安土競売会
――天正四年六月
昼夜山も谷も動くばかり、とまで称された工事が終わり、無事安土城が完成した。
工事が完成するや否や、信長は布告を出す。――竣工を記念して、安土城の本丸御殿において『安土競売会』を催す、と。
そうして、名だたる公家や武将、また豪商などが招待されたのだった。
抜けるような青空の下、人々は大手門を抜けて通りを歩いている。
この通り、六メートルもの道幅が直線一八〇メートルも続くもので、足を踏み入れた多くの者が驚きの表情を浮かべていた。
通常、城内の道というものは、防衛上の観点から細く曲がりくねっているものである。が、安土城はこの常識に反している。
安土城が防衛拠点としての城ではなく、政権中枢としての城、何より天下人の威光をあまねく誇示するための城であるからだろう。
そう、威光である。
俺は道の端の方を歩きながら、それを仰ぎ見た。安土山の頂に聳える天主を。
地下一階、地上六階にもなり、これでもかと豪華絢爛に造られた天主は、見事としか言いようがない。
同じく天主を仰ぎ見た人々も、一様に感嘆のため息を落としている。
余りの威容に、招待客の多くが、どこか体を小さくするようにして歩く。
それを横目に見ながら、俺はそそくさと足を速めた。
招待客らが案内されるのは、本丸御殿である。
俺の目的地も同じだが、彼らとは別口から本丸御殿の中に入る。
「旦那様」
本丸御殿に入るや、声を掛けられる。
裏方で忙しなく動き回る浅田屋の若衆たちの一人だ。
「ご苦労。準備は万全だな」
「はい」
「そうか。――皆集まってくれ! 段取りの確認をもう一度しておこう」
俺の言葉に、若衆たちは手を止めて俺の下に集まる。
ここまで来て、手抜かりがあっては堪らない。少しのミスも起きぬようにと、最終確認を入念に行った。
俺は覗き見る。
何とまあ、そこには数多くの貴人が一堂に会していた。
摂関家の当主たちがいる、綺羅星のような勇将たちがいる、日ノ本を代表するような豪商たちがいる。正に錚々たる顔ぶれである。
『競売会とは、一体どのような催しであろうか?』
『上様のなさることだ。また、度肝を抜くような催し物に違いあるまい』
『左様でしょうなあ』
きっと、そんなことを口にしているのだろう。そこかしこで囁き声が漏れている。
皆が皆、静かな熱気と共に、これから行われる催し物に期待を寄せているようだ。
「上様の御成り!」
先触れと共に、招待客たちが首を垂れる。
現れた信長は一同の頭を見渡し、口を開く。
「面を上げよ。……城の竣工を記念して、愉快な催し物を用意した。楽しめ」
信長はそれだけ口にして、上座を譲るように脇によけると、どっかりと座り込む。
さあ、俺の出番だ。
足を踏み出す。
多くの視線を浴びながら、信長と入れ替わるように上座に立った。
俺を見る者の中には、訝し気に首を捻る者がいる。これまで顔を合わせたことのない者たちだ。大方『あれは、誰であろうか?』などと思っているのだろうか?
顔見知りの連中は、どこか眦をきつくしている。こちらは分かりやすい。
どうせ、『今回の催しも、やはりお前の入知恵か!』などと思っているのだろう。
内心の苦笑を押し殺し、俺は口を開く。
「皆様、本日はご足労下さり、誠にありがとうございます。手前は、上様より本日の競売会の進行を任された、浅田屋大山源吉と申します」
俺の名乗りに、『ああ、あの男が……』などといった呟きが漏れる。
「さて、競売会ということですから、皆様には競りに参加して頂きます。もっとも、そこらの市場での競りとは無論、一味も二味も違います。皆様に競り落としてもらうのは、天下の名品、珍品ばかり。……実際にお目にかけた方が早いでしょうね。一品目をこれに」
俺がそう言うと、浅田屋の若衆が女物の着物が架けられた衣桁を運んでくる。
藍染の見事な着物である。袖の蝶を模した図柄が印象的だ。――何とも思い出深い品だ。
俺は目を細めて見遣る。
しかし、招待客の多くは、この着物が何なのか見当がつかないのだろう。
物問いたげな視線を向けて来る。
「覚えておいででしょうか? 有松で行われた『新有松織』のお披露目を。当時、まだお輿入れ前であったお市の方が、美しい着物を纏い、舞台上でお披露目なされたのです」
あっ! と、言う声が上がる。俺は笑みを刷く。
「当時、お披露目をご覧になられた方はもうお気付きですね。ご覧になられなかった方の為に、ご説明しましょう。この着物こそ正に、お市の方が有松のお披露目で纏われた着物、そのものなのです!」
説明を終えると、すーっと息を吸う。
「さあさあ! この世に二つとない品です! 何より、今日という『安土競売会』の記念すべき一品目! これを競り落とした御仁の御名前は、人々の記憶に残り続けることでしょう! 最低落札価格は、三百貫(約三千万円)から!」
威勢の良い掛け声に、場に熱が籠る。
招待客たちは互いに牽制するような視線を交わし合い、そして――。
「三百二十貫!」「三百五十貫だ!」「私は、四百貫!」
もしもこの場に現代人がいたならば、こう叫んだろう。まんま、オークションじゃないか! と。
それからも続々と入札されていく。
「――六百貫! 現在の入札の最高額は六百貫です! どうです!? もうありませんか!? これで締めます! そちらの御仁が記念すべき一品目を落札されました!」
わっと歓声が上がる。
市姫効果か、記念すべき一品目という売り文句が効いたのか、いきなり最低落札価格の二倍の値が付いた。
好調な滑り出しに始まった安土競売会は、次から次に、珍品名品が競りにかけられていく。
俺の狙い通り、本丸御殿は熱狂の坩堝と化し、貴人たちは所有欲やら、名誉欲やら、はたまた意地に突き動かされ、次々と競売にかけられた品々を、高額で競り落としていく。
そうして十二の品々の競売が終わると、俺はパンパンと手を叩く。
「皆様、ありがとうございます! いよいよ次の品が、本日の競売会の最後の品となります!」
そう言うと、『もう終わりか』と名残惜しそうな声が上がる。
俺は招待客たちの顔を見回す。
他に類を見ない稀なる競売会に、望みの品を競り落とせた者も、競り落とせなかった者も、おおむね満足げな顔をしている。
……とある名物茶器を巡って、堺の豪商今井宗久と最後まで競って敗れた、どこぞのボンバーマンは今にも死にそうな顔をしているが。
しきりに『九十九髪茄子が……九十九髪茄子が……』と幽鬼のように繰り返している。
かつて、ボンバーマンが一千貫で購入した茶器が、今日は二千貫を優に超え、三千貫に達そうとしたのだから、二人の意地の張り具合がよく分かるというものだ。
まあ俺の知ったことじゃない。
では、本日のグランドフィナーレといこうか。
「さあ、最後の品は……これです!」
最後の品が運び込まれ、どよめきが起こった。
それは具足であった。多くの者にとってあまりに見覚えのある。
「上様が、この度御鎧を新調されるとのことで、以前まで戦場で身に纏われていた、この御鎧を、競売に出品することをお許し頂けました」
俺は真面目くさった顔付で続ける。内心、嗜虐的な笑み湛えながら。
「この競売会の最後を飾るに相応しい大目玉です。手前は、この品に、これまでのどの品よりも高い値が付くものと確信しております。……疑うまでもありませんよね?」
俺はぐるりと、招待客を見回す。
「これまでの品々も、それは素晴らしい名品でした。しかし、上様が身に纏っておられた御鎧に、これまで競り落とされた品々より安い値を付ける方などいましょうか? この安土城に招待された方々の中に? いいえ、そんなことあり得ますまい。皆様、こぞって御鎧を競り落とそうとなさるでしょうね。……最低落札価格は敢えて設けません。では、始めましょう」
招待客たちは皆、思わず信長の顔を見る。信長は、歯をむき出しに獰猛な笑みを浮かべた。
「「ッ! ――貫!」」
切羽詰まったような声、恐怖に震えるような声、やけっぱちのような声、それら御鎧の値を告げる声が、一斉に響き渡ったのだった。
※
実はずっと書きたかった話です。
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