小谷城攻め

 ――虎御前山


 信長は、虎御前山に帰陣するや、翌日には諸将を集め軍議を開いた。


「小谷城を陥とす」


 信長は開口一番、端的に作戦目標を告げる。

 ピリリと空気が引き締まった。


「義弟殿」

「はい」


 信長の呼び掛けに、浅井長政が頷く。諸将の視線が自分に集まるのを待って口を開く。


「小谷城は、尾根や谷を活用した南北に長い山城。地形に沿って、随所に曲輪が設けられ、攻めるに難き堅城となっております」


 諸将は頷く。

 この小谷城を居城としていた元城主の言葉だ。説得力が違う。

 誰もが、続く説明に耳を傾ける。


「しかし、弱点が皆無という訳に非ず。この南北に長い城は、実は大きく二つに別れております。南北を分断する深い堀切があり、ここで別たれ、本丸のある南側と、小丸のある北側という形に。この両者が互いに連携しつつ、小谷城を守備しているわけです」


 長政は言葉を切って、周囲の顔を見回す。

 諸将が理解しているかを確認してから、本題を切り出す。


「故にこれを分断します。急所は、京極丸! ここさえ落とせば、南北の連携を分断し、後は個別に攻め立てれば、小谷城の落城は必至!」


 成る程! と、誰ともなしに声を漏らす。

 だが、小谷城の弱点を説明した長政本人の顔は厳しいままだ。――『されど!』と声を上げ、周囲の感嘆の声を遮る。


「されど、この京極丸を落とすは至難の業! まず清水谷の急斜面の上にある事! 何より枡形虎口を設け、厳重な守りに!」


 方々から唸り声が上がる。


「急所であるが故に、守りは一際堅いというわけじゃ。当然じゃな」


 信長が口を挟む。


「そこで、一計を案じる。――小谷城を包囲する諸将が、全方面より攻め上る。が! これは陽動、主攻の為の助攻じゃ! 仮に敵がこれを助攻と気付こうが、実際に攻め立てられれば、各所に兵を割かざるを得ん。そして敵兵を各所に散らした後に、京極丸を強襲する!」


 おお! と諸将は興奮する。


「禿げ鼠!」

「ハッ!」


 藤吉郎が身を乗り出す。


「主攻を貴様に任せる! 必ず落とせ! 能わざる時は、討死にせい!」


 余りに苛烈な言葉。怯えか、武者震いか、藤吉郎の体が小刻みに揺れる。

 それでも真っ直ぐに信長の目を見返した。


「必ずや、上様のご期待に応えてみせます!」


 信長はじっと、藤吉郎の目を見る。その覚悟の色を見て取り、一つ頷く。


「励め。……京極丸落とせば、北近江を貴様にくれてやる」


 藤吉郎は目を見開く。どよりと、声にならぬ声が諸将から漏れた。


「軍議は終いじゃ!」


 唐突に軍議の終わりを宣言すると、信長は席を立ち、足早に去って行く。

 信長が去ると、諸将は先の信長の衝撃的な発言に触れる。騒めきは中々収まらなかった。



※※※※



「お前ら、よーく聞けよ! 上様は、オレに約束して下さった! 京極丸を落とせば、大出世させるとな! 故に、故にじゃ! オレもお前らに今まで以上に報いることが出来るちゅうわけじゃ! 十貫、二十貫、そんなせこいことは言わん! 褒美の大判振る舞いじゃ! 登れ! 登れ! ひたすら登れ! ええな!?」


 藤吉郎は兵らを整列させると、顔を真っ赤にして檄を飛ばす。

 興奮は伝播するものか。

 藤吉郎の常とは違う様子に、兵らもここが大一番と理解し、『応とも! 任せろ鼠の旦那!』と気炎を吐く。


 藤吉郎は満足げに頷く。


「直、諸将が総攻撃をかける! それを待ってから、お前らはあの谷を駆け上がれ! 竹束や木盾は持ったか!? 矢や銃弾が雨のように降り注ぐで! ちゃんと持ってけよ! 鉄砲手! 駆け上がる兵らを援護せい!」


 藤吉郎が落ち着きなく、兵らの前を行ったり来たりしながら言い聞かせる。

 すると、突然方々から蛮声が上がる。


「始まったか!」


 諸将の総攻撃が始まった。

 藤吉郎は逸る気持ちを抑えながら、これから挑む清水谷の急斜面を仰ぎ見る。


 一辰刻(約二時間)待って、ついに藤吉郎は采を振るう。


「よし! 登れ! 総員登れ!」

「「応!」」


 竹束や木盾を頭上に掲げながら、兵らが急斜面を駆け上っていく。

 すると、予測通り谷の上から矢の雨が降り注ぐ。時折、鉄砲の音も混ざる。

 

 竹束や木盾を掲げようが、全て防ぎ切れる訳も無し。

 駆け上がる兵らの中から、悲鳴が一つ、二つ、三つと上がり出す。

 急斜面を登る内に、ぽろぽろと何人もの兵が落伍していく。


「鉄砲手援護せい!」


 盾を掲げる兵らの背に隠れた鉄砲手たちが、めいめい鉄砲を撃ち返す。

 敵兵を仕留めることなど、期待できるものではない。

 が、牽制になれば良し、と鉄砲手たちは撃ち返す。


 木下隊の士気は高い。

 されど、敵もまた死に物狂いだ。懸命に抵抗する。


 木下隊の兵らは、急斜面の半ばほどを踏破したが、そこから遅々として進まない。

 損害ばかりが増えていく。


「その盾よこせい!」

「兄者!?」


 業を煮やした藤吉郎は、木盾を引っ手繰るように掴むと、自ら谷の急斜面を登ろうとする。

 小一郎が慌てて藤吉郎の後を追った。


「兄者、どういう積りです?」

「陣頭で兵らを鼓舞するに決まっとろうが!」

「危険すぎます!」

「危険? 命を惜しんでおる場合か! あの谷の上に立身出世が待っとるんじゃ! 多少の危険を冒さんでどうする! 上様からも『必ず落とせ』と厳命されとる! 尻込みしてられるかい!」


 小一郎の制止を振り切り、藤吉郎は登っていく。先に登っている兵らのすぐ背後まで駆け上がった。

 これには兵らも驚きを覚える。


「鼠の旦那!?」

「旦那、何しに来た!?」

「決まっとろうが! お前らの尻を蹴りに来たんじゃ! とっとと登れ!」


 矢の雨降る中、大声で叫び合う。


「鼠の旦那! ここは危ないぞ! 下がっとれ! 下がっとれ!」

「煩い! 無駄口叩く暇があったら、足を動かせ! 登れ! 登れ!」

「旦那! そんなに出世したいんか!?」

「当然じゃ! お前らだって、褒美が欲しいじゃろが!」


 兵らは顔を見合わせる。


「ちげえねえ!」

「よし! 登ったるか!」


 指揮官が危険を冒し鼓舞するのだ、兵らも応えぬわけにはいかない。

 矢の雨の中、多少の怪我なぞ顧みず兵らは駆け上がる。


 半ばほどで遅々として進まなかったのが、急斜面の六割、七割ほどまで踏破する。


「よし! よし! ええぞ! お前ら――『兄者!』」


 小一郎の叫び声。兵らの後ろを登っていた藤吉郎は、がくんと片膝を付く。

 その段になって初めて、藤吉郎は自らの太ももに矢が刺さっていることに気付く。


「ぐっ!? ああああああああ! 糞! 脚が!」


 すぐ傍にいた小一郎は、襷を使い、藤吉郎の足の付け根を縛り止血する。

 小一郎と共に藤吉郎を追って来た兵らが、藤吉郎を背後に庇いながら木盾を掲げる。


 その様子を、先に行く兵らは振り返り見た。


「旦那!?」「旦那!」「鼠の旦那!!」


 兵らが口々に叫ぶ。


「ッ! ええい! こんなもん、大した負傷じゃないわ! 何で脚を止める!? 目の前の銭を拾いにいかんかい!」


 藤吉郎が『登れ!』と発破をかけても、兵らは動揺を露に脚を止めたままだ。

 中には、今にも藤吉郎の下へと駆け下りそうな者もいる。


「何で、何でじゃ!?」


 藤吉郎は一つ誤解をしていた。

 部下たちが自分に付いてくるのは、景気良く銭をばら撒いているからだと。

 いや、それが最大の理由ではあるのだが。決して、それだけではなかったのだ。


 兵らと同じ下々の出であること。

 故に下っ端の兵らを卑下することなく、更には、功を挙げれば十分すぎるくらいに報い続けてきた。――自らがとんでもない借財を負おうとも。(藤吉郎が浅田屋に途方もない借財をしているのは、周知の事実であった。)


 木下隊の兵らは、他所の部隊ではここまで厚遇されなかったろう。彼ら自身がそれを一番理解している。

 だからこそ、藤吉郎は『鼠の旦那』などと呼ばれながらも、部下たちから愛されていたのだ。


 藤吉郎は、自らの負傷に動揺して脚を止めてしまった兵らを見て、そのことを初めて自覚する。



 藤吉郎は顔をくしゃくしゃに歪めながら、声の限り叫ぶ。


「頼む! 頼むで! 登れ! 登れ! オレのことを想ってくれるんなら、オレを織田の重臣に押し上げてくれ! オレを国持大名にしてくれ! 必ず、必ず報いる! オレが大名なったら、お前らが家老じゃ! 奉行じゃ! 郡代じゃ! 侍大将じゃ! ――登れ!」


 どっと、声が上がる。


「しゃあない! いっちょ、鼠の旦那を大名にしたるか!」

「応よ! そいで俺が家老じゃ!」

「アホ抜かせ! お前みたいなんが、家老になれるか!」

「何を!」

「喧嘩すな! 登れ! 登れ!」


 兵らの士気は天を衝く。――『旦那はそこで黙って見とれ!』と言い捨てると、遮二無二谷を駆け上がる。


 やがて、一人、また一人と谷を登り切り、その先へと進んでいく。

 そこから先は、藤吉郎の視界からは窺い知れない。


「備前守殿の話じゃ、あの先は桝形虎口になっとる筈じゃ」

「はい」


 藤吉郎の呟きに、小一郎が頷く。


 虎口――城の防衛機構の中でも、最も堅牢な場所だ。

 それを落とすのは、至難の業ではない。


 谷の上から様々な音が降って来る。

 兵らの蛮声。踏み重なる足音。鉄砲の発砲音。断末魔の悲鳴。


 見えないが、音だけで激戦の様子が分かる。


 その音は、一体どれだけ続いたか? 藤吉郎が耳をすませていると、不意に断続的に続いていた喧騒が止む。


「どうした? どうなったんじゃ!?」


 藤吉郎は静まり返った谷の上を注視する。

 すると、ひょっこりと一つの旗が頭を出した。――黄色地に永楽銭が描かれた旗が。


 いや、一つだけではない。二つ、三つ、四つと織田永楽銭の旗が上がる。

 どうやら兵らが、虎口の塀の上に登っているらしい。


「制圧! 京極丸の虎口、木下隊が制圧じゃ!」


 鬨の声が谷の上から響き渡る。狂ったように旗が振り回される。それだけでは飽き足らず、兵らは旗を掲げたまま、塀の上を駆け出したらしい。


 蒼穹の下泳ぐ黄色の旗は、どこか凧揚げの凧を思わせた。

 木下隊の兵らは、喜び叫びながら童のように行ったり来たり駆け回る。それに合わせ、黄色の旗もあっちへ揺ら揺ら、こっちへ揺ら揺らとたなびく。


「見とるか! 見とるか、旦那!」

「鼠の旦那が大名じゃ!」

「そいで俺が家老じゃ!」

「ならワシは郡代じゃ!」

「阿呆抜かせ! お前らじゃ精々足軽大将が関の山じゃ!」

「そうじゃ! そうじゃ!」


 ハハハ! と、ここが戦場とは思えない、底抜けに明るく邪気の無い笑い声が響く。


「阿呆が。阿呆どもが……」


 藤吉郎の目に映る、織田永楽銭の旗がにじむ。

 にじむ黄色の旗を見上げながら、『阿呆が』と藤吉郎は繰り返した。




 天正二年二月のことである。

 越前の朝倉を征伐された信長公は、返す刃で浅井久政らが籠る小谷城への総攻撃を命じられた。

 諸将の働きもあり、小谷城を僅か五日で落城させた。


 この城攻めで抜群の戦功を挙げたのが、木下秀吉であった。

 木下秀吉、信長公に激賞され、北近江三郡に封ぜられた。


 ――『信長公記』

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