千宗易(後)

 偏屈な賢者――千宗易は、むっつりと押し黙りながらこちらを見遣る。

 皺の寄った眉間、こちらに挑みかかるような瞳、きりりと真一文字に結ばれた唇。表情の全てで、不服をこれでもかと如実に表している。

 俺は一つ咳払いする。それが第二ラウンド開始の合図となった。


「どうしても宗易様のご助力叶わないならば、仕方ありませぬ。それでも手前は、ブランド茶器事業を推し進めねばなりません。織田様の下知は既に下っているのです。なれば、今井様、津田様ご両人のお力をお借りして事に当たることになるでしょう」


 俺は一旦言葉を切る。一拍置いて囁くような声音で続ける。


「……宗易様のお力添えがないのは確かに残念ではありますが、されど、宗易様抜きでもブランド事業は何とでもなりましょう。手前は最悪それでも構いません。が、宗易様は、本当にそれで宜しいのでしょうか?」

「……どういう意味だ?」


 俺は口の端を吊り上げる。


「たとえ手前が、どれほど宗易様の意に添わぬような名物を、宗易様にとって我慢ならぬ名物を作ろうとも、ブランド事業に加わらぬ貴方様は指を咥えて見ていることしか出来ない。天下に、どうしようもない虚飾が蔓延るのをじっと見ていることしか出来ぬのです。……耐えられますか?」


 その様を想像したのか、宗易はギッと歯噛みする。


「しかし、宗易様がブランド事業に参加されたなら、手前の行動を掣肘することも叶いましょう。……無論、全てが全て宗易様の願い通りに、とはいきませんよ? ですが、互いに妥協点を探り、宗易様にとってまだマシだと思えるモノを、落としどころとすることも出来る筈です。如何でしょう?」

「……私を脅すか、若造」


 宗易は親の仇でも見るような目で睨んでくる。俺は涼やかな顔で肩を竦めて見せた。

 まあ、仰る通りこれは脅し以外の何物でもないわけで。とはいえ、はい脅しです。とも言えないしな。


 宗易は苛立ったように一度体を震わした。が、すぐには口を開かぬ。その頭の中で、脅しに屈するべきか否か、吟味しているのが手に取るように分かった。


「……いや! 世に虚飾に塗れた名物が出回るのも気に喰わんが! それより、私の名の下、意に添わぬモノが出回る方が尚気に喰わぬ!」


 宗易はそのように吼えた。……何とも頑固な御仁だ。


「本当によろしいので?」

「くどい!」


 ……駄目だな、こりゃ。このままでは百言尽くしても説得能うまい。

 なれば、虎の子の切り札を切らねばならぬか。


 俺は懐に右手を差し込むと、一枚の書状を引っ張り出す。綺麗に折りたたまれたそれを、バン! と広げる。顔の高さに掲げると、まず今井宗久と津田宗及に文面が見えるように、次いで、千宗易に見えるようにする。

 そこにはこう記されていた。――『今井宗久、津田宗及、千宗易。この三名の内、舞蘭度茶器事業に尽力した者には、織田家召し抱えの茶頭に任命する。――織田上総介信長(花押)』


 堺に来る前に、信長に前もって書いてもらった念書だ。これこそが正しく虎の子の切り札。

 俺はその文面を厳かに読み上げてから、三人の顔を順繰りに見た。それぞれから、痛いくらいの視線が返って来る。


「御三方、ご理解なされておいででしょうか? いずれ天下人となる者の下で、茶頭を務めるという意味が。それは、天下の茶の湯の在り方を指導することに他なりません! 御三方が、日ノ本の茶の湯の行く末を定めるのです! もはや、事はちっぽけな茶碗一つに留まりませんよ!」


 俺は信長の書状を畳の上に力強く叩きつけると、威勢よく声を張り上げる。


「さあ、乗った! 乗った! この機会を逃せば、もう二度と斯様な機会は訪れますまい! 諸兄方! 幸運を掴み損ねることなどなきように! 天下の茶の湯を自ら左右したいと欲するならば、どうぞ手前の用意した船にお乗り下さい!」


 俺の声が響き終わると、茶室に水を打ったような静けさが横たわった。

 もっとも、それも一瞬のことで、すぐさまそれを破る大笑が客人畳の方から上がる。


「ハハハッ! 大山さん、あなたという人は! 天下の茶の湯を左右したければ、ですか! 相変わらずとんでもない口説き文句を口にするものだ。ええ、勿論私は乗らせてもらいましょう!」

「ありがとうございます、今井様」


 そのやり取りを見て、津田宗及もすぐさま口を開く。


「私も乗りますぞ!」

「ありがとうございます、津田様。では、後は……」


 俺たち三人の視線が一斉に千宗易に注がれる。

 宗易は若干身を乗り出すような姿勢で固まっていた。開きそうになった口を、ぎゅっと引き締めると、瞼を閉じる。その額に汗が一滴流れた。


 まるで彫像と化したかのように宗易は動かない。彼の中で凄まじいまでの葛藤が蠢いていることだろう。

 俺は敢えて言葉を重ねることなく、じっと宗易が動き出すのを待つ。待つ。待つ……。


 そんなわけもあるまいが、体感では半刻は待ったのではないだろうか、という沈黙を経て、ついに宗易の口が開かれる。


「……私も乗りましょう。ただし、条件が一つある」


 勝った! と、俺は内心声を上げるが、それでも冷静な口調で問い返す。


「条件とは何でしょうか?」


 カッと、宗易の眼が開かれる。


「大山、そなた私の下で茶の湯を学び直せ」

「はっ?」

「私の弟子として、茶の湯を学び直せと言った」


 弟子? 俺が千宗易の? 何でまた……。


「そなたが下らぬ茶器を作れぬよう、私がその性根を一から叩き直してやるわ!」


 苦々しい顔付で、そんなことをのたまう宗易。俺は呆気にとられながら、見詰め返すことしか出来ない。

 時間の経過とともに、その言葉の意味する所が頭の中に浸透する。ついでに、弟子になった後の面倒臭さが容易に想像できてしまった。


 すると、またもや客人畳から笑い声が上がる。


「そうら! やはり私の言った通りでしょう! 賭けは私の勝ちですな、大山さん! どうです? 宗易さんに、大山さん、双方が苦渋の表情を浮かべることになったでしょう!」


 手を叩いて大喜びする今井宗久の言う通り、俺は苦々しい顔をしていることだろう。目の前の宗易と同じように。

 客人畳から上がる笑い声を横目に、最早、宗易と二人してぶすっと押し黙るしか他になかった。




 後世、大山源吉、千宗易双方にとって不本意なことに、源吉が商人としてだけでなく、茶聖千利休の弟子の一人として史に名を刻むこととなるが、幸いにも、彼らがそれを知る術はなかった。

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