千宗易(前)

 堺の一画にある屋敷の前で足を止める。後の天下三宗匠の最後にして、最大の難関と思しき千宗易の屋敷である。

 俺は心を整えるため、一度天を仰ぐ。半刻前までは晴れやかな蒼に満ちていた空に、所々黒みがかった灰色の雲が漂い始めていた。


「幸先の良くない空模様じゃのう」

「確かに、これからの交渉の先行きを暗示しているようですが。なんの、津田さん。見物客たる我らにとっては、むしろ望ましいことではないでしょうか?」

「ハハッ、違いない!」


 ……背後からロクデナシ共の面白がった声が聞こえてくる。

 俺は眉を顰めながら振り返る。


「……今井様、津田様、交渉の席ではその不快な軽口はどうか謹んで下さいね」


 俺にしては、ハッキリと不満をぶつける。が、二人はというと、飄々とした顔付きでどこ吹く風である。

 ったく! この二人を同席させるという条件は、やはりどうにかして蹴っておくべきだったか。


 何せ、事態を面白がっているこいつ等の態度には、俺ですら不快なのだから。千宗易にとっては言わずもがなだろう。……しかし、今更帰れとも言えない。畜生め。


 ええいままよ! と破れかぶれな想いで門戸をくぐる。その先には、千家の家人であろう男が頭を下げていた。


「大山様ですね?」

「はい。そうです」


 問い掛けに答えると、男は一つ頷く。


「御三方を、旦那様の下にご案内します」


 先導する男について、俺たち三人は千家の屋敷内を歩いていく。

 果たして行き着いた先は、こじんまりとした建屋であった。先導役の男に促されて中に入ると、そこは真四角配された四畳半の空間であった。中央には畳の下に埋め込まれた炉が頭を覗かせている。――典型的な茶室であった。


 入口から見て、炉の左手側の畳――いわゆる点前畳には一人の男が一部の隙なく正座している。

 年の頃は四十後半辺りか? 初見の率直な印象は、偏屈な賢者だ。この男が……。


「訪問を受け入れて下さりありがとうございます。宗易さん、こちらが織田様の御用商人、大山源吉殿。大山さん、あちらが千宗易殿です」


 今井宗久が間を取り持つ。


「お初にお目にかかります。大山源吉です」


 俺の挨拶に千宗易は黙礼で返す。軽く下げた頭を上げると、口を開く。


「……どうぞ、お座り下さい」


 さて、席次をどうしたものかと、一瞬考えこんでいると、今井宗久が口を開く。


「我らはおまけですからね。ささ、大山さん奥へ、奥へ」


 今井宗久は手振りで、北の床の間の前、貴人や正客が座る貴人畳に座るよう促してくる。俺はその勧めに従い座る。

 今井宗久と津田宗汲は、入口から見て、炉の右手側に当たる客人畳に座った。


 俺はさりげなく茶室の中を見回す。

 四方を土壁で囲まれた茶室には、床の間に飾られた掛け軸と花瓶に活けられた花を除けば、装飾らしい装飾は見当たらない。……俺の中の茶室のイメージでは、花瓶ではなく、竹で作られた花入れなのだが。


 今回、天下三宗匠と会う前に茶の湯の予習をしてきたが、そこでも全く竹製の花入れがなかったので、この時代ではその手の花入れはまだないのか。

 千利休が、現代に伝わる侘茶の完成者であるのだから、ひょっとすると、これから利休――宗易が、それを採用するのかもしれない。


 それにしても、身じろぎするのも憚れるような厳粛さがあるな。

 茶室という、ホームグラウンドでこちらを委縮させ、交渉に臨むに当たり優位に立とうという試みであろうか?


「もてなしのために、此度茶室にお通ししましたが。大山さんは、茶の湯を日頃から嗜まれるのですか?」


 千宗易が静かな声で問い掛けて来る。


「少しは。ですが、まだまだ不勉強ですので、不調法があればお許し下さい」


 千宗易は僅かに片眉を持ち上げる。


「……茶の湯で作法は大切ですが。より大切なのは客人をもてなすこと。よほど礼を失しない限りは、多少の不作法には目を瞑りましょう。どうぞ、肩の力をお抜き下され」

「ありがとうございます」


 予習したとはいえ、所詮は付け焼刃。天下三宗匠の目から見れば、至らぬ所が多々あろう。ならば、素直に茶の湯に精通していないことを告白した方がいい。

 玄人にとって一番我慢ならないのは、素人の知ったかぶりだろうから。


 千宗易が自ら茶を点て始める。俺はその姿をじっと見る。

 茶の湯に関しては門外漢の俺ですら美しいと感じる所作だ。無駄なく洗練された動きには、自然と美が宿る。改めて、そんなことを実感する。


 やがて、茶碗が俺の前に置かれた。お茶そのものより、やはり俺の関心は千宗易の使用している茶碗に注がれる。

 ……飾り気もなければ、華やかさもない。質素な茶碗だ。なるほど、名物とは真逆を行くか如き茶碗だな。


 そんなことを再確認しつつ、俺は茶を頂く。ほどなく、俺含む三人が茶を飲み終わった段になって、再び千宗易が口を開く。


「今井さんから、簡単に用向きをお伺いはしておりますが。……何でも、織田様が開く新窯に私の助力も求めておいでだとか?」

「はい。京の都にて、誇るべき新たな名物を作りたく思います。宗易様にもその為にお力添え頂きたく」


 俺は誤魔化しもせず、ハッキリと目的を告げる。


「名物……私がそれを嫌っているのをご存知でしょう? どうして私が頷くと思われるのです?」

「素直に頷いてもらえるとは期待しておりません。なので、頷かせて見せます」

「先程から、歯に衣着せぬ物言い。言葉を選ぶということを知らぬのですかな?」

「見え見えの誤魔化しなど、お嫌いでしょう?」


 初めて、千宗易の顔にふっと微かな笑みが差す。


「面白い。ならば頷かせてみせよ、若造」


 千宗易から、丁寧な、されど余所余所しい口調が取り払われる。

 ふん。ようやっと交渉のテーブルに座る気になったか。ならば、ここからが正念場!


「そも、宗易様は、名物の何がお嫌いなのでしょうか?」

「ふむ。一言で言うなれば、虚飾ですな」

「虚飾とは?」

「知れたこと。その品に見合わぬ法外な値を付け、あまつさえ、それを有難がること。何とも馬鹿馬鹿しいことよ」


 千宗易は吐き捨てるように言う。


「法外な値、ですか。宗易様は名物が適正な値付けをされていないと仰る?」


 千宗易は答えるまでもないだろうと言わんばかりに押し黙る。


「……仮に、法外な値が付いているのが正しいとして、それならば何故そんな物を購入する者が後を絶たないのでしょう?」

「それが虚飾よ。天下の名物だ、という名声に目が眩み、冷静な判断ができておらぬのよ」

「なるほど。しかし、手前はそうは思いません」

「何?」


 千宗易は眉を顰める。


「手前は、名物を購入する貴人たちが、そこまで愚かだとは思いませんね。名声に目が眩んで冷静な判断ができてない? いいえ、彼らとて百も承知なのですよ。名物そのものが、そうでない焼き物と比して、特別素晴らしい出来ではないということを」

「……なれば、何故名物を購入する?」

「それは、名物だからこそですよ」


 俺はにやりと笑んで見せる。


「彼らは焼き物そのものの品質に莫大な銭を投じているのではありません。名物に付随する名声にこそ、銭を支払っているのです。それを購入し、保有することが自身の名声にも繋がるから。更には、他者に対し、茶会の席でこれほどの名物を持っているぞと、優越感に浸れるから。その満足感にこそ、銭を投じているのです」

「ふん。虚飾が、虚栄心にすり替わっただけではないか」


 千宗易は鼻を鳴らす。


「客の虚栄心を満たす。それのどこに問題が? 詐欺はいけません。が、これは騙しているわけではありませんよ。商人も客も承知の上で、お互い納得の上で売り買いする。その商いの結果として、確かに客の心を満たしているのです。ならば、売ってやろうではありませんか! 虚栄心だろうが何だろうが、売れるものは何でも売る。それが商人というものでしょう?」

 

 俺は身を乗り出しながら熱弁して見せる。

 千宗易は腕を組んで目を瞑る。一秒、二秒、三秒……。目を開ける。


「なるほど、大山さん、あなたは商人の鑑だ」

「堺の大商人たる宗易様にお褒め頂き、何とも光栄なことです」

「正しく、大山さんの言う通り、堺商人としての私は納得しました。だが……」


 千宗易の顔は益々厳しくなる。最初に感じた偏屈さが、より一層深くなる。


「茶人としての私は全く納得いってない」


 なるほど。第二ラウンド開始というわけだ。

 いいだろう。必ず説き伏せて見せる! 俺は心中気炎を吐いたのだった。

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