藤吉郎出る
暗い。光もない闇の中じゃ。どうしようもない気怠さを覚える。
『――? これはどうしたことじゃ? ああ、そうか……』
最初は事態が掴めぬも、次第に己が半覚醒の状態であることを悟る。朝、完全に目が覚める前の、泥の中にあるような独特な微睡の中にある。
そんな半覚醒の頭の中で、かつて幾度となく聞いた声が響く。
「見よ、あの貧相な
ばちりと目が覚める。むくりと半身を起こした。既に周囲は明るくなり始めておる。洲股で迎える四度目の朝日じゃった。
嫌な気分をまぎらわすため、一人朝の散歩をする。すれ違う者たちが気軽に声を掛けていきよる。
「おはようございます、木下様」
「おうよ」
「おっ、鼠の旦那! 今お目覚めですかい!?」
「そうじゃ。それから、鼠は止めい!」
大声で言い返すと、周囲でその遣り取りを聞いていた者たちが声を上げて笑い出す。ったく、こいつらは!
わざとらしく、肩を怒らせる仕草をしながら歩いてみる。そこかしこで忍び笑いが起きた。
「兄上」
その声に振り向くと、弟の小一郎がそそと早歩きで近づいてきた。耳打ちしてきよる。
「金華山に出していた物見が駆け戻ってきました。昨日の夕刻前より、稲葉山城の周囲が明らかに慌ただしいと」
「……そうか。ついに気付きおったか」
「恐らくは」
オレは小一郎と頷き合う。
「工事を急がせい」
「はっ」
その会話から時が流れる。昼を過ぎてしばらく経つと、オレの予想を裏付ける事態が起こる。
ひい、ふう、みい。よく目を凝らせば、指先ほどに見える騎影の姿。おうおう、明らかにこちらを窺っておるのう。
「敵の物見でしょうか?」
「じゃろうな」
「如何します? 追いましょうか?」
「いらん。無駄足じゃ。それに見たいなら、存分に見せたらええ」
「それはどういう……?」
「……小一郎、それにお前らも座れ」
オレはそう言って、率先して地べたに胡坐をかいて座る。他の者たちにも同じように座るよう指示する。
やがて兵らが車座になって、オレを囲むように胡坐をかいて座った。
「恐らく明日じゃ。明日、稲葉山城から兵が攻め寄せてくる」
オレの言に、皆が真剣な表情を浮かべる。
「庭先でいつのまにか城を作られとるんじゃ。慌てふためいて来よる。金華山から真っ直ぐこの洲股までの。オレらはこれを蹴散らすんじゃ」
「なっ!? お待ちください、兄上! まさか討って出るお積りですか?」
「そうじゃ」
「どうしてです? 城は未完成とはいえ、ある程度の防衛能力は期待できます。ここで守勢に回った方が……!」
手振りで周囲を示す小一郎。オレはその手の動きを追って周囲を見回した。
確かに、真っ先に洲股の基礎の外周に柵を張り巡らせた。内側には櫓も立てとる。それから、職人たちが工事を進めている最中、手持無沙汰なオレたちは空堀なんかも掘った。
職人の手伝いしても素人じゃ却って足引っ張るからの。だからといって、ぼうと突っ立っているのももったいない。
じゃから、兵らには柵の付近に空堀を掘らせたわけだ。堀を張り巡らせるという程の規模でもないが、気休めにはなるかのう。
なればこそ当然の疑問じゃな。どうして、ここに籠って迎撃せんのか、と。
「理由はいくつかあるが……。最たるもんは、職人らじゃ。あいつらはオレらと違って戦慣れしておらん。敵襲に遭えば動揺して、作業に集中できんくなる。改修工事は遅れてしまいかねん。それは、拙い」
オレは尤もらしい理由を口にする。
「……なるほど、確かに理解できます。できますが」
「心配するな! 無策で敵に突っ込むわけないじゃろ!」
「ならば策が?」
オレは頷いて見せる。そうして自信ありげに周囲の顔を見渡した。
「敵の物見に存分にこちらを見せるのも、策の一つじゃ。連中にここにいる兵の規模を知らしめたる」
「何のために?」
オレはにやりと笑う。
「夜の闇にまぎれて兵の多くを洲股から出撃させる。残った少数は、敵の見える場所にずらりと並べて、その後ろに旗を掲げるのよ。全兵残っているよう見せかけるためにの」
「………………」
周囲の兵らが黙ってオレの言葉を聞く。
「ええか? 夜間に出撃した兵を二隊に分ける。そんで、金華山から洲股までの直線進路を挟むよう、左右に伏せるんじゃ。……後は分かるな? 猪のように真っ直ぐ進む敵の無防備な両脇に横槍入れる。それで終いじゃ!」
そうじゃ。それで終いじゃ。まだ槍働きで大功は上げておらんが、それでも少なくない戦場を越えてきた。その経験で知っとる。横槍衝かれた部隊の脆弱さを。
ましてや奇襲効果も合わされば、その効果は覿面じゃ。
「どうじゃ? 文句はあるか?」
オレの問い掛けに、兵らは互いに目配せし合う。
「……どうしたことじゃ? 鼠の旦那が一端の武将みたいなことを言っとるぞ」
「ほんとにそうじゃ。狐でも憑りついたかの?」
「どういう意味じゃ!? オレかて一端の武将じゃ! 忘れたんか、殿が諸将を招集した時、オレも呼ばれとったろうが!」
「ああ。そういえば、そうじゃった!」
ったく、本当にこいつらときたら!
「それで? 文句はない。それでええか?」
兵らは頷いていく。その内の一人が口を開く。
「文句はない。それよりも鼠の旦那……」
「何じゃ?」
「いつも通り銭は弾んでくれるんだろうな?」
そう言って、いやらしく笑いよる。オレも笑い返した。
「おうよ! 一番槍に二番槍、多く首獲った奴。それに大将首と。他所で出るより大量の銭出したる! 励め!」
「「おおおおう!!!!」」
オレの檄に、阿呆共の蛮声が響き渡ったのじゃった。
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