予言者の真似事も少し楽しい(後)

 まだ日が顔を出したかどうかといった、朝方。

 私は自宅を出ると、通りを歩いていく。


 日課の散歩だ。薄紫色に染まる街並みは美しく、昼間ほどの喧騒もない。

 この時間帯は、比較的落ち着いて散歩が出来た。


 そう、比較的である。

 昼日中に比べれば、通りを行き交う人の数は少ない。

 しかしそうは言っても、疎らにではあったが、そこかしこに人の姿を見かける。

 こんな時間帯に拘わらず、だ。


 他の街ならいざ知らず、ここでは至極当然のことではあった。

 そう、ここは堺。畿内最大の商業地。

 商人たちが朝駆け夜討ちと、忙しなく動き回る都市であったのだから。


 まだ若い商人たちの走り回る様を、私は目を細めて見やる。

 熱心で結構なこと。と、そんな感慨が浮かぶのは、年を取った証左か。


 そんな風に物思いに耽りながら、走り回る若人たちに注意を割いていたからか、すぐ傍に歩み寄って来ていた人物に気が付くのが遅れた。


「失礼、今井宗久様ではありませんか?」

「……そうですが、貴方は?」


 不意に声を掛けられて、少しばかり警戒しながら相手の顔を観察する。

 見ない顔だ。全体的に線が細い体型、しかしその瞳は爛々と生気に溢れている。

 ……若いな。そう思う。少し羨ましい。


 私ももう四十になる。

 幸い、商売も上手くいき、この堺でもそれなりの立場になった。

 若い商人たちからは、羨望の的であろう。


 が、かつては私の内にもあったはずの燃え上がるような熱意は、年を取るにつれ、成功するにつれ、下火になって久しい。

 きっと、今の私は目の前の若者と違い、静謐な目をしているに違いない。


 私は内心苦笑する。いかんな、こんな気持ちに囚われていては。

 今は、目の前の若者に対応をしなくては。


「どこかでお会いしたことがありましたかな?」

「いえいえ、手前など唯の地方商人。今井様との面識など、あろうはずもありません。本来なら、手前のような若造、気安く今井様に話し掛けるなど憚られることですが。……実は先日、良い商売が出来まして。それで気が大きくなったようです。お許し下さい」


 そのように若者は恐縮してみせる。


「何を仰る。私もまた、多少年を喰っただけの商人。公達でもなければ、大名でもありません。遠慮はいりませんよ。そんなことより、貴方がされたという良い商売、こちらの方がよっぽど気になります」


 そう言って、恐縮した若者に水を向けてみる。

 若者は少し気恥ずかしそうに、だが嬉しさを隠せぬとばかりに破顔した。


「ありがとうございます。……良い商売というのは、この堺で鉄砲を百丁買い付けさせて頂きまして」

「百丁? それはまた……」


 良い商売といっても、若者の言うことだ。

 そう大層な商いではあるまいと、高を括っていたのだが。鉄砲を百丁とはまた……。

 とてもではないが、この若者個人に収まる商いとも思えない。


「……まだ、お名前も伺っておりませんでしたね」

「ああ、失礼。手前、大山源吉と申します」


 大山源吉……やはり、聞かぬ名だ。


「地方商人とのことでしたが。どこぞ、大名様の御用商人でしょうか?」


 探りを入れれば、若者――大山源吉は頷く。


「はい。幸運に恵まれ、尾張の織田様に御愛顧いただいております」

「ほう。織田様の……」


 織田上総介信長。尾張の大うつけと言われた男。

 されども先日、海道一の弓取り、今川治部大輔義元を討ったとして、その武名がここ堺まで届いたばかり。


 今川を討ったこと、この鉄砲の買い付け……成程、油断ならぬ男かも知れぬな。


「織田様の先の戦勝は、ここ堺まで鳴り響いておりますよ。織田様は、正にこれから御活躍されるであろう、御方。なれば、大山さんもこれからが正念場ですな」

「はい。故に手始めに、鉄砲百丁を買い付けさせて頂きました」

「ははっ! 鉄砲百丁を手始めとは豪気な! いや、若い内はそのくらい意気が高いくらいが丁度……」


 思わず、言葉尻を飲み込んでしまう。

 それは、大山源吉が大人しそうな表情を一変、凄みのある笑みを湛えたからだ。


「今井様の仰る通り。織田様も、手前も、これからの男です。あの桶狭間も、この百丁の買い付けも、まだまだ序の口……」


 何だ? この私が、若者の放つ気に飲まれそうになっている?


「織田様はこれより、数多大名をお下しになられる御方。私もまた、そんな織田様の為に、いずれ三千丁の鉄砲を買い付ける約束をしております」

「数多の大名を下す? 鉄砲三千丁?」


 鸚鵡返しのように聞き返すしかできない。


「はい。必ずやそうなります。……今はまだ、織田様の真の才気に、私しか気付いておりません。しかしいずれ、誰もが思い知るでしょう。そして、その時にはもう遅い。大名も、公達も、寺社勢力も、我々商人も、誰もが等しく、織田様の足元にひれ伏すことになっているでしょうから」


 馬鹿な、大山は、この若者は何を言っているのだ?


「信じられませんか? 唯の戯言とお思いになる?」

「……そうですな。正直、そのように思わずにいられません。だが……」

「だが? だが、何でしょう?」

「貴方は嘘を吐いていない。それだけは分かります」


 そうだ、大山は嘘を吐いていない。


 これでも、長年修羅場を潜り抜けてきた商人だ。

 相手が嘘を吐いているかどうか、直感的に理解できる。


 ならば、狂人の類か?

 そうであるなら、嘘を吐かずとも、信じられぬ妄言も口にできよう。


 だが、大山が狂人のようにも見えない。

 なればこの若者は、織田上総介信長に何かを見出し、彼なりの確信を抱いたのだろう。それが、正しいか間違っているかは別にして。


「そこまで惚れ込む男に出会える。羨ましいことだ」

「……まだ決して遅くはありません。十年の内に、織田様は畿内まで進出されます。その時、織田様に会って、人となりを確認なさいませ。今井様のお眼鏡に適えば、今井様も織田様に賭けてみては如何でしょう?」

「……考えておきましょう」

「是非。では、手前はこれにて」


 大山は軽く頭を下げると踵を返し、歩み去っていく。

 私は遠ざかるその背を見送りながら、今の会話に考えを巡らせる。


 なるほど、大山にあそこまで惚れ込ませるのだ。織田上総介信長とは、一角の人物なのだろう。

 だが、先程の話はどうあっても、信じられぬ。織田が畿内まで進出してくるなど、夢物語だ。


 大山の言が、嘘でも戯言でもないのなら、若者特有の妄信だ。

 そうだ。その筈なのに……。この込み上げる思いは何だ?


 いかん。期待しても裏切られるだけだ。

 分かるだろう? 私ももう若くはないのだから。だが……。


「大山さん! 最後に教えてください! 何故そうまでして、他人に入れ込むことができるのです!?」


 気付けば私は、遠ざかる大山の背に、大声で問い掛けていた。


 私の問い掛けに足を止めた大山は、くるりと体の向きを反転させるや、こちらも大声で言い放つ。


「奇貨置くべし! 我々商人風情が、古の呂不韋のように天下人を生み出せるなら! これに勝る喜びはありましょうや!?」


 若い、若過ぎる! 何と、向う見ずなことか!

 若者の放つ眩さは、この目を眩ませるかのようだ。


 ああ、若者故の特権だな。私のような年になれば、あんな真似は出来ぬ。

 出来ぬし、出来たとしても、してはならぬ。

 それなのに、昔のような、燃え上がる思いが湧き上がるのを止められない。


 私は一度頭を振るう。――夢物語だ。夢だからこそ、美しい。


 私は自身の袖を、皺が出来るくらい強く握り締める。


 だが、もしも現実になったら。その時は……。




 今井宗久は、自身でも気付かぬ内に、凄みのある笑みを浮かべていた。

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