決戦間近

 ――山城国


 近江との国境近くに、大勢の人が集まっていた。

 帳面を神経質そうに睨んでいる商人然とした男たちもあれば、額に鉢巻き巻いて、大声を上げている人夫たちもいる。


「よし! 次はそちらの倉庫だ! 全部運び出せ!」


 そんな声と共に、何棟も建てられた倉庫の一つから、次から次に米俵が運び出される。

 開けた空間に、それら米俵が山のように積み上げられていく。

 少し離れた場所には、何百頭もの馬や牛に、これまた百、二百に上る荷車が並んでいた。


 その様は圧巻の一言に尽きる。俺は一通り見回しながら、目的の人物を探す。


「――おっ。三島屋さん!」


 俺の呼び掛けに、四十路の男が振り向く。


「ああ、浅田屋さん。いらしてたのですか」

「ええ。ご苦労様です。――どうです? 順調ですか?」


 三島屋は頭をガシガシと掻く。


「いやはや、見ての通りです。この物量ですからね。てんてこ舞いですわ。ですが、何とか遅れを出さないようにやっとりますよ」


 俺は一つ頷く。


「大変なことをお願いしているのは百も承知です。ですが、天正株式組合の三本柱の一つ、小荷駄事業の最初の仕事です。不手際をして、織田様の信用を損なうわけにもいきません」


 俺の言葉に、三島屋は真剣な面持ちをする。


「分かっとります。ワシや、他の商人たちも伝手という伝手を頼って、人を搔き集めましたよ。実際、よくもまあ、こんなに揃ったものです! ――馬借四〇〇人、車借一六〇人、人夫も一千人が集まる予定です! 一度に米俵二五〇〇余りを運びますよ!」


 誇らしげに言うが、直後肩を竦める。


「と言っても、これだけの量を運んでも、四万の兵の五日分の米にしかならんわけですが。……全く、とんでもないことです」


 三島屋の言う通り。本当にとんでもない話だ。

 しかも、ここの物資基地だけで全てではない。美濃、尾張に設けた基地からも前線へと送られるのだ。

 軍団とは底なしの胃袋を持った化け物か何かかと思いたくなる。


「頭が下がるばかりです。――弥七。……三島屋さん、これを」


 俺は護衛の弥七から受け取った銭袋を二つ、三島屋に差し出す。


「浅田屋さん、こいつは……」

「その銭で、苦労している皆を労ってやって下さい」

「これは、気を遣わせて。いや、ありがとうございます」


 三島屋は恐縮するが、俺は気にするなと笑みを浮かべる。


「大したことではありませんよ」


 勿論、実際には大したことのある銭だ。何せ、この人数だしな。一人一人に、酒を一杯振舞うだけでも、結構な額になる。

 だが、こういう細やかな心遣いが大切なのだ。


 現場にも出ず偉そうにしてる上の人間は、現場の者たちから嫌われる。そんなこと、分かり切ったことだ。

 現代でも、できる営業マンは、コーヒー缶を満載したレジ袋を手土産に、現場に顔を出すものだ。


「すみません。来たばかりですが。すぐに移動しないといけないのです。後はお願いしますね、三島屋さん」


 そう言って立ち去ろうとする俺に、三島屋は二度、三度頭を下げた。



※※※※



 近江国を流れる姉川を渡る軍勢の姿があった。旗印は、三つ盛亀甲に花菱。浅井家のものである。

 ただ、この軍勢は織田軍を待ち構える浅井軍ではなく、織田軍の先鋒を務める軍勢であった。


 大将である男――浅井長政は、目を細めて姉川を見遣る。


「遠藤孫作、見ておるか。戻って来たぞ……」

 

 その呟きに、どれ程の想いが込められていたか。

 それを察せらぬ者はいない。供回りの側近たちは、押し黙ったまま手綱を強く握り締めた。


 渡河中、長政も、供回りの者たちも無言で馬を進めたが、渡河を終えて長政が口を開く。


「老人どもは、亀のように籠り出て来ぬな」

「はい。単独ではとても抗し切れる兵力はありませんからな。籠城し、朝倉の後詰を待とうというのでしょう」


 側近の言葉に、長政は頷く。


「予想通りじゃ。では、虎御前山を目指すぞ。後背の横山城は友軍が包囲しておる。堂々と、小谷城の目と鼻の先まで進軍しようではないか」

「はっ!」



 長政隊、先鋒三千は、何ら障害もなく虎御前山に至る。


 続いて、柴田隊、木下隊、佐久間隊、信長本隊、滝川隊、丹羽隊と続々と虎御前山に布陣した。

 虎御前山は、浅井家の本拠である小谷城とは目と鼻の先。その距離、何と僅か五〇〇メートル。


 信長は鋭い眼付きで、小谷城を見据える。


「上様」

「何じゃ」


 信長は側近の呼び掛けに振り向くことなく、小谷城を睨み付けたまま返事する。


「後続の部隊も恙なく布陣を終えました」

「そうか。……小荷駄は?」

「そちらも恙なく。……小荷駄奉行は、これ程までに楽をしたことはない、と言っておったそうです」

「であるか」


 信長の素っ気ない返事に、側近は何と言ったら良いものかとまごつく。

 その気配を察した信長は、ここで初めて側近を振り向くと微笑を浮かべた。


「このような些末事にしくじっておるようでは、うらなりの首は百度は落ちておるわ」


 そう言って、信長は笑みを深くした。



 かくして、織田軍は小谷城を前に万全の構えを見せる。――決戦の時は、すぐそこまで近付いていた。

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