西進策
「面を上げい! 聞いたぞ、うらなり! 堺衆の茶人たちを説得したとな!」
開口一番そう言った信長に対し、俺は顔を上げるとただ笑みを刷いて見せた。
岐阜城の一室である。堺での説得を終え、岐阜に戻って来るや信長から登城の命を受けたというわけである。
どすんと座るや胡坐をかいた信長も満足げな笑みを浮かべる。
「これで、舞蘭度茶器を拵えることができると思って良いか?」
「はっ。窯元を開くための土地も抑えましたし、窯の建設も始まりました。まだ十全ではありませんが、陶工たちも集まり始めております」
「ふむ……」
信長は軽く頷くと、疑問を口にする。
「陶工の数はまだ足りておらぬのか?」
「はい。ですがこれも、直必要な数が揃うでしょう。何せ、他所よりも十二分な銭を保証しておりますので。むしろ、まだ揃っていないのは、こちらが陶工の選り好みをしているからというわけで」
「成る程の」
信長は大きく頷いた。
俺は笑みを引っ込めると、神妙な顔付きに切り替える。
「新たな茶器の完成は、後は時を待つばかりでございます。重要なのは……」
「分かっておる。その名声を高めるために、ワシに動けと言うのじゃろ?」
「仰る通りにて」
「で? 何をせよと?」
俺はぐっと拳を握り締める。やや、前のめりになった上で口を開く。
「舞蘭度茶器を公方様へご献上下さい。然る後に、京にて大規模な茶会を。そこで公方様より御言葉を頂戴したく思います」
「……御言葉。舞蘭度茶器を褒め称える御言葉じゃな?」
「はい」
俺は背中に嫌な汗をかく。
いくら織田が担ぎ上げた神輿とはいえ、征夷大将軍その人に、こちらが望む言葉を吐かせよ、と一介の商人が口にするのだ。
これが信長相手に言ったのでなければ、切り捨てられても文句を言えない所業である。
事の大きさ故にか、信長は暫し黙りながらこちらをじっと見る。
「……よかろう。義昭めには、必ずやそのように口にさせる」
信長は、敢えて諱を呼び捨てた。
「有難き幸せにて」
そう言いながら平伏する。
……正直安心した。俺は柄になく、信長が頼りになると、そんな感慨が浮かぶ。
義昭と呼び捨ててくれたことで、信長なら臆することなく征夷大将軍より望む言葉を引き出してくれるだろうと安堵する。
「織田が銭と人を惜しみなく投じて拵えた舞蘭度茶器、それに公方のお墨付きも加われば、その名声は天下に鳴り響くであろうな」
「はい。必ずや」
「うむ。……詰めを甘くして、躓いては話にならぬ。うらなり、貴様はこの事業に注力し、必ずや完遂させよ。よいな?」
「はっ!」
俺は威勢よく返事する。
「よし! 舞蘭度茶器はそれでよい! 後は戦よ! こちらはワシら武家の仕事じゃが……。今後の方針で、商人ならではの進言はあるか?」
信長の問いに、俺は中空を見ながら考え込む。
現在、織田は尾張、美濃、南近江、更には畿内全域の諸勢力をほぼ支配下に置くことに成功している。
俺が岐阜支店だの、ブランド茶器事業の立ち上げだのに奔走している間に、伊勢の北畠をも圧倒している。間もなく、北畠も織田に屈服することだろう。
つまり、今後の方針とは、北畠を屈服させた後の戦略方針のことに違いない。
「東か、西か。あるいは双方か……。貴様はどう思う?」
信長が重ねて問い掛けて来る。
「西でしょう。西方への膨張策に専念すべきです」
俺は断言して見せた。
「ふむ。理由は?」
理由、か。……いくら織田の国力が、頭一つ飛び抜けているとはいえ、二正面作戦は好ましくない。同時に多くの敵を相手取るのは危険だ。
かつてあった史実では、二正面作戦どころか、信長包囲網という周囲敵だらけ、なんて頭の抱えたくなるような状況にすら陥っている。
これだけは、何としても避けなくてはならぬ。
「織田の国力は、諸大名の中でも頭一つも二つも飛び出してしまいました。なれば、織田に対する諸勢力はどう動きましょうか? これは史を紐解けば明らかです。大国に抗するため、小国たちは一致団結することでしょう。嘗て、秦に対抗せんとした合従軍のように」
「であろうな。それで?」
信長は相槌を打つ。
「東の抑え、死に体の今川は置いておきましょう。武田の抑えに徳川(つい先日、正式に三河守に任じられるに当たって松平から徳川へと改姓した)を、上杉の抑えには、浅井と、浅井を通じて朝倉にも協力を要請し、上杉に当たらせましょう。彼らに背を守る盾となってもらい、織田は西の敵とのみ戦うのです。お誂え向きに、先の公方様を弑した逆賊三好攻めの大義名分はあります」
信長は暫し考え込む。
「徳川、浅井、朝倉は織田に体よく使われることに納得しようか?」
「銭です。銭を回されませ。莫大な銭を援助することと引き換えに、東の敵と戦ってもらえばよろしいでしょう」
「成る程のう。銭で他国の兵を購う、か」
「はい」
同盟者に背を守らせ、正面の敵にのみ注力する。美濃攻めの時と同じだ。
それに、信長には言えないが。朝倉を攻めることは、浅井の裏切りと、信長包囲網の切っ掛けとなってしまう。これは大悪手だ。
なれば、西方への膨張策こそが正解であると、俺は思う。
西の敵のみであれば、危うげなく織田は勝利を重ねるだろう。西を切り取り、より国力を増してから、返す刃で東に切り込めばいい。
まずは、四国まで引っ込んだ三好であろうか?
逆賊討伐を名目に、淡路を経て、四国へと攻め入る。あるいは、三好は一旦捨て置き、播州、中国方面へと領地を拡大していってもいい。
気掛かりなのは、三好と近しい本願寺だが……。
彼らは動けまい。何故なら、信長包囲網さえ敷かれなければ、織田の勢力は圧倒的であるからだ。
かつてあった史実で、本願寺は確かに、三好を助ける形で急遽織田に刃を向けた。
が、それは浅井朝倉が織田に刃を向けた後のこと。
それ以前は、三好が追い詰められようが、三好の為に命をかけてまで戦いはしなかった。ばかりか、信長からの莫大な矢銭要求をも呑み込んだほどである。
これを思えば、いくら近しい三好のためとはいえ、全く勝ち目のない戦には乗り出さないだろう。
朝倉を攻めないことで、信長を最も手こずらせた本願寺も挙兵しない。であるならば、やはり西を攻めることが正解であろう。
それに、西への攻勢は、純軍事的な理由以外に旨味もあることだしな……。
「ふむ。うらなりの言うことは尤もだ。……時に、うらなりよ」
「はい。何でしょうか?」
信長はにやりと笑む。
「西を推すは、誠にそれだけが理由であるか?」
……見透かされているな。俺もにやりと笑む。
「織田が西へと領地を拡大すれば、古来より交易の大動脈となった瀬戸内への影響力も増しましょう。商い上の旨味は、東を切り取ることとは比べ物になりません。それに、但馬国の生野銀山は、喉から手が出るほど欲しく思います」
無論、更に西の石見銀山も欲しい。俺は欲張った本音も正直に話して見せた。
「がはは! ついに商人の本音が転び出たわ! よい! ワシの烏どもの餌場が増えることは、ワシに入って来る税も増えることに繋がるしの!」
大笑する信長の面前で、俺は黙って頭を垂れた。
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