胎動

 ――木下秀吉陣

 

 槇島城を包囲する織田軍の将は、明智光秀、細川藤孝、そしてこの陣の主である木下藤吉郎秀吉である。

 藤吉郎は椅子に座りながら、弟の小一郎と話していた。


「どうか、小一郎? 無理攻めする必要はないと思うが」


 藤吉郎の言葉に、小一郎は頷く。


「はい、兄上。槇島城の兵らは寡兵の上、士気は高くありません。このまま、程々に攻め立てれば降伏するでしょう」

「やはりそう思うか。うん、無理攻めして、消耗するんも馬鹿らしい。この城を落とした所で、大した功績とも見られんじゃろ。誰でも落とせるっての」


 藤吉郎は虚空を見上げる。


「この次の戦じゃ。次が大きな戦になる。春を待って殿が次に狙うんはどこか……『鼠の旦那!』……何じゃ!」


 藤吉郎が思案していると、彼の子飼いの部下が藤吉郎の前に現れる。


「旦那、浅田屋の使いだという男が陣に来てますぜ」


 藤吉郎は片眉を上げる。


「浅田屋の? 通せ」


 藤吉郎が促すと、ほどなくして一人の男が通される。


「お前さんが、源さの使いか? ……うん? 見たような顔じゃな。そうじゃ確か、源さが雇っとる用心棒の一人じゃろ?」

「はい、木下様。弥七と申します。大山様からの文をこれに」


 弥七は懐から文を取り出す。藤吉郎が自らそれを受け取ると、んん? と眉を寄せる。

 文にしてはいやに重かったからだ。

 折りたたまれた文を広げると、その中に金貨が何枚も同封されている。


「ひい、ふう、みい、よお……豪気なことじゃ。それだけに気持ち悪い」


 藤吉郎も源吉との付き合いは長い。商人が意味もなく銭を恵むなんてあり得ないことを重々承知している。

 これは本腰入れんといかんぞ、と真剣な目で文に目を通した。


「兄上、何と書かれておるので?」


 文の内容が気になった小一郎が問い掛ける。


「……具体的なことは何一つ書かれとらん。が、文の内容を搔い摘めば、この下らん戦をとっとと終わらせろ、と言っとる」

「んん? 浅田屋は一体何を……」


 藤吉郎は、小一郎をじろりと睨む。


「分からんか? この藤吉郎秀吉にすぐにでもやらせたい仕事があるってことじゃ。しかも、文に書くことが憚られる程の仕事をの。書けん代わりに、金貨なんかまで入れちょる。只事じゃないと言外に示す為に……権兵衛!」

 

 藤吉郎は子飼いの部下の一人を呼び寄せると、文に同封されていた金貨を全て投げて渡す。


「虎口に真っ先に突っ込んだ部隊には、その金貨を呉れてやると発破をかけい! 虎口を破れば、連中の降伏も早まるじゃろ! とっととケリを付けるで!」


 そう叫ぶと、藤吉郎は弥七に目を向ける。


「源さに伝えい。委細承知したと」


 弥七は黙って頭を垂れた。



 この日、木下秀吉は突如として、自ら陣頭に立ち兵らを鼓舞して、槇島城に猛攻をかけた。これには、光秀も藤孝も仰天する。

 激しく戦う味方を黙って見ているわけにもいかぬと、彼らもまた兵らに木下隊を支援するよう命じる。


 兵力に劣り、士気も高くなかった城方の兵らは泡を食って、虎口が織田方に落とされるのを許してしまう。

 これを見た、城方の将兵の多くは戦意を喪失し、己の敗北を悟り始めた。そして――。



 元亀元年十月十二日、槇島城落城。征夷大将軍足利義昭は、挙兵からたったの二週間で信長に降伏することとなった。


 この電撃的な戦の裏で、源吉は尾張、岐阜、近江、堺を始め、織田領内の主だった商人たちを集め密談をしていた。


 その場で源吉の語った新たな商売の枠組み。商いを、そして戦場をも一変させるであろうその構想に、商人らは目をぎらつかせる。


「それで? 浅田屋さん、新しく作るそれの名は何と言うのです?」


 眼光鋭い商人たちの一人、今井宗久が尋ねた。


「――株式組合と名付けましょう」


 源吉は厳かな声でそう口にした。

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