ?」
「いえ。そのような御用向きで、織田様よりこの有松への立ち入りを許されるのです。さぞや、織田様の覚えめでたい御仁なのでしょうな」
「………………」
「おや、如何なされましたか?」
俺は口を閉ざした青木に、追い打ちのように問い掛ける。
「……百姓が針子仕事をしているだけの場に大層な。私一人見物して回るに、何の不都合がある?」
「なるほど、確かに不都合はないやもしれませぬ。しかし、それを決めるは手前に非ず。織田様なれば。織田様が許さぬ以上、手前は如何なる便宜も図るわけにはまいりませぬ」
信長の名を二度も出されて、青木の目が一瞬泳ぐ。
次いで、苛立たしげに舌打ちした。
「お主が口を噤めば済む話じゃ! そうせよと言えば、そうせい!」
まるで物分かりが悪い童に叱りつけるような口調だが、まあ何とも道理に合わぬことを平然とのたまうものだ。
「なりませぬ。織田様の厳命なれば」
三度、信長の名を前面に押し出す。さしもの青木もたじろいだ。
馬鹿め、真っ正直に商人が立ち向かってくると思ったか?
俺らは誇り高い武士ではないからな。一対一の戦いに、第三者を引っ張ってくるくらい平気の平佐だ。
虎の威を借るも、恥とは思わぬ。
「な、何もそうまで頑なになるものでもあるまい! お主が目溢しすれば、それで済む話じゃろうが!」
「はて、目溢し? そんな道理に背く行為、手前にはとてもとても」
とぼけたような俺の言葉に、青木は激昂する。
「たわけたことを! お主ら商人は、常に公家や我ら武家に擦り寄る生き物であろうが!」
全く知性を感じさせぬ遣り取りだ。聞くに堪えないな。
俺はぎらりと、青木の目を真っ直ぐ睨む。その眼光で下らぬ言を黙らせた。
「……否定はしない。俺ら商人は、力ある者、財持つ者に、揉み手しながら擦り寄るのさ。が、お前はそのどちらでもない。只の小者に擦り寄る商人が何処にいる?」
一瞬何を言われたのか分からなかったのか、青木はきょとんとした顔付になる。
やがて理解が追いついたのか、顔を見る見る赤く染めていく。
「ッ、貴様!」
そう叫ぶや、青木の右手が腰に差す刀の柄を掴む。
「抜きますか?」
「当然じゃ! 無礼であろう、士分を愚弄するなど!」
「やもしれません。ですが、抜くなら御覚悟を。織田様の禁を破り有松に押し入ったばかりか、刃傷沙汰まで犯したとなれば、織田様の耳に入るは必定。ばかりか、厳しい沙汰が下ることでしょう」
「ぐっ、ぬ……」
顔に苦悶の表情を浮かべながら青木は呻く。
「どうしたのです? 抜かぬのですか?」
「ッ! な、何故じゃ? 何故貴様は士分を前に怯まぬ!? 何故こうも抗える!?」
心底分からぬという風情で、青木は声を荒げる。
何故怯まないかだって?
俺は白けた顔で、震えながら刀の柄を握る青木を見やる。
馬鹿が。俺は既に、あの信長に刀を突きつけられた男だぞ。
どうして今更、斯様な脅しに屈することがあろうか?
覚悟が違うんだよ。大望のために、命がけになる覚悟が俺にはある。
「止せ! そのような目で見るな! くっ、私を侮っているのか!? それとも殿の御威光を笠に着て強気なのか!? 調子に乗りおって! 商人風情がそのように増長するから、柴田様や佐久間様の勘気に触れるのだ!」
「柴田様に、佐久間様……」
俺が呆然とした体を装ってその名を呟く。
「ふん! さしもの貴様も、御二方の名には怯むか! 良い気味よ、分かったなら……」
青木の言葉は尻つぼみになる。
俺が表情に喜色を浮かべたからだ。はは、思わず口の端が吊り上ってしまう。
「そうですか。此度の一件は、両名の差し金ですか。それは良い話が聞けました。……きっと、織田様も大変ご興味を持たれるでしょう」
青木は勝ち誇った顔を一転、血色を失った蒼白な顔になる。
「ま、待て、大山……」
「待ちません」
「ち、違う。違うのだ。私がただ、御両名のことを思い勝手に動いたまでで……」
おや? と、俺は内心眉を持ち上げる。
どうも嘘を言っている様に見えない。
ならば、本当に柴田佐久間は関係なく、この青木のスタンドプレーなのか?
いや、関係ないな。
これを武器に利用しない手はない。
仮に連中が真実関与していなくても、連中を弾劾するに十分な武器だ。
そう、部下の監督不行届。その一言だけで、十分責められるに値する。
もうこれ以上、こいつを苛める意味もないな。
「青木様、気が済まれたのならお立ち退きを。今ならまだ、青木様御一人の問題として収められるやもしれませぬぞ」
そんな心にもないことを、俺は囁いてみせた。
「う、あっ……」
青木は刀から手を離すと、両手で頭を抱え込む。そのまま、夢遊病者の如くふらふらと歩み出る。
俺の横を抜ける。その直後、青木がポツリと呟く。
「何故じゃ……。小生意気な商人を脅しつければ、それで万事上手くいくと、皆そう言っていたのに」
「えっ?」
俺は思わず振り返り、幽鬼のような青木の背をまじまじと見詰める。
皆がそう言っていた?
……さしずめ、織田家中の若いのが集まって、俺の不満を言っていた。そういうことだろうか?
ふん。酒の席で、嫌な奴の愚痴を零すくらいなら誰もが目をつぶろう。
だけどな、青木。
お前はやりすぎたし。そも、やり方を間違えたんだ。
悪いが、同情はしない。
俺もな、自分が生き残るだけで手一杯なんだ。だから。
俺は心を鬼にすることを固く決意しながら、青木の背を見送った。
****
熱田にある俺の家に文が届いた。信長からの文である。
先に、青木が起こした騒動の顛末を詳細に書き記した文を、俺は信長に送っていた。
なので、この文はその返事の文に相違なかった。
俺は私室に一人籠るや、その文を広げる。紙面には、美しい文字が並ぶ。
これは、信長が達筆である……というわけではない。
この時代、殿様の文は祐筆と呼ばれる役職にある者が、代筆するのが普通であった。
なので、綺麗な上に、妙に堅苦しい。
読み慣れていなければ逆に読み辛くないか、これ?
まあ、その中身を噛み砕けば下記の通りである。
我が家中にそのような愚か者がいたと聞き、耳を疑うばかりである。
此度迷惑を掛けたことを申し訳なく思う。
禁を破った青木某とやらは、打ち首とするので溜飲を下げて欲しい。
このようなことが二度と起きぬよう家中を引き締めると約そう。
此度は面目の無い不始末ではあったが、家中への良い見せしめにもなろう。
ところで、青木某が柴田権六と佐久間右衛門尉の名を出したのは真であろうか?
真なら、大事である。
されど、右衛門尉はともかくとして、権六がこの一件に関わったというのは、どうも首を傾げざるを得ない。
権六は、大山のような商人を嫌うだろうが、それ以上に曲がったことを毛嫌いする故。
もしも右衛門尉を罰するならば、権六も罰せねば道理が通らぬ。
が、権六を罰するのは気が乗らぬ。
そも、権六のこと抜きにしても、まだ佐久間の家と揉め事を起こすことも出来ぬ。
右衛門尉には腹が据えかねることも多々あるが、されど尾張の名門たる佐久間の力は欠かせぬものだ。
此度はワシから釘を刺すだけに留めようかと思う。
ああされど、青木某の直属の長である久右衛門は蟄居処分とした。
これで、右衛門尉が襟元を正すようなら良いのだが。
最後に、有松の警護は勿論のこと引き締めにかかるが。
大山も身辺に気を付けるようにせよ。曲者の手が、大山に伸びるとも限らぬ故。
何処ぞの禿げ鼠の為に銭を費やす余裕があるのであれば、自身の身辺警護にも銭を使うがよかろう。
……誰からのお手紙かな!? 祐筆さん改竄し過ぎじゃない?
俺は文を手に苦笑いを浮かべる。
というか、秀吉に銭を呉れてやっているのが、バレているな。
まあそんなことより。ふむ、信長の見立てでは柴田は無関係……か。
あの佐久間が関わっているかすら、微妙かもしれない。あの時の青木の様子から察するに。
柴田か佐久間が、日頃からこれ見よがしに俺を疎んじる発言を部下の前で繰り返す。そうすることで、誰ぞが忖度して、勝手に動かぬかと期待していた。
そういう可能性は残るとは思うが……。
唯、去り際の青木の言葉から察するに、これも違う可能性が濃厚か。
青木は『皆が――』と言った。
おそらく『皆』というのは、青木と同程度の立場の人間を指しているかと思われる。
織田家中の上役のみならず、下っ端にも疎まれている。そういうわけか?
いや、むしろ下っ端こそが、俺を恐れているのかもしれない。
重臣連中は疎んじてはいるだろうが、まだ余裕がある。
余裕がないのは下の人間……か。
たかが商人風情に追い抜かれるやも、という危機感。
あるいは事実上既に、俺の方が信長により重用されている、という劣等感。
そのことが彼らの不平不満に繋がる。
彼らが集まった酒の席で、俺を悪し様に罵ることを酒の肴にしている情景が目に浮かぶようだ。
その中の一人が、実際に軽はずみな行動に出た。そういうことなのだろうか?
有り得ない話ではない、と思う。思う。何かが引っかかる気もするが。
例えばそう、不満があったとはいえ、簡単に暴発し過ぎではないか? とか。
考え過ぎだろうか? 青木の有松での愚かしさを見ても、利口な男だったとは思えない。あいつなら、軽はずみな行動に出ても、おかしくはない、か。
似たような馬鹿が、同じく暴発しないか注意しないとな。
今回の一件のお陰と言っては何だが、青木の様な不穏分子も行動を慎重にはするだろう。
が、それは逆に言えば、次なる行動はずっと巧妙なものになるということ。
……信長の言う通り、護衛でも雇った方がよさそうだな。
今度は野盗の仕業にでも装って、俺自身を狙われかねない。……ん?
俺は人の気配を感じて、そちらに視線を向ける。障子に人影が映し出されていた。
今考えていたことがことだけに、体を硬直させてしまう。
「二代目、よろしいでしょうか?」
ほっと、胸を撫で下ろす。
刺客などではない。その声は聞き慣れた番頭の彦次郎のものだった。
「何だ?」
「山城屋さんの店主がお見えです。客間にお通し致しましたが」
「山城屋が? 分かった、直ぐ行く」
山城屋は、かつての矢銭徴課に応じた織物問屋の大店だ。今回のブランド事業にも、その販路の一端を任されている。
信長の文を畳んで文机の中にしまうと、すっと立ち上がる。障子を開けて私室を出ると、渡り廊下を歩いて客間へと向かう。
そうして辿り着いた客間には、心なし渋い顔付きの山城屋がいた。
どうもまた厄介事か。救いは、そこまで大事じゃなさそうなことか。
「山城屋さん、本日はどうされました?」
「浅田屋さん、急に訪ねてすまないね。ただ、急ぎ報告と相談があってね」
「報告と相談……小耳に挟んだところでは、ブランド第一弾の売れ行きは良好と聞いていますが」
「ええ。お陰様で私が任されている販路でも、上々の滑り出しです」
山城屋が任されているのは、東海道を東向きの販路。
三河商人たちと協力しながら販路を拡大している。
売り上げは上々、か。ならば、問題は三河商人との連携だろうか?
山城屋は一つ咳払いすると口を開く。
「ですが、先般見過ごせぬ事案が浮上してきましてな」
山城屋の声は渋い。
「見過ごせぬ事案?」
「ええ。東三河、駿河方面で『新有松織』の悪評が急に出回り始めたのです。『やれ、すぐに生地が破けただの』『刺繍がほつれていただの』『針が残っていて怪我をしただの』、そんな類のものですな」
なるほどね。急に出回り始めた悪評……か。
「急に、ですか。なれば、誰ぞが『新有松織』の評判を落とす為に意図的に流している可能性が大ですね」
「私もそう思います。そしてその首謀者は……」
「「駿河の友野」」
俺たちは互いに頷き合う。
ったく、ネガキャンかよ。常套手といえば常套手だが。何ともせこいことを。
「友野ほどの大商人が、なんとも小手先の技を仕掛けてきたものです。が、笑って見過ごせないのが厭らしい」
「ですね。ブランド事業を揺るがすほどではありませんが、少なからず悪影響を受けるでしょうね」
はあ、と揃って溜息を吐く。
「後手後手に回る前に対処したく思いますが?」
「そうですね。評判が悪くならぬよう、宣伝を強化しますか。差し当たっては、山城屋さんにお任せしても?」
「承知しました」
山城屋が頷くのを見て、俺は次なる懸念を示す。
「妨害はこれだけで終わらぬでしょう。むしろ小手調べ、かな? 友野は必ず次なる手を打ってくるはず」
「同意ですな。浅田屋さん、近く尾張の御用商人たちだけでも集めて、対策を話し合いませんか?」
「そう……ですね。分かりました。私から声掛けしておきましょう」
「お願いします」
軽く頭を下げた山城屋に、俺も頷いて返す。
そして、これで気鬱な話は終わりだと、声の調子を変えて話し出した。
「そういえば、山城屋さん。聞きましたか――」
それからは、毒にも薬にもならぬ雑談を、少しばかり山城屋と交わした。
この時の俺は、余りにも愚かだった。
これまで多くのことが首尾よく進み、慢心していたのだろうか?
あるいは、友野という一国を代表する商人。歴史にも名を残す商人が、一枚も二枚も上手であったのか?
そのいずれが正しいかは知れぬが。一つの事実として、俺はこの時点ではまだ、全く気付くことができなかったのだ。
既にこちらの懐深くに、布石を打たれていたという痛恨事に。
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