京都御馬揃え
その十一月は、信長にとってこの上なく晴れやかな月となった。
元亀元年十一月二日に、従三位、権代納言に叙位任官し、同月五日には右近衛大将に任官した。
この任官に合わせ、信長は洛中、洛外から鍛冶、大工、
陣座とは、左近衛、ないし、右近衛の陣に設けられる公卿の座のことである。元は、近衛の詰め所のことであり、後に公卿が評議を行う場へと変じて行った。
足利義昭が、右近衛大将に任官された時は、
そこに信長の意図がない筈がない。
義昭との差を目に見える形で表したのである。
そうでなくても、槇島城にて降伏し、畿内から追放処分となった将軍義昭と並ぶ、従三位権代納言に叙位任官されたのだ。
形式上においても信長は、義昭の下位者ではなくなった。勿論、実質的な立場において、どちらが上であるかなど語るまでもないことである。
このことは、多方面において重く受け止められた。
代々、弾正忠家に過ぎなかった家格出身の信長が、将軍と肩を並べる官位に就く。前例を重んじる朝廷の序列社会では、あり得ないことだ。
しかし、あり得ざることが起きた。起こしたのだ、信長が。
この事実に、信長が名実共に、足利将軍家に代わり、天下に大号令を掛ける人物になったことは、最早誰の目にも明らかなものとなったのである。
信長の右近衛大将の任官祝いにと、各地の大名から駿馬、鷹、名物などが続々と贈られ、その権勢を大いに示した。
そうして、極めつけとばかりに、義昭が改元した元亀の元号を、二年目を迎えさせることなく、天正へと改元したのであった。
※※※※
――天正二年 正月十五日
昨年十一月に改元されてから、早二か月。天正二年を迎えた新春、京は熱狂の中にあった。
思い思いに凝らした装束を身に纏った武者たちが、駿馬に跨り、洛中の通りを入れ替わり入れ替わり乗り回し疾駆する。
――その華やかなこと!
武者たちは、爆竹に火をつけ囃し立てては馬を疾駆させ、その度に、見物にと室町通りに詰めかけた群衆が喝采する。
「やれ! こんなに派手な正月は記憶にない!」
「織田様の権勢の凄まじきこと! 飛ぶ鳥落とすとは、正にこのことだ!」
「おお! あれよ! あれよ!」
群衆が指差す先に、誰あろう、織田右大将信長の姿があった。
お気に入りの黒の南蛮笠、
絢爛な衣装、雄々しき軍馬、堂々たる様は、正に天下人の風格である。
「織田様!」「右大将様!」「天下一様!」
群衆が歓呼する。
信長が応えるように、右腕を掲げた。どっと、一際大きな歓声が上がる。
只でさえ祭り好きの信長である。
華やかな祭りに加え、かように群衆から熱気を以て迎え入れられ、機嫌が悪い筈がない。頬を上気させ、満足げな笑みを浮かべながら群衆を見回した。
その途中でハタと視線を止める。信長は群衆の中によく見知った顔を見つけたのだ。
おっ、と少し表情を変え、直後、悪戯げな笑みを浮かべる。
「うらなり! いやさ、浅田屋! 此度の馬揃えに当たり、爆竹諸道具の準備等、細々の心掛け大儀であった!」
信長が群衆の声に負けぬ大音声を発した。
「浅田屋!?」
「確か、尾張美濃に名高い大商人ではなかったか!?」
「では、この華やかなる催しは、件の浅田屋の働きあってのものか!」
「織田様が、ああ仰ったのだから、そうであろう!」
「浅田屋!」「浅田屋!」「浅田屋!」
群衆は浅田屋の屋号をも口々に叫ぶ。
群衆の単純さにか、あるいは、信長の
信長ら騎馬武者たちは、下京本能寺から室町通を上り、一条に出、上京禁裏の東に設けられた、大規模な馬場と豪華絢爛な会場まで行進した。
ここで武者らを整列させ、正親町天皇の閲兵の栄誉に浴す。
締め括りにと、信長は武者らの前で宣言する。
「天下の大義は織田にあり! いざ、北近江、越前の賊を征伐せん!」
天正二年正月のことである。
信長公、五畿内及び隣国から、大名、小名、直臣を呼び寄せ、駿馬を集めて京で御馬揃えを挙行され、帝に天覧頂いた。
見物群衆を成し、その見事な様子に貴賤問わず耳目を驚かせた。
――『信長公記』
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